鬼狩り
一条光
鬼神(鬼人)の目覚め
最初に知覚したのは聞き慣れない少女の声だった。まだ幼さを残した可愛らしい声が俺に命令している。
「起きなさい、あんたはこれからあたしの……になるのよ!」
瞼を開けるとボヤけた視界が次第に明瞭となっていき声の主を捉えた。美しい少女と女性が居る。
ただし、妙なコスプレをして…………その姿を見た瞬間覚醒した意識を手放したくなった。これは一体どういう状況だ? この空間は――物置? というか納屋――二人の格好からして蔵と言った方がいいか。
薄暗い空間を見回すと古めかしい箱やら家具やらが所狭しと置かれている。そして何故か俺は大きな柱に鎖で手足共に拘束されて宙ぶらりん――妙な……夢だ!
そりゃ巫女服は良いものだと思うけど、そこに狐耳と尻尾を着けますかね。可愛いよ、そりゃ可愛いし二人とも綺麗だけど夢だからって好き放題にし過ぎじゃないか? やっぱり引きこもってる間に漫画やアニメ、ゲームのやり過ぎでこんな所にまで影響が出るようになってるじゃないか……自制しないとどんどん変な方向に行きそうだ。
闘病生活してる母さんの心配事を消す為に引きこもりを止めて学校に行くと決めたからには怠惰な生活は捨てて勉強に集中するようにしないといけない。
「醒めろ~、醒めろ~。今日入学初日なんだから変な夢見て遅刻とかマジ勘弁」
「ちょっと、あんた――」
「ああちょっと黙ってて、夢で起きてるって事はこっちで寝ればあっちは起きるはずなんだ。これより爆睡に入りますっ。ので静かにお願いします」
身体が不自由なため頭だけちょこんと下げてお願い申し上げた。少女は顔を引き攣らせ、困惑気味に笑顔を返してくる。この二人の顔を見ていると俺の中で何かが疼くようだが知ったこっちゃない。
「あ、あはは……おはようございます。
清らかで穏やかな空気を纏っていたお姉さんの方も困惑した様子で吸い込まれそうな程に澄んだ紫玉のように美しい瞳を向けてくる。
「ん……? その声は――」
「分かっていただけましたか。お久しぶりですね」
「なんてこった……末期症状だ。知ってるような声が再現されてる……別に特に好きな声優なんて居なかったはずなんだが」
「せ、声優? あの、航? 冗談はこのくらいにしませんか? お伝えしないといけない事が沢山……沢山あるのです」
切ない表情を浮かべた銀髪狐巫女はなかなかくるものが……流石夢、俺の趣味がバッチリ反映されている。対して銀髪狐ロリ巫女の方はなにやらイライラしたご様子。
「あぁ俺も続きを見たいような気はするけど初日から遅刻して変な目立ち方したくないんで寝ます。それに聞いたって夢の中の内容なんて半日もすれば消えるし、そんなものの為に割く時間が惜しい」
「ちょっと、あんたこの上まだ寝る気!? せっかく起こしてあげたのに、あたしが起こさなきゃあんた永久に眠ったままだったかもしれないのよ!?」
「あ~、そりゃどうも。でもどうせなら現実で起こして欲しかったよ。ま、存在しない架空の女の子にこんなこと言っても無駄だけど」
「ちょ――あんたねぇ…………」
少女は拳を握り締めてぷるぷるしてらっしゃる。夢の中とはいえ架空の存在扱いはマズかったか。
「待ちなさい
「え゛? ……い、いや~、だってそれは神楽さんと神奈おばあちゃんの張った結界が思った以上に封印と複雑に絡み合ってて……それに神楽さんが全力で掛けた封印思いの外複雑で力の制御が……でもほんのちょっとだけでしょ」
「弾けさせましたね?」
お姉さんに凄まれて可哀想なくらいに少女は縮こまる。なにやら起こっているようだ、気になる……夢なんて大抵内容の薄い意味の無いものだがちょっと見てるのが面白くなってきた。
「…………はい……ごめん、なさい。でも、まさかそれで!?」
「どう考えてもそうでしょう……あぁ、せっかくあの子の目的が果たされたというのにこんな……航、ごめんなさい。
お姉さんは額に手を当てて大きなため息を吐いた後に綺麗な所作で深々と頭を下げた。なんで俺は謝られているんだ? さっきから封印だの結界だの漫画やゲームでしか聞かないような言葉が飛び交っているが、拘束されているのと関係があるのか? こんな内容の漫画なんて読んだかな……?
「もう一度聞きますが
「ああ知らない。最近狐姉妹が出るような漫画読んでないし」
「ま、漫画……あ、ああ、あああああっ、どうしよう!? ねぇどうしよう鬼灯様! あたしこいつの記憶消し飛ばしちゃった!?」
狼狽えて変な鳥のような声を発した後に少女が気になることを言った。記憶を消し飛ばした?
……いや、特に欠落している部分はないと思うんだが――小学校低学年までは普通の幸せな一般家庭で育った。だがクソ親父が爺さん婆さんの会社を継ぐ為に引っ越しをした辺りから色々狂い始めた。大切な友達や居場所を失い、転校先ではいじめが蔓延り、止めようとしたら逆に村八分にされ、クソ親父は夢を追いたいとか言って浮気して蒸発、俺や母さんを息子の付属品としか見てなかった爺さん婆さんに家を追い出され、中学に上がる頃には人間を信じられなくなって引きこもり生活。
女手一つで頑張っていた母さんは心労で癌になり、
「なぁ、別に俺記憶は失ってないからそろそろ起きたいんだけど、この夢どうやったら終わるんだ? 一向に寝れないし、寝るの=起きる、じゃないんだろ?」
「航、これは夢ではありません。現実です。あなたは長い眠りから目覚めたばかりなのですよ」
「ほほ~? なら銀髪美人な狐お姉さんが現実だと? それなら証明してくれ、これが現実だって」
百歩譲って銀髪や紫の瞳はありとしよう。神代市の人達は先祖に妖が居たとかで(真偽はともかく)変わった色をした髪や瞳の人が多かったはずだし、だがあのぴこぴこ動いてる頭の耳と触ったら絶対に気持ち良さそうなもさもさの尻尾はどう説明する?
「そう、ですね……ならそこから下りて来てくれませんか? 封印は解けているので航の力でその鎖は簡単に壊せるはずです」
何言い出すんだこの人は、こんなデカい鎖を現実で壊せるはず――壊れた……鎖を引き千切り床に下り立つがバランスを崩して手を突いた。
まるで身体が立ち方を忘れているみたいな変な感覚だ。こりゃやっぱり夢だな。
「おはようございます。これで少しは信じられますか?」
ごく自然な動作で、柔らかく、母親が小さい子供にそうするようにそっと抱き締められた。触れたぬくもりや柔らかさはたしかに本物のようで……俺の背中に回すようにして寄り添っている尻尾が……尻尾がめちゃくちゃふさふさふわふわなんですけどっ!? こ、これ温い……本物!? い、いや待て、いつから現実に狐美少女と狐美人が出てくるようになった? 狐……? そうか化かされてるんだ。
神代市は
「あぁ……今度はこいつが混乱してるわ。はぁ……やっちゃったなぁ、今までこの為に準備してきたのに、近年稀に見る大失敗だわ。こんな時に電話……分家からか――はい……はい。えぇ、こんな朝っぱらから……そんくらい自分達で対処――あぁもう、分かりました。行けばいいんでしょ、行けば! 航色々ごめん、帰ったらあたしがちゃんと説明するから待ってて」
咲夜と呼ばれていた少女は電話を受けるとそれだけ言って走り去った。速い……消えるように居なくなったな。というか――。
「学校!」
マズいマズい、これが現実なら――入学一日前に神代市に来て眠ったんだから今日が入学式だ。今何時だ? 時間、時間……視線を彷徨わせると壁に掛かった古めかしい時計が目に入った。どうやら動いている、ということはもう八時過ぎてるんですけど!?
「あっ、航!?」
「ごめん、遅刻はマズい。終わったらまた来るから、そしたら話の続きを聞かせてくれ」
「航駄目です。今の世界はあなたにとって――」
お姉さんの腕をほどいて蔵から飛び出した。なるほど、神社っぽい。本当に巫女さんなのかも? ――とか今はどうでもよくて、たしか町の中心に山があってそこが神社だったはず。境内を走り鳥居を見つけるとそこから町が一望出来た。なんか……前に手続きで来た時と景色が違う……? ビルやマンションが多くなって緑が減っている気がする。
「家があっちで、学校はこの方角――あった」
違和感がある気がしたが気のせいだろう。荷物を取りに戻る時間はない、入学式だけなら大して必要な物はないだろ――しまった服――あれ? 制服着てる。もう訳が分からん。この状況をさっきの巫女さんなら説明してくれるのかもしれないが――でも、やり直す第一歩で遅刻は駄目だ。そう思った俺は鳥居の連なる石段を一気に駆け下りた。
「どうなっとんじゃーっ!?」
建物が違う、制服が違う、持ち物が違う! 校門を抜けて見た光景で違和感は頂点に達した。制服や校舎は俺の記憶違い――の可能性は低いけどそうだとして、だとしてもなんで刀や薙刀、弓を持ってるやつが多いんだ? それに普通に校庭で振ってるし射ってるし……弓道部なら弓道場、剣道部なら剣道場だろ――って刀使う剣道なんて学園にあるはずねぇ!
おかしい……やっぱり夢見てんのかな……引き返すべきか? でも町の様子も異様だった。あれを引き返すのは……それより校舎に入って教師でも探して話を聞くべきじゃないか?
「何あの服、転校生? 随分古くない?」
「たしかに、どんな田舎者だよ」
目立ってるな……ブレザーの中に学ランだからな。生徒らしき人達が足を止めてこちらを窺い始めた事に耐えられずに逃げるようにして校舎に入ってしまった。
学生の異様さはあるが校舎の中は意外と普通だ。中学はまともに行ってないから覚えてないが学校なんてどこも教室が並んでて大差無い――のはいいが職員室はどこだ!? 人目を避けてたら人っ子一人いなくなった。
「明らかにこの辺に職員室はないよな――声?」
人に聞くしかないかと考え始めていたところに聞こえた声に引き寄せられるようにしてその教室の戸の前に立った。
「鬼?」
教室を示すプレートには鬼の一文字、どういう意味だ? 首を傾げて戸の小さな硝子窓から覗き込み息を飲んだ。
肌が透けそうなほどに薄い襦袢を来た女の子が相手を見下すような目をした男子生徒に嬲られている。女の子は涙を流してはいても抵抗はしていない、無駄だと諦めているのか別の理由か。
男が牙を見せ後ろから押さえつけその首筋に――女の子と目が合った。その瞳は大きく見開かれて『助けて』と声もなく呟いた。
その瞬間俺の中で何かが燃え盛った。知りもしない
完全に何かが弾け戸を蹴破り驚きで固まっている男子生徒の顔を殴り飛ばした。
その瞬間トラックでも突っ込んだかと思うような轟音と共に窓側の壁をぶち破り彼は校庭まで吹き飛んだ。
さっき以上の驚愕と共に女の子が俺を見上げる。だが驚愕は彼女だけのものじゃない――なんじゃこりゃー!? 俺は全力で殴っただけだぞ? たかだか高等部一年の力だぞ? 漫画じゃあるまいしどうしてこんなことに!?
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