特定特殊動物保護管理記録

@rapter999

 プロローグ

聞こえるのは、耳元で奏でる風とエンジンのうなり声。

目に入るのは、岩と砂と轍が残る名ばかりの道路。

向かうのは、地図に示された一つの座標。


試験解放区からおおよそ四時間。

そこから装備を担いで五分。


「お疲れ、エルビー」


LB、ラッキビーストと名付けられたロボットの頭を撫で、手持ちの端末で到着完了を知らせる。

ポテポテと歩く姿が解放区では可愛いと評判だが、この辺りでの活動にはやや不安を覚える。

開発部はもう少し外で散歩でもしたらどうだろうか。


それはさておき。

岩山にぽっかりと口を開けた洞窟に目を向ける。

LBの通報によると、ここにアニマルガールが隠れているとの話だが、いったいどんな子なのだろうか。

気にはなるが、どのみちLBに通報されるようなアニマルガールである、やることに変わりはない。


「あ」


私ではない別の誰かの声。

辺りを見回すと一人のアニマルガールと目が合う。


黄色い大きな耳と尻尾。

ピンクの上着に白いスカート。

モコモコとした手首と、手にしているのはLBが配布するじゃぱりまんじゅう。

私をじっと見つめたかと思えば、身を翻しすぐ側の岩陰に逃げ込み、再び顔だけだしてこちらを見つめる。


LBが通報したのはこの子の事だろうか?

見た感じでは特に問題があるようには見えない。


「やぁ、こんにちは」


威圧しないよう膝をつき、目線を合わせ、ゆっくりと話しかける。


基本的に身体能力そのものはアニマルガール達の方が上だ。

だが、見た目の体格差というのはこちらが思っている以上の脅威に写るらしい。

何度か手痛い反撃を受けている職員も少なくない。

その場合の反撃に備え、腰のスタンロッドに手をかけておく。


「おにーさん、誰?」

「私の名前は――」


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サンドスターと呼ばれる物質と、その影響によって生まれたアニマルガールと呼ばれる存在。

ヒト達の間で様々な議論が交わされ、彼女らとの間で大小さまざまな衝突を経て今に至る。


ヒト寄りで生きるか、動物寄りで生きるか。

その選択は彼女らに委ねられている。


彼女らの選択を尊重しながらも、研究の為のサンプル収集。

その中で生まれた一つの活動。

自然界で生きていけなくなったアニマルガール達の確保、収容、保護。

それが私たちが担う任務だ。



======


「ちょっと痛いかもしれないけど我慢してくれ」

「わかった」


水で洗い流す前に確認を取る。

彼女――フェネックギツネのアニマルガール――に腕の手当を施す。

出血は止まっているのだが、まだ新しい引っ掻き傷が痛々しい。

乾いた血を流し落とし、いま以上に汚れが付かないよう包帯を巻き付ける。

感染症の恐れもあるが、この場ではこれが精一杯だ。

この子も早めに連れ帰るしかないだろう。


「よし、これで大丈夫だろう」

「おー……」


解放された彼女は大きな目を見開き、巻かれた包帯を物珍しそうに見つめる。


「それで、具合の悪いアニマルガールというのは」

「えっとー、その洞窟の中だよ」


彼女の話によるとLBの通報通り、この洞窟の中に一体のアニマルガールが潜んでいるらしい。

何かに対し酷く怯えた様子で、近づくだけで攻撃してくるという事だ。


「それでその子に噛まれたのか」

「うん……」


悲しそうに傷口をそっと押さえる。

威嚇は争いを避けるための一つの手段だ。

だから威嚇された時点で引けば、いや引くべきだったのだ。

そうすれば痛い思いをする事もなかっただろうに。

だから私は手を上げ。


「優しい子だな」


頭をそっと撫でる。

それでも放っておけなかったのだろう、この子は。

自分にはなんの利もない行為だろうに。

だからこそ、その優しさと勇気には敬意を表したい。


「それで、その子の名前はわかるかい?」

「うーん、わかんない。でも尻尾がシマシマでー、手が黒くてー……」

「なるほど、他には?」


アニマルガールの特徴が出やすい髪型や尻尾を中心に話を聞き出しまとめる。

彼女の話をまとめると恐らく中にいるのは、ワオキツネザルかアライグマのアニマルガールだろう。

どちらにせよ、自分の目による確認は必要だ。


「おにーさん」

「ん?」

「あの子をどうするの?」

「まずは元気になってもらう……後はその子次第だ」


私が出来るのはアニマルガールを確保して収容するまでだ。

その先の事は関与しないようにしている。


「君も、その怪我を治さないとな」

「ん」


頭を撫でる手をそのまま受け入れてくれる。

アニマルガール達はとても不思議な存在だ。

通常の野生動物に比べ、ヒトに対して恐ろしく警戒心が薄い個体が多い。

ファーストコンタクトこそ間違えなければ非常に友好的だ。


最も、それにつけ込む碌でもない輩が多いのもまた事実だが。



======



ここはどこなのだ。


わぷっ!


痛いのだ。


足が、痛いのだ……


水……のどが渇いたのだ。


ひぃっ!


ひ、人が居るのだ!!

こっちを見てるのだ!!


にっ、逃げるのだ!!


わぷっ!


どうしてこんなに走りにくいのだ!


まるで別の身体になったみたいなのだ!!


ああでも!


そんなことはどうでもいいのだ!


早く逃げるのだ!!


捕まったらまた水の中に突き落とされるのだ!!



======



「この中か?」

「うん、暗いから気をつけてねー」

「大丈夫だ、これで照らせばいい」

「おぉー少し明るくなったねー」


電気式のランタンを灯して中の様子を確かめる。

いわゆる懐中電灯の方が断然明るい。

だが、アニマルガールによっては照射が威嚇や攻撃と見なされるらしく、何度か痛い目に遭った。

それを踏まえて、できる限り使用を控えるようにしている。


「それから、この先は少し小さな声でな」

「わかったー、しーだね」


暗闇を照らしゴツゴツとした足下に気をつけながら前に進む。

洞窟の天井の高さは子供や小柄なアニマルガールなら難なく歩けるぐらい。

この程度の高さなら奥行きにもよるが、動物のヒグマが冬眠するには丁度良い大きさだろう。

「行き止まり?」

「ううん、こっちに道があるよー」


一見するとすぐ行き止まりのようにもみえるが、彼女の指さす方向に暗闇が続いている。


「それで、この先にあの子がいるよー」

「わかった」


あえて足音を立てて進む。

私たちが近づいている事をしっかりとアピールする。

だが、一歩一歩はゆっくりと。


段々と天井と両脇の壁が離れ――そこで行き止まりにたどり着く。

この辺りなら背筋を伸ばして歩くには十分だ。


辺りを見回しても肝心のアニマルガールが見あたらない。

既に移動した後なのだろうか。

ふと何かを見つけた彼女が思案する私の服の裾を引き、音無き声で「あっち」と指差す。


その先に見えるひとつの塊。

乱れた灰色の髪を腕で覆い隠し、ぴょこんと飛び出た耳は所々、毛が抜け落ちている。

綺麗な縞模様だったであろうボサボサの尻尾は怯えるように身体へ巻き付け。

泥と砂で汚れた淡い紫色の服に身を包み、スカートから伸びる足はボロボロになっている。

見るからに痛々しい身体を丸め、わずかに出来た岩陰に身を潜めている。


後ろ手で彼女にそこで待つように合図し、今以上にゆっくりと近づく。


一歩、また一歩。

飛びかかられても大丈夫な所まで距離を詰め、膝をつき目線を合わせる。


「おーい」


小さな声で呼びかける。

それに応じるかのように、そのアニマルガールはゆっくりと顔を上げる。


薄汚れた顔の奥で光る眼孔。

目に宿るのは、明らかな敵意。

口から漏れ出る、追いつめられた小動物特有の気迫。

全身から発する、絶対に生き残ってやるという強い意志。


刺激しないようゆっくり一歩ずつ後ろに下がる。


だめだ。

既に話し合いが出来る段階ではない。

出口を指さし、二人で一緒に来た道を引き返す。


「っぷはぁ……」

「ふーっ……」


洞窟を抜けだし二人そろって青空に向かって息を吐き出す。


「「ぷっ」」


揃って同じ事をしていた事に気づき、張りつめていた緊張がほぐれたのもあって同時に吹き出す。


「ね、おにーさん」

「うん?」

「あの子を連れてこなくてもよかったの?」

「あの様子じゃ連れ出すのも大変だからな」

「ふーん、そっか」


話し合いで穏便にすめばよかったのだが、そう都合よく事は進まないようだ。

さて、そうなると取れる手段は限られてくる。

というより一つしかない。

あまり気乗りはしないが――


思案する私の側を、風が駆け抜けた。

声を出す間も無く、何かが背後で爆ぜた。


「おにーさんは後ろに!」


匿うように立ちはだかる彼女と、岩陰の向こうから出てくる異質な存在。

それは原色が目を引く鮮やかなプランクトンのゼリー、といえばいいだろうか。

三つ、四つ……全部で五体。

なるほど、こいつが噂に聞いていたセルリアンとかいう奴か。


アニマルガール達とほぼ同時期に現れた異形の存在。

目撃情報が少なく、様々な説が流れているが、現状で確定しているのは三つ。


一つ、奴らはアニマルガールと人を襲う。

二つ、アニマルガールは奴らに対抗出来る。

三つ、人は奴らを撃退する手段を持たない。


つまり、情けないことに、私はここから彼女を見守る事しか出来ない。


「ほいよー!っと」


最も、彼女らにとってこの程度は朝飯前らしい。

セルリアン達を翻弄するかのように立ち回り、一体一体、確実に倒していく。

ものの数分で全てのセルリアンを撃退してしまった。


「おにーさん、大丈夫?」

「ああ、お陰様で」

「そっか、よかった」


もし、この子が居なければ、どうにか車まで逃げてこの場を去るぐらいしか出来ない。

最悪、それすらも出来ない可能性があった。


「ありがとな、本当に助かった」

「あのくらいなら任せてよ」


まさかここまでセルリアンが勢力を伸ばしているとは想像していなかった。

そろそろ、我々も対策を考える頃合いなのかもしれない。


「……」


なんだろう。

何か言いたげにじーっとこちらを見つめてくる。

一体どうしたのだろうか。

そういえば、尻尾もユラリユラリと大きく揺れている。

指先で髪の毛をいじり、耳も少しだけ伏せて、まるで……。


「えへへ……」


手を伸ばして、少し乱れた髪を整えるように撫でる。

どうやれこれで正解の様だ……が。


軽率だったかもしれない。

少し甘やかしすぎたきらいがある。

いずれは彼女と別れる時が来る。

接する時間が短ければ短いほど、懐かれぬように、情が移らぬようにしなければならないのだ。

情が移れば、懐かれれば、別れが辛くなるだけだというのに。



======



ふふふーん。


今日も縄張りは異常なし、なのだ。


おおお?


こんなところにおいしそうなご飯があるのだ。


持って帰ってみんなと一生に食べるのだ。


な、なんなのだ!今の音は!


出られないのだ!閉じこめられてしまったのだ!!


どこに連れていくのだ!!


ここから出してほしいのだ!!


おうちに返してほしいのだ……


ここは……どこなのだ?


お腹が空いたのだ……


????


なんなのだこれは。


!!


おいしいのだ!!


今までで一番おいしいのだ!!


もっと欲しいのだ!!


ふっふっふ。


ご飯も美味しいし、寝るときは周りを気にしなくていいのだ。


ここは本当に居心地がいいのだ。


あっ!


だめなのだ!


これは自分の物なのだ!!


うう、追い出されてしまったのだ……


お腹が空いたのだ……


帰りたいのだ……


みんなの元に返りたいのだ……


……ここのご飯をいただきますなのだ。


前ほどじゃないけど、その前よりは美味しいのだ。


でも、やっぱり一人は寂しいのだ……


あっ、これは見たことがあるのだ。


ここに入るとまた美味しいご飯が食べられるのだ。


前もそうだったのだ。


それに、もしかしたらみんなの所へ帰れるかもしれないのだ。


今度はオレンジ色の人が連れていってくれるのだ。


またみんなと一緒に美味しいご飯を食べたいのだ!



======


地平線に陽が沈む。

茜色と紺色が交わる空の下で端末を操り、LBにじゃぱりまんじゅうを持ってこさせる。

明朝に備えて、彼女に夕食として食べて貰おうと思ったのだが。


「それだけでいいのか?」

「うん、大丈夫だよー」


手にしたのはカゴにあるうちの一つだけ。

いくら小柄とはいえそれでは物足りないのではないだろうか?


「んーと、残りはあの子のところに持って行ってくれるかなー?」


そんな私の杞憂を余所に、LBの前にしゃがみ込んで話しかける。

だが、LBはアニマルガールに話しかけられても、原則対応しないように組まれている。

だから彼女のお願いは聞き入れられない。


「よろしくねー」


指示通りにLBがトコトコと洞窟の方へと向かう。

何度見ても危なっかしい足取りがどうにも気になって仕方がない。


「おにーさんどうしたの?」

「いや、なんでもない」


適当に誤魔化しながら、さっきまで弄っていた端末をポケットにしまい込む。

あまり期待していないが、少しでも食べてくれるのならそれに越したことはない。

いずれにせよそれが分かるのは明日の話だ。


「こっちもそろそろ食べようか」

「はーい」


電気式ランタンを挟んで対になって地べたに座る。

啄むようにじゃぱりまんじゅうを食べる彼女を横目に、手にしたのは支給品のスナックバー。

じゃぱりまんじゅうと同時期に作られた、野外活動用の食糧だ。

携帯性が良く、それなりに腹が膨れるので重宝しているが、如何せん味が悪い。

食べたことは無いのだが、じゃぱりまんじゅうより圧倒的に味が劣る、らしい。

それについても、歴とした理由が……


「……」


ジーッとこちらを見つめる目線に気がつく。

どうやら、じゃぱりまんじゅうを食べ終わったらしく、こちらをじっと見つめてくる。


「……」


こちらから目線を合わせるとスイッと逸らすものの、明らかにこちらの手元――スナックバーに視線が向いている。

目を合わせては目を逸らす。

それを二度三度繰り返すと『くぅ』と可愛らしい音が。


「えへへ……」


流石に誤魔化しきれないといった風で、恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

やはり一つだけでは足りなかったのだろうか。


「……食べてみるかい?」

「いいの?」


食べかけを渡すのは憚られるが、いかんせん量が問題だ。

手をつけていない部分を渡す、そのつもりで上半分を千切ったのだが。


「あーん」


トトトっと、側に来るや否やひな鳥のように口を大きく開けて待ち構える。

少し躊躇ったが、いまさら残り半分を渡すという雰囲気でもないので、更に小さく千切って口の中へ放り込む。


「んん……?」


咀嚼しながら首をかしげる様子を眺める。

恐らく彼女はこう思っているのだろう。


「じゃぱりまんじゅうの方が美味しい、だろ?」

「あー、えーっと、そんな事はないんじゃないかなー?」

「気を使わなくてもいいさ、そういう風に作られているんだ」

「そーなの?」


支給品がじゃぱりまんじゅうよりも味が劣る理由。

端的に言えば、アニマルガールがじゃぱりまんじゅう以外の美味しいものに慣れてしまうのを防ぐためだ。

もし、他の食べ物が美味しいと知ってしまったらどうなるか。

それを求めて、ヒトの生活圏に侵入してくる子はどうなるか。


餌付けされた子らの悲惨な末路はもう十分だ。

故に制限区域内での食べ物はこの支給品だけが持ち込みを許される。


「そういえば一つ聞きたいことがあるんだ」

「なぁに?」

「なんで君はあの子の側にいたんだい?」


彼女と出会ってから気になっていた事。

アニマルガール同士で群れるのは珍しくないが、そこまでの仲ではないのは明らかだ。


「んーと……」


頬に指を当て、ぽつりぽつりと思い出すように話し始める。



======



私がよく使う水飲み場があって、そこであの子と出会ったんだ。

水はもう飲み終わってたみたいなんだけどさ、様子がおかしかったから、気になって声をかけたんだ。


でもなんか驚かせちゃったみたいで。

その子が走り出そうとしたところで転んじゃってさ。


それでも急いで立ち上がったんだけど、歩き方がなんか変だなーって。

もしかして私のせいで怪我しちゃったのかなーって。

もしそうだったら悪いなーって、そのまま洞窟中まで追いかけていったんだけどね。


うん、そう。

そこで引っかかれちゃったんだ。


いやー、私もびっくりしちゃってさ。

それで急いで洞窟から出て行ったってわけさ。

うん、その日はそれでおしまい。


寝て、起きて、朝にじゃぱりまんじゅうを食べてたら、急にあの子の事を思い出しちゃってさ。

もしかしたらあの子もお腹が空いてるのかなーって。


だから何個かわけてあげようと思ってねー。

そこでおにーさんと出会ったって訳なのさ。



======


「おにーさん、これでいい?」

「ああ、大丈夫だ。それでこいつを――」


座席を倒し、車内を整え二人分の寝床を作る。

砂漠の夜は冷える。

これから外で寝床を探そうとする彼女を招き入れ、明日に備える。

勿論、寝ている間に去られては困るからという理由もある。


「なんか変な感触だね」


助手席に敷かれたマットを不思議そうに指でつつく。


「それから寝るときはこれを使うといい」

「なーにこれ?」

「毛布……体にかけてもいいし、下に敷いても良い」

「ふーん」


渡された毛布に顔を埋めスンスンと匂いを嗅いだかと思えば、抱きかかえたままマットに体を預ける。


「えへへ……」


私も身に覚えがある。

今では慣れきってしまったものの、幼い頃は車中泊が楽しかった思い出が。

もしかしたら彼女もそう感じているのかもしれない。

そんな様子を見ながら運転席に身を横たえる。

「暗くするぞ」と一声かけて室内灯に手を伸ばす。

パチリと灯りが消えて、月明かりが車内に影を落とす。

姿は見えないが、満月が近いのだろう。


「ね、おにーさん」

「なんだ?」

「明日はあの子とお話できるかな?」

「無理だろうな」


淡い光の中から投げかけられる彼女の問いを一蹴する。


「……だめかな?」

「君も見たとおり、あの様子じゃ聞く耳をもたないだろう?」


暗闇の中から友好的とは言いがたい雰囲気を放つ姿を目に浮かべる。

それにそもそも言葉を理解しているのかどうかも怪しい。


「うん、そうだよね……ごめんねー変なこと聞い――」

「心配しなくても」

「えっ?」

「あの子は必ず助けるから」


命を奪うのは容易い。

だからこそ、どんな手を使ってでも助ける。

その為に私はここに居る。


「ん、わかった」

「明日はちょっと早いから、もう寝るぞ」

「はーい」


少しばかり弾むような声と寝床に沈む音。

それを聞き届けてから、毛布を肩までかけ直す。


「おやすみ、おにーさん」

「ああ、おやすみ」



======



なんだここは。

何で私は籠の中に居るんだ。


オレンジ色のベストと帽子が視界の端に映る。

見たことのある顔がこちらに向いている。


あれはニイヤマの爺さんで。

あっちはタガミの爺さんだ。


ああ、思い出した。

またこの夢か。


籠がふわりと浮かび、景色が回る。

水の張られた古い浴槽に籠ごと沈められ、首まで水に浸かる。


だがそれ以上は沈まない。

籠が大きすぎて浴槽に入りきらないのだ。


爺さん達の困った顔が視界から消える。

諦めた訳じゃない。

それは私自身が一番知っている。


金網の隙間から顔をめがけて角材が飛び込んでくる。

その衝撃で頭を水中へと押し込まれる。


冷たい、痛い、苦しい。

心臓が激しく脈打ち、体が熱くなる。


新鮮な空気を求めて水面へ飛び出す。

何度も沈められ、その度に飛び出す。


人の物とは思えない叫び声が喉からほとばしる。

いやだ、イヤだ!嫌だ!


角材の動きが、変わった。

金網に頭と身体を押しつけられ、身動きが取れなくなる。


無防備な喉元に突き立てられるナイフ。

しかし、脱出を阻む金網が邪魔をして深くは刺さらない。


痛い!痛い!いたい!いたい!イタイ!

ああああ!!!!!


身をよじり、全身の力を込めて振り払う。

だが、どれだけ暴れてもここから生きては出られない。

それは私自身が一番知っている。


再び顔を水面に押しつけられる。

浅い傷口からじわじわと温かなものが流れ出る。


何度も顔を打ちつけられ、沈められ、頭が朦朧としてきた。

もう、身体に力が入らない。


だめだ。

ここで気を失えば、もう二度と浮かび上がることが出来ない。


最後の力を振り絞り身体を奮い立たせ、水面に顔を――



======



「――ーさん!」


私を呼ぶ声で目を覚ます。

狭い車内に横たえていた身を起こし、大きく息を吸い込む。

呼吸は荒く、汗ばんだ服がべったり張り付いて気持ち悪い。


「大丈夫?」


肩に手を置いたまま、不安げな顔で様子を伺う彼女と目が合う。

なんで、ここにアニマルガールが。

ぼんやりとした頭で記憶を掘り起こす。

ああそうだ。

少しずつ意識が明瞭になり、昨夜からの記憶が蘇る。


「ね、おにーさん、ほんとに大丈夫?」

「大丈夫だ」

「本当に?すごく苦しそうだったけど」

「ああ、ちょっと……ちょっと変な夢をみただけさ」


報いなのだ、と思う。

命を奪った事ではない。

必要以上の苦しみを与えた事に対する報いなのだと。


「起こしてくれてありがとな」

「ううん、気にしないでー」


車内を灯して、時計を確認する。

ガラス越しに見える地面はまだ薄暗いが、水平線の向こうは夜が明けたようだ。


「よし」


悪くない時間帯だ。

本来、アライグマは夜行性だが、アニマルガール化した今もそうなのかはわからない。

だから、夜行性であれば寝入る頃、昼行性であれば起きるには少し早いこの時間帯を選んだ。

車外に出て装備を調える。

トランクを開け、荷崩れに気をつけながら例の物を取り出す。


「おにーさん」

「うん?」

「もう行くの?」

「ああ、そうだ……君はここで留守番をしててくれないか」

「えっと……一緒について行っちゃだめ、かなー?」


座席越しからの提案に荷物を漁る手を、一瞬止める。

だが答えは既に決めている。

今から私がやろうとする事を、この子に見て貰いたくはない。


「すまない」

「うん……わかった」

「ごめんな」

「ううん、気にしないで、それと気をつけてねー」


見送りの言葉を聞き届けてから、ドアを閉じてロックをかける。

外敵の侵入を防ぐと共に、脱走を防ぐ目的で。

中から開けられるのは運転席のドアだけだ。

あの子は随分と賢い子だからそれに気づくかもしれない。

だからといって、何もしない訳にもいかない。


少しの気がかりを残したまま洞窟へと足を向ける。

果たしてそこには、昨日から相変わらず岩山にぽっかりと口を開けたままだ。


明かりを点して奥へと進む。

昨日とは打って変わって、ゆっくりと足音に気を使いながら一歩ずつ。

アニマルガールは五感に優れる子が多いので、意味は薄いかもしれないが、それでも。


そろそろ最奥部にたどり着く頃だった。

ぐにゃりと足下に何かを踏みつぶしたような感覚を覚える。

独特の香りを放つそれは、昨日LBが運んでいたじゃぱりまんじゅう。

変わったところといえば、二割ほど囓りとられた跡があるぐらいだ。


少し安心した。

この子とLBの間でどんなやりとりがあったのかはわからない。

だが、僅かでも口にしてくれているのなら、それで十分だ。

ならば、と気を引き締めて内部を一望する。


居た。


昨日と変わらず、ぼろぼろのままの身体。

見るからに痛々しい姿を晒すのは、今日で終わりだ。

もう少しだ、もう少しだけ我慢してくれ。

そう念じながらも、はやる気持ちを抑えて、定められた距離まで詰めて。


目の前の塊がもぞりと動く。

――立ち止まって深く息を吐き出す。


鎌首をもたげるように顔を上げ虚ろな瞳を彷徨わせる。

――ゆっくりと手にしたそれを肩に当て、照門越しに照星を定める。


照門と照星、そしてその先の瞳が大きく見開かれる。

――ドクン、ドクンと耳の中で心音が響く。


顔を歪ませ、こちらに向ける表情は敵意ではなく恐怖。

――二度三度と浅く息を吸い、最後に深く吐き出す。


本能のままに力なく、それでいて精一杯の力で立ち上がり背を向ける。

――用心金との間に指を滑り込ませ、呼吸を止める。


逃げ場のない袋小路とわかっていても、最後まで足掻き続ける。

――揺れる照準が徐々に中央へ収束し。


この子達はこの姿になっても絶対に生きることを諦めない。

――ピタリと止まる。


バスンという音と肩で軽い衝撃を受け止める。

圧縮空気と共に吐き出された白い網が広がり、彼女の体を包み込んで絡め取る。


「ぐえっ」


カエルが潰されたような声が肺から押し出される。

どうにか抜け出そうと暴れるが、もがけば藻掻くほど絡みつく。

十分に絡まったのを見計らい馬乗りになって押さえ込む。


「あ゛ーー!」


言葉にならない叫び声が耳に刺さる。

通常のアニマルガールであれば、ここで間違いなくはね飛ばされてしまうだろう。

だが、大分衰弱しているこの子は見た目相応、いやそれ以下の力でしか抗えない。

暴れる頭部を地面に押しつけ、口周りの網をハサミで丁寧に切り裂く。

それから噛まれぬよう、そして舌を噛まないようにくつわを噛ませ目隠しをする。

足に込めていた力を緩め、前腕を用意していたテープで締め上げる。

それから網を手繰り寄せ、暴れる足首を掴み。


「んー!!」


今まで以上に暴れ、身を捩られ、背中から振り落とされそうになる。

確かこの子は足を引きずっていたはずだ。

それなのに、力ずくで掴まれるとなると痛みは察するに余る。

だが、こちらもそこに気を使える余裕はあまりない。


「んー!んー!!」


自由を奪われ声なき叫びが耳に障る。

地面に広がる水たまりと、独特の異臭が鼻につく。

かつてスタッフの誰かが「誘拐みたい」と囁いていたが、あながち間違いではない。


「んーーー!!!」


歯を食いしばり感情を押さえ込む。

必要以上に恐怖を与える事は決して許されない。

だが、罠では時間がかかりすぎ、薬物は個体の状態がわからない以上、危険すぎる。

これが最善だとは口が裂けても言えない。

だが強行する以上は比較的まともな手段をとるしかない。


「ん!んーっ!んー!」

「ふぅー……」


自由を奪われてもなお、水揚げされた魚のように藻掻き続ける。

思っていたよりも元気なのは幸いというべきだろうか。

後は外に運び出して二人を連れて帰るだけだ。


「あ」


それは聞き覚えのある声。

それは聞くはずのない声。


無意識のうちに否定していたその可能性。

何かの間違いであって欲しいと、意味の無い祈りを捧げ後ろを振り向く。


黄色い大きな耳と尻尾。

ピンクの上着に白いスカート。

モコモコとした手首を、予備として積んでいたランタンが照らし出す。


「おにーさん……なにしてるの」


呆然とした中に垣間見える怯えと困惑。

……やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。

そう願うが、それが叶うとは思わない。


甘やかしてはいけない、懐かれてはいけない。

それは私と彼女の双方の為に。

情が移れば別れが辛くなるだけなのだから。

それでも私は成すべき事を。


「おいで、フェネック」


……声は平静を保てていただろうか。

感情の昂ぶりを抑え、彼女の名前を口にする。

それと同時に予備として持っていた二つ目の捕獲器のロックを外し、秒読みを始めながら一歩ずつ距離を詰める。


『5』


アニマルガールの身体能力ならこの場から逃げ去るなど容易いことだ。

ならば向こうが動く前にこちらが動かねばならない。


『4』


呆然とその場に立ち尽くしたまま一歩も動かない。

それが彼女と出会った時の姿に重なる。


『3』


じわり、と滲むような迷いが生じる。

「筒先を向ける」という行為が持つその意味。


『2』


歩みを止めることは無くとも、迷いを断ち切れずにいる。

それを果たしてあの子に向けて良いのだろうか。


「んーっ!」


それは刹那の出来事だった。

背後の叫びに気を取られ、目線を外したその瞬間。

視界の端から金色の尻尾が流れるように消えていった。


「はぁー……」


捕獲器にロックをかけながら先ほどよりも深く長いため息が口から溢れる。

一度きりの、一瞬の気の緩み。

たったそれだけで、構えることも、引き金に指を伸ばすことさえも出来なかった。

誰も居なくなった暗闇をじっと見つめる。

それと同時に少し、ほっとした。


腰を落とし、ゆっくりとアライグマを抱きかかえる。

じんわりと湿った温もりが腕に広がる。

それにこの子はまだ生きている。

出来るだけ早く連れて帰る義務が、私には残されている。

大事な物を落とさぬよう足下を照らし、往路の倍近い時間をかけながら車へと戻る。


「はぁっ!はぁっ!」


過ごしやすいと誰しもが認めるこの時期でありながら、滝のように汗が噴き出る。

ようやくたどり着いたかと思えば、一息つく暇も無く車内から体重計を引っ張り出す。

彼女を抱きかかえたまま体重を計り、早見表にざっと目を通してから薬箱の錠を開ける。


「んっ!」


針の痛みか、鎮静剤の作用か。

小さな叫び声と、二度三度の痙攣。

ろれつの回らぬ声ともとれる荒い呼気を感じながら徐々に力が抜けていく身体を腕で支える

この子が意識を取り戻す頃には全て片がついているだろう。

取り出した毛布で身体を包み、後部座席から転がり落ちないようベルトで支える。



「これより帰還します……と」


端末を操作して保護したアニマルガールの種類と状態や怪我の程度を送信する。

これで向こうの受け入れ体制が整う手筈になっている。


「……」


端末を握りしめ一息いれる。

洞窟から逃げ出した彼女の尻尾が脳裏にちらつく。

その気は無かったが結果的に裏切ってしまったのだな、と言い訳を並べる。

どのみち車まで戻れば同じ結果になっていだだろう。

いっそ最初から凶悪な密猟者として振る舞うべきだっただろうか。


ふと我に返り、予め入力しておいたもう一通のメールを削除する。

元よりこの子の保護が主であって、彼女はあくまで「ついで」だ。

OKを押して空を見上げ、ぼんやりと流れる雲を眺める。


「ん?」


雲と青空の合間に小さな黒い点が目に映る。

鳥かと思えたその黒点は徐々に大きくなり輪郭がはっきりとしてくる。


「ジャスティスキーック!!」


風と共に降ってきた叫び声が目前に小さな砂塵嵐を作り出す。


「正義を貫くキャプテン・ハクトウワシ参上!パークの平和を乱す狼藉者め!」


巻き上がる砂塵を大きな翼がバサリと吹き飛ばす。

自由と正義の象徴たる襟詰めを身に纏い、ボコリと凹んだ地面に姿を現す。


「たとえ世間が許しても!この私が許さな――って、あれ?」

「よう、久しぶり」

「ドクじゃない。何してるの?」


「Doctor」を略した独特の愛称で私を呼ぶのは彼女くらいのものだ。

それを含めて洋画のような芝居がかった口調はわざとなのか、それともアニマルガールとしての特徴なのだろうか?


「仕事だ、それと私は医者じゃ無いと何度言えば――」

「似たような物でしょ?それよりドク!この辺でユーカイハン見なかった?アライグマ?だっけ?そんなフレンズを連れ去るアヤシイ奴なんだけど!」

「誘拐犯は知らないが、アライグマならさっき保護したばっかりだ」

「んん……?」


整った眉をひそめ首をかしげる。


ハクトウワシ。

アニマルガールは保護されているとはいえ、それが完全とは言いがたい。

彼女らを狙う脅威――それはセルリアンであり、時にはヒトであり。

そんな彼女たちを取り巻く状況で、アニマルガール達の中から自然発生した自衛の為の活動。

ヒト側と共に活動する個体も居れば、彼女のように独立性を重んじてヒト側に依存することなく活動を行う個体も居る。


「あっはっは!あなた、またユーカイハンと間違えられてるの!?」


合点がいったと言わんばかりにお腹を抱えて笑い始める。

余計なお世話だと言い返したいが、その一言が二言三言と帰ってくるのは目に見えている。


「あ、そうだ!ドク!一緒に連れ帰って欲しい子が居るんだけど」

「……一人か?」

「そうそう!ちょっと待ってて、すぐ連れてくるわ!」


疾風迅雷。

現れた時と同じようにあっという間に飛び去ったかと思えば、数分も経たないうちに両腕に何かを抱えて舞い戻ってきた。


「はい、目を開けてもいいわよ」

「ん……」


今度はバサリと羽音を立ててゆっくり舞い降りる。

彼女が抱えて連れてきたのは予想通りというべきか。


「わわっ」


洞窟で姿を眩ましたフェネックがハクトウワシの後ろに隠れて顔をひょこりと覗かせる。

先のことを思い出して気まずくなるのは自分だけではないようだ。


「はーい、時間が無いんだから早く乗りなさい」

「えっ?ええっ??」


私と彼女の間にあった出来事を知らない――知っていたとしても構うこと無く――戸惑うフェネックをぐいぐいと後部座席に押し込んでから、自らは助手席に乗り込む。


「なんだ、一緒に来るのか」

「ええ、ユーカイハンだけだとこの子が不安がるでしょ?それと何も言わなくてとも席を空けてくれる所は流石よね」


最初からそのつもりでしょ?と言わんばかりにウィンクを飛ばしてくる。


「ほら、二人を連れて帰るんでしょ。早く出発しなさい」

「はいはい」


急かされるままにキーを捻り車体を震わす。

ペダルを踏み、クラッチを操りながら、昨日刻んだ轍を辿りながらパークの方へと舵を切る。

「はーやっぱジドーシャ?は楽よねぇ」

「飛んでる方が早いだろうに」

「だって風に乗るまでは疲れるんだから仕方ないじゃない」


鳥類の羽ばたきは陸上生物の駆け足に近いもの、らしい。

そして、風に乗っていても相応に疲れる、らしい。

私自身が空を飛べるわけでもないので、真相は彼女らのみが知る。


「やっぱ道具に頼るってのは素晴らしいわねぇ」


うっとりとした目で窓の外を眺める。

以前から感じていたのだが、あまりこいつに文明の利器を与えてはいけない。

何というか、部屋で寝転がりながら菓子を片手に映画を見て自堕落な生活をおくる。

そんな気がしてならないのだ。


「ね?フェネック、あなたもそう思わない?」

「え、あ、うん……」


顔を上げたフェネックとルームミラー越しに目が合い……逸らされた。

仕方ないとは分かっていても、やはり寂しいものを感じる。


「……」

「……」

「……」


暫しの沈黙。

エンジン音とロードノイズが占める車内で、ハクトウワシの口からため息が漏れる。


「この人、本当は悪い人なんじゃないかなって思ってるでしょ?」

「えっと……」

「まぁ、この顔じゃそう思うのも仕方ないわね」

「うるさい」

「ああ、ほら、彼女が怖がってるじゃない」

「誰の所為だと……」

「だって、ドク。あなたほんと悪そうな顔してるもの」

「余計なお世話だ」


クスクスと笑うハクトウワシの軽口に乗っかる。

きっと彼女は、私とフェネックとの間に何があったのかを問い詰めてくる事はないだろう。

だから、こちらも彼女に甘えて何も言わずに調子を合わせる。


「ね、フェネック。ここ、見えるかしら?」


おもむろに髪をかき上げ、フェネックに首筋を見せる。


「えっ……?」


揺れる車内で息を飲み、身を強ばらせる。

彼女が見せているのは肩首から左脇腹に至る背中を二分する傷跡の一部。

彼女を見なくともわかるそれは、自身の正義を貫いて負った大きな傷跡。


「触ってみる?」


恐る恐る手を伸ばし傷跡に指先が触れる。


「痛く……ないの?」

「ええ大丈夫よ、ドクのお陰でね……ちょっとだけ、左腕が動かし難いくらいかしら」


ハンドルを握る掌にギュッと力を込める。

あのとき、その場で出来ることはやったつもりだ。

それが最善であったと言うつもりは断じて無い。

だが、もっと上手くやれば、彼女に不自由させずに済んだのかもしれない。


「私もあなたの隣に居る子と同じ、ドクに助けて貰った一人なのよ」


かき上げた髪を下ろし、手櫛で梳いて軽く整える。


「他にもグレビー、ミーア、コディアック……えーっと他には誰が居たかしら?」

「つい最近ならセグロジャッカルだな」

「ああ……どおりで『パークの平和を守るんだ!」って妙に力が入ってたワケね」


やれやれ、と肩をすくめて遠くを見つめる。

彼女とセグロジャッカルとの間に何があったのかは分からない。

ただ、ほんの少し、いや相応に苦労した様子が覗える。


「だからね!」

「わっ」


キラキラとした銀髪がふわりと弧を描く。


「彼のことを信じて、なんて綺麗事を言うつもりは無いわ。それを決めるのはあなたの自由なんだから」

「う、うん」

「ただあなたに、私を助けてくれた恩人……ううん、フレンドの事を誤解して欲しくない、それだけよ」


フレンド、あるいはフレンズ。

アニマルガールは自らの仲間達をそう呼ぶ。

ヒトに対する厳密な定義はまだ定まっていないが、彼女達の信頼の証ではないかとも言われている。

……私は、果たして彼女の良き友人たり得てるだろうか。


「それじゃドク、着いたら起こしてくれるかしら?」

「悪いユーカイハンを見張っておかなくていいのか?」

「ええ、大丈夫よ」


軽口を受け流しながら、まるでお手本のようなウィンクを一つ。


「だってあなたが居れば大丈夫だから、ね?」


======


――♪


セットしておいた端末が5分前を知らせる。

飲みかけの缶の中身をぐっと流し込んでから、上着をつかみ取り部屋を出る。


いつもの廊下、いつもの階段、いつもの車庫へ。

なにも変わらない日常。

けれども、今日は少し違ういつも、だ。


「――は――っという間なのだ!」

「おぉ、流石だねぇアライさん」


いつもは静かに閉じているドアが今日は半開きのままだ。

遅れたつもりは無いが、どうやら二人を待たせてしまったようだ。


「おはよう」

「ひゃぁ!?」


開口一番、随分と変わった挨拶が返ってきた。


「あ、おにーさん。おはよー」

「おはよう、フェネック」


パーク職員に支給される物と同じ制服に袖を通したフェネックとその後ろに隠れるアライグマ……もといアライさんだ。


「えへへ、どう?似合うかな?」

「ああ、悪くないぞ」


腕を広げて、制服のお披露目をしてくれる。

キチっと着こなしてはいるものの、少し大きいのか袖口が小さな手を半分ほど覆っている。

制服を着ている、というよりは、まだまだ着られているといった感じだ。


――ジャパリパークでは先日、一つの制度が施行される事となった。

日々、勢力を広げるセルリアンの脅威に対抗するため、アニマルガール……もといフレンズとのチーム制を導入する事を正式に決定した。

保護区内で活動する職員は必ずフレンズ達とチームを組んで行動する。

今日はその制度が始まってから、チーム初の出動となる――


「おーい、アライさーん、おにーさんが来たよー」

「ふえっ!?」


恐る恐る、といった風でフェネックの背後から顔を覗かせる。

足下から腰、胸元を経て目が合うとほっと一息。


「に、にーさん!驚かせないで欲しいのだ!」

「そんなつもりは無かったんだがな……すまん」

「う……に、にーさんが謝る必要はないのだ」

「だよねーアライさんが勝手にびっくりしただけだもんね?」

「そ、そんなことは無いのだ?」


楽しそうにじゃれ合う二人は、ずっと昔からそうだったかのような錯覚を覚える。


だが、ここに至るまで相当な苦労があったようだ。

保護直後は本当にひどい有様で、他のアニマルガールや職員だけでなく自身の影にさえも怯えていた。

それでも、担当スタッフとフェネックの根気強いケアの甲斐あって、ようやくここまで持ち直してくれた。


らしい。


というのも。

なにせ部署が違う私自身は直接関与出来る立場ではないし、そのつもりもなかった。

ただ時折、フェネックの口からその様子を耳にしていた。

どう接すれば良いかという相談から、吐き出したい悩み、そしてアライさんが心を開いてくれる過程まで。


「おにーさん?」


アライさんが他の職員やフレンズに慣れる次なる段階。

その手伝いをフェネックから申し込まれるのは時間の問題だった。

無論、関わる理由もないが、それと同時に断る理由もなかった。


「にーさんどうしたのだ?大丈夫な、わぷっ!」


こちらをのぞき込んできたアライさんの頭を無造作に撫でる。

初めの頃は手をかざすだけで怯えさせてしまったが、今では為すがままに受け入れてくれる。


「さて、そろそろ出発しようか」

「はいよー」

「わかったのだ」


席についてキーを捻り車体を震わす。

助手席にアライさん、その後ろにはフェネック。

二人のシートベルトを確認して、ペダルを踏み、クラッチを操りながら、いつもの巡回ルートに向かう。


たとえ体制が変わってもやるべき事は変わらない。

けれども、変わっていくべき所はある。


彼女達の信頼の証。

私をフレンズと呼んでくれたように、私も彼女らのフレンズに。

願わくば、このパークで多くの人々とアニマルガール達がフレンズと呼び合えるように。





以下後書きというか設定というか色々な言い訳。


【主人公(男)】

名前と設定考えるのめんどくさいなぁって。


【フェネック】

アライさんより少しおねーさんな雰囲気で。

「おにーさん」と呼んで貰いたい、ただその一心で書き上げました。


【アライさん】

フェネックよりも少し幼めな感じで。

パークでは人気者であって欲しいと心から願っています。


【ハクトウワシ】

某氏のハクトウワシに大分引っ張られてます。

いつかメインで話を書いてみたいなとは思っています。


【じゃぱりまんじゅうとLB】

存在が超便利。居ないとご飯周りで非常に苦労する。

時代背景的にはスタービーストの方が良いのでしょうけど、無機質さを前に出したかったので。


【確保、収容、保護】

財団とは関係ないです。


【餌付けの話】

代表的なのはソーセージと名付けられたヒグマのお話でしょうか。

動物の身体に悪いとか関係無く餌付けは絶対にしないでください。


【悪夢の話】

実体験に基づいています。勿論沈める方でしたが。

もしもこの世に呪いがあるなら、私は水死なんだろうなという覚悟はしています。


【担当スタッフ】

フェネックとアライさんの担当は「サトーさん」。

結局、出し損ねたのでいつかこの設定を使いたいです。

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