第一話 烏丸しぐれと、いのうりょく その②
三人は旧校舎の屋上にやってきていた。
「さて、やろうか。絢羽、とりあえずポイント置いといて」
「ポイント?」
聞き慣れない単語に、しぐれはつい質問してしまう。
その直後、しまった、別に入部するつもりはないのに、と思うしぐれであった。
「ここからここまでが試合会場ですよーって示す道具のことさ」
「……それ、要るんですか?」
しぐれが怪訝そうに尋ねると、七嵐が「もちろん!」と返し、続ける。
「例えばだな……。絢羽、置き終わった?」
「置き終わったよ」
「ちょっと能力使ってみてくれない?」
七嵐が天本にそう言った瞬間、七嵐の目の前に巨大な剣が突き立つ。しぐれは驚いて口を開き、七嵐は笑顔を浮かべながら固まっていた。
しぐれは驚きつつも、これが天本の能力なのか、と納得する。
入部しないつもりではあるが、自分もこんなことができるようになるのか、と考えると、少しわくわくするしぐれであった。
「……あの、天本さん、ちょっとこれ近くないですか?」
「そうかしら」
七嵐の抗議を天本は涼やかに聞き流す。
「……あの、なんか怒ってます?」
「どうかしら」
「あっこれ怒ってるやつだ! ごめんって! よくわかんないけど!」
よくわかっていないのに、謝って意味があるのだろうか、と傍で聞いていて思うしぐれである。
ぼんやりとしているしぐれに気づいたのか、七嵐は「あ、ごめんごめん」と言い、その後天本を呼ぶ。
「絢羽、この剣ポイントの外にやってみて」
「わかった」
天本は自身の能力で出現させた剣を浮かせて、移動させる。
その様子を見たしぐれは、まるで超能力を見ているような気分だった。
天本の剣はポイントが置いてある場所に向かい、その後ポイントの外側に向かおうとする。
するとどうだろうか。剣はポイントの外に出ようとしたそばから、消えていくではないか。しぐれはその様子を見つつ、まるで自分が映画かアニメの世界にいるようだな心地であった。
「な?」
「何がな? なんですか?」
「ポイントの外に能力はいかないから、外にいる人はあんぜ……えーと、これじゃ駄目だな。……危害が……いやこれも……」
七嵐が言葉を探すように口を動かす。天本が隣にやってきて、小さくため息をついた。
「陽子ちゃん、もうちょっと漫画以外の本も読んだ方が良いよ」
「う、うるさいな」
天本がしぐれに近寄り、柔らかい口調で言う。
「まあ、試合会場外に能力はいかないってことよ」
「な、なるほど……?」
なんとも言えない違和感を覚えつつ、しぐれはこくりと首肯する。
「まあとにかく、だ! 一戦やってみようじゃないか!」
七嵐は強い口調で言う。
その言葉を聞きつつ、しぐれは(あ、この人勢いで生きているタイプの人だな)と思うのであった。
○
屋上の広さはだいたいテニスコートを二面並べた程度である。
ポイントは屋上の四隅に設置されている。
「……なんでこんなことに」
しぐれは鈍色の玉を持って、そう独りごちていた。
「さて、そろそろやろうか」
七嵐がそう言って、能力を発動させる。七嵐が持っている鈍色の玉が、二本のナイフに変わった。
「……やらなきゃ駄目なんですか?」
「……君、びっくりするほどやる気ないな」
「いや、まあ……連れてこられたわけですし、やる気は出ないですよ」
「まあそういうことを言わず……、あ、そうだ」
七嵐が不敵な笑みを浮かべる。しぐれはその様子を見つつ、嫌な予感を覚えるのだった。
「さっき水飲ませたじゃん」
「……飲みましたね」
「あの水、一応薬が入っていてね」
「はぁ⁉ なんの薬ですか⁉」
聞いていなかった事実にしぐれは狼狽する。
「いや、変な薬じゃないんだ。ただ」
「……ただ?」
「君の異能力を目覚めさせるための薬でね、その手に持っている玉だけじゃあ、異能力は発動しないんだ」
「……それ、今更言います?」
「だって、先に言ったら絶対に飲まないだろう?」
「……将来、進路に困れば、詐欺師か何かになればいいと思いますよ」
しぐれが冷ややかにそう言うと、七嵐は「いやこの話にはまだ続きがあってね」と言う。
「……続き?」
「ああ、続き。……その薬、一回分いくらだと思う?」
「い、いくらって言われても……」
七嵐は手を広げて五本指を立てる。
「ご、五百円ですか」
高いな、と思ったしぐれであった。
しかし、七嵐は首を横に振る。
「ご、五千円⁉」
驚愕し、叫ぶしぐれ。
しかし、七嵐はまたも首を振る。
「五万円」
「はぁ⁉ ふ、ふざけないでくださいよ! そんなの絶対に払えませんよ!」
「まあそう言うと思ったよ。だから、ここで取引をしよう」
七嵐はにやりと笑い、しぐれを見据える。しぐれの背筋に悪寒が走った。
「君が私に勝ったら、その薬の料金はチャラにしよう。けど、私が勝ったら君はその料金を払い、入部してもらう」
「り、理不尽……」
「まあ、それだけ部員が欲しくて必死ってことさ」
七嵐はそう言って、首を一度鳴らし、ナイフを振る。
「さあ、やろうか。君が勝てば、薬はタダだし君は自由だ。けれど私が勝ったら、君はお金を失い、ついでに今後三年間の自由も失う」
「……ひっどい話だ」
どうしてこんなことになったのだろうか、と思いつつ、しぐれは闘志をたぎらせる。
負けるわけにはいかない。自由のために、そしてお金のために。
しぐれは手に持つ玉を握りしめる。玉が光り輝き、鈍色の棒に変化した。
「……ところで、ここ異能力バトル部なんですよね?」
「そうだけど?」
「ってことは、先輩のナイフも……」
しぐれがそう言うと、七嵐は腕を組んで、偉そうに胸を張った。
「モチモチのロンさ。能力持ちだとも」
「……もちろんの微妙にアレな言い方はまあ置いておくとして。……私の武器、ただの棒ですけど。なんか能力が現れたりするんですか?」
「…………うん、現れる、と思う」
「……………………現れない可能性もある、と」
「ま、まあそれは個人差というか」
しぐれがジト目で七嵐を見ると、七嵐は慌ててフォローを入れた。
「それでも賭けは始まってるんですよね?」
「ああそうだ。たとえ君がただの棒を振り回すしかできなくても、私は全力で行くよ。全力で君を倒して、君を手に入れる」
七嵐がナイフの切っ先をしぐれに向けて、しぐれを挑発する。
しぐれは、このような挑発に乗りやすいタイプだった。
「……ぜったいに、勝ちます。……これでも、剣道けっこう本気でやってたんですから」
しぐれはそう言いつつ、彼我の戦力を分析する。
得物のリーチの差では、しぐれの方が有利だろう。
しかし、なにぶんしぐれが慣れない競技であり、相手はその競技においてしぐれよりもキャリアが長い。
それに、相手の得物は二本のナイフ。手数は圧倒的に相手有利であろう。
さらに、相手の異能力を警戒する必要がある。
しぐれはそれらの情報を脳内で統合し、答えを出す。
「……すぅっ」
しぐれは棒を正眼に構えて、小さく息を吸う。
「ああああああああああああああああああああああああああぁっ!」
その後、しぐれは気合いを発して、相手を威嚇した。
屋上にしぐれの声が響き、空気が震える。
「……やるね、これは、やる」
七嵐はしぐれの気合いを受けて、愉快そうに口元をつり上げる。
「烏丸さん、中学時代は剣道でブイブイ言わせてたほうだろ」
七嵐がしぐれにそう語りかけるも、しぐれはそれを無視して七嵐を見据えるばかりである。別にこれはしぐれが無視しているわけではなく、手の内の読めない相手を警戒してのことだった。
しぐれは、負けるわけにはいかない、と自分に言い聞かせていた。
負ければ、入部確定。
そして大事な大事な五万円が飛ぶ。
五万円。高校入学してすぐのしぐれにとっては、とてつもない大金だ。まさか、そんなものを賭けて戦うことになろうとは、夢にも思わなかったしぐれであった。
そのとき、しぐれは一つのことに気づく。それは。
(……負けて金を支払わされたらたら先生に言いつければいいのか)
ということだった。しぐれは自身の発想が妙に地に足ついているもので、内心苦笑する。
その心の動きは、しぐれの警戒を緩めるものであった。
「甘いね」
七嵐が、飛ぶ。七嵐はしぐれに一気に詰め寄る。しぐれは驚きで目を見開き、七嵐に対処しようと棒を振りかぶる。
しぐれは七嵐にそのまま振り下ろそうとした。しかし、そこでしぐれの中にある危機察知能力が警鐘を鳴らす。
――相手の得物は、私の得物よりリーチが短い。それに、先ほどのやり取りから察するに、一筋縄ではいかなさそうな相手だ。そんな敵が、突撃だけの攻撃を仕掛けるだろうか。
しぐれは、瞬時に思考を巡らす。
答えは、否である。
しぐれは棒を振りかぶった状態から、一歩、背後へ飛ぶ。
瞬間、七嵐が沈んだ。
「足下がお留守だぜっ!」
七嵐がそう叫び、しぐれの足をナイフで刻もうとする。
しかし。
「頭上がお留守ですね」
しぐれは振りかぶった体勢から、棒を半月状に振り下ろす。振り下ろしと横薙ぎの二つの特性を得たその攻撃は、横に迂回する分、速度としては遅い。
しかし、横に薙いでいる分、攻撃範囲は広い。
現在、しぐれの攻撃は横から前、前から横、という軌跡を描いている。突っ込んできている七嵐は、しぐれの懐に入ることしかできない。
つまり、七嵐は前方ないし左前方、右前方に進むことしかできない。しかし、しぐれの攻撃はそれら全てをカバーするものである。
取った。しぐれは相手の体勢と自分の攻撃を比較し、そう確信する。
七嵐の横面に、しぐれの攻撃が迫る。
一撃、が入るはずだった。
しかし。
「……っぶねえ」
七嵐は顔の真横でナイフを構え、しぐれの攻撃を防御する。しぐれは七嵐の反応速度に内心で舌を巻きつつも、もう一度後ろに飛びつつ棒を振り上げ、今度は逆方向から斬撃を繰り出す。
「はあっ!」
しぐれが気合いを込めた一撃。しぐれはその斬撃に、先ほどよりもずっと力を込めていた。仮に防御されたとしても、ナイフごと七嵐を打ち付ける算段。
しかし。
「甘いね、甘い」
七嵐はしぐれの斬撃、その軌跡の反対方向へと体をよじる。七嵐はそのまま手を伸ばし、ナイフを地面につきたて、自身の体をたぐり寄せた。
しぐれの斬撃は、七嵐の髪を掠めただけで終わる。
「……っぶねえ」と体勢を整えた七嵐が、安堵した表情で言う。
「……仕留めたと思ったんですがね」としぐれは苦々しい表情を浮かべた。
七嵐は首を一度ごきりとならし、ナイフを持った両手をだらりと下げ、しぐれを見据える。しぐれはそんな七嵐に警戒し、再び棒を正眼に構える。
「いやはや、まさかここまでやるとは思ってなかったよ。お世辞抜きに、すごいと思う」
「それはどうも」
「けれど」
七嵐は不敵な笑みを浮かべる。
「今度は私の番だ」
七嵐がそう言った瞬間、七嵐は右手のナイフをしぐれに向けて投擲する。しぐれはそれを間一髪で回避する。
次の瞬間、七嵐がしぐれの直前にまで接近していた。双方の得物のリーチ上、超近接は七嵐のナイフに軍配が上がる。
「もらった!」
七嵐が左手のナイフをしぐれの腹部に突き立てようとする。
「そうはさせませんっ!」
七嵐のナイフは、しぐれの棒、その柄の部分に突き立った。鋭い刃が、曲面に突き立っている。その様子を見て、七嵐はまたも舌を巻く。
「……君、ほんとすごいな」
「いえいえ、そんなことは」
「……これは、どんなことがあっても君が欲しくなった」
「いえ、私はもっとポピュラーな部活に入るんです。それに、五万円払いたくないですし」
「この部活もポピュラーになるかもしれないよ?」
「……それはまあ、どうでもいいです。っていうか、私が卒業するまでそれはなさそうですし。……とにかく、勝たせて貰います」
しぐれが七嵐のナイフを払いのける。
「しまった!」
七嵐が大きく体勢を崩す。
好機。
七嵐が体勢を崩し、七嵐の攻撃範囲外であり、しぐれの攻撃範囲内。そうなる一瞬。
しぐれはその瞬間を逃さないつもりだった。
「……なんてね」
七嵐の嬲るような声に、しぐれは戦慄する。次の瞬間。
しぐれは背後から飛来する何かを察知する。しぐれは身をよじるも、幾分遅い。
しぐれの背中に、何かが衝突する。見ると、それは先ほど七嵐が投げたナイフであった。
やられた、としぐれは思う。それと同時に、感じないはずの痛みすら覚える。
「ぐっ、がはっ!」
しぐれは呻き声を上げて崩れ落ちる。地面にしぐれの棒が転がり、光を放って鈍色の玉に戻った。
「はい、これで私の勝ちー」
七嵐がにっと笑って言う。
「…………」
しぐれは項垂れて床をじっと見つめるばかりだ。
「どうだい? まだやる?」
七嵐のその問いに、しぐれは顔を上げる。その目には、闘志が宿っていた。
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