日常 3

その日、私の苛立ちは絶頂に達していた。それは三限目の出来事が関係している。三限目の授業は総合だった。総合的な学習という総省のこの授業は正直将来何のためになるのか分からないような社会科見学、ボランティアなどを推奨している授業であり、私はこの授業が何よりも面倒だった。

 

講堂で授業を行う時はまだいいけど、教室でただ意味のないような話を聞くだけの日は苦痛でしかなかった。そんな苦痛の解消法としては、まず机の下でスマホをいじる。それに飽きたら机に突っ伏して寝る。この二つしかない。担任の先生も私にあきれているのか、以前までしてきた注意もここ最近はしなくなった。その変化が、正直私には心地よかった。

 

でも、今日は誤算があった。それは今日に限って何故か担任が休んだこと。そのせいで、今日の総合の授業は学年主任によって行われたこと。そんなことは気にも留めず、いつも通りスマホをいじってしまったこと。全く、習慣とは恐ろしい。私の学校は授業中の携帯の使用は認められてないため、結果的に私はこっぴどく怒られ、それと同時にスマホまで取られてしまう顛末だった。学年主任は「携帯を三日預かる」と言ったが、その三日で何か変わるようなことはないと、私だけじゃなく、先生も分かっているはずだ。社会には、この世界には無意味なことが多すぎるとつくづく思う。

 

スマホを没収されたことに対して、窃盗罪で訴えてやろうかと思ったけど、思っただけで何もすることはなかった。そのせいで、私のイラつきはピークに達していたわけだけど、それに加えて反省文を三枚かけなんて言われるものだから、もう爆発寸前だった。

 

果歩と優香に愚痴っても全然怒りが収まらないので、私は一つの行動を起こした。

 

昼休み、私は一人寂しく机に座って本を読むあいつの席に向かう。

 休み時間を共に過ごす友達なんていないから、退屈しのぎで本を読んでいるのだろう。私は友達がいないんじゃありません。本を読むことに集中しているから一人でいるのです。そんな風に周りに見せつけて、一人ぼっちの状態を少しでも緩和しようとしているのだとしたら、何だかそれはとても痛々しい。

 

そんな奴には何か仕事を与えてあげた方が、あいつの為にもなるだろう。そんな悪だくみを引っ提げて、不敵な笑みを浮かべながら小倉さつきの目の前に立った。

 「ちょっと、本読むことしかないくらい暇なら手伝ってほしいことがあるんだけど」

 

目の前に立った私に気づき、小倉が顔を上げる。わざと威圧的な物言いをしたのに何一つ堪えていないような表情を見せた小倉にまた腹が立つ。

 

私が声を発したと同時に、クラス内の視線が私に集まったのがわかった。でも、そんなことはどうでもいい。私はクラス内でヒエラルキーのトップ集団に属していると自覚している。私の行動にいちいち口出しできるような人間はここにいない。

 「何かな」

 

小倉は、私を迎え入れるような笑顔を見せた。その笑顔のせいで、今から言う私のセリフがものすごく悪いことに思えた。何なのこいつ。私の中で、何かが爆発した。もう徹底的にやってやろう。

 「あんた、本読むくらい暇なら私の反省文手伝ってよ」

 

困った風な表情を浮かべた小倉が次に言い放った言葉は、私の想像する範囲をゆうに超えた。

 「本を読んでるのは暇だからじゃないよ」

 「は、何言ってんの」

  小倉の言った言葉に対して、反射的に言葉が出た。

 

 「好きだから本を読んでるだけだよ。あと、私じゃ反省文は書けないよ」

 後で「ごめんね」と小倉が発した気がした。もしかしたらそんなことより先に、私は行動していたかもしれない。

 

 気が付くと、小倉が床に倒れていた。その横には、小倉が座っていたであろう机が横たわっていた。一瞬、クラス内で悲鳴が上がった。それは一瞬で静まり返り、その悲鳴自体がなかったかのような静寂が訪れる。それを壊したのは、私だった。

 

 「手伝ってくれって言ってるじゃん。お前、クラスメイトの手助けもできないわけ、お前、みんなから便利屋って呼ばれてんの知ってる。それすらできないなんて、ほんと、ここにいる意味ないじゃん。早くどっかいけよお荷物」

 

 息継ぎせずに怒鳴ったせいか、息が荒い。呼吸を整えながら、床に倒れこむ小倉の様子を伺った。

 小倉は何も言わず、ただ私を見ていた。

 「何か言えば」

 「ごめん」

 そう言う小倉の表情は、何かをこらえているように思えた。

 

 今、この教室内に流れる音は、私と小倉が作り出しているもの以外何もなかった。果歩と優香は、何をしているんだろう。あの二人なら、私に加勢してきてもいい気もするけど、多分、空気を読んで私を見守っているのだろう。そういいように思い込まなければ、得体の知れない恐怖が襲い掛かってきそうだった。

 「あんた、それしか言えないわけ。何度もごめんごめんって、別にあんたが本読むの好きとか誰も聞いてないんだよ。いいから私の反省文やれって言ってんの」

 小倉は何も言い返さなかった。私はさらに追い詰める。

 

 「てか、さっきから床に座り込んでさ、誰かに助けてもらえると思ってんの。ただでさえ動きがとろいんだから、さっさと立てば。いつまでも悲劇のヒロインぶってんじゃねーよ」

 反省文をやってほしいとか、そんなことは正直どうでもよかった。ただ、この苛立ちをぶつけるのに丁度いい相手が小倉だったというだけだ。小倉は倒れた椅子に手をかけて、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。泣いていたような気がしたけど、そんなことどうでもいい。小倉をストレス発散の道具にできたことでとても気分が良かった。

 

 今日のネタはこれだなと、思っていた矢先、私の高揚した気分は一瞬にして地べたにたたきつけられた。

 「何をしてる」

 

 声を張り上げて教室に入ってきたのは、先ほどまで私を怒り散らしていた学年主任だった。ああ、やられたと思う。

 

 私に向かって、学年主任が歩み寄る。クラスには、先ほど私が大声を出した時とはまた違う騒然とした雰囲気が醸し出されている。

 「木下、何をしてる」

 私は、何も答えられない。

 「何をしてるか聞いてるんだ」

 

 そんなに声を張り上げなくても、ちゃんと聞こえてるのに。でも、今ここでそれを答えてしまったら、私は自分の行っていることを認めてしまうことになる。少なくとも、ここでは言いたくない。少しずつ、心臓の脈打つスピードが速くなる。

 私は、何も答えられない。小倉も、顔を下に向けて何も話そうとしなかった。

 

 「木下、職員室に来なさい」

 しびれを切らした学年主任が、私を教室から連れ出そうとする。私はただ「はい」と答えた。

 

 結果的に、今回の一件を通して私は一週間の謹慎処分を受けたわけだが、なんだか夏休みが増えたような気がしてラッキーだった。まあ、親にはこっぴどく怒られた訳だけど。小倉の家に謝りに行くという話も出たが、小倉がそれを拒否したので中止となった。小倉自身決まりが悪かったのだろう。確かに、自分をいじめた相手がわざわざ自宅に謝りに来るなんて、どんな顔して迎え入れればいいか分からない。

 

 この謹慎期間にどうやら英語のテストがあったらしい。謹慎中で学校に行けない私は無条件で追試になった訳だけど、それは少し不平等な気がした。

 でも、この期間中に一つだけ再確認できたことがある。それは、、、

 「薫、元気にしてる」

 

 インターフォンが鳴って玄関のドアを開けると、そこには果歩と優香がいた。二人とも笑みを浮かべながらあいさつ代わりに手を振っている。ここ最近クーラーの効いた部屋で優雅に生活していたせいか、ドアを開けた時に入ってきた熱風に圧倒される。外はギラギラと痛いような日差しが照り返していた。

 

 「今日めっちゃ暑いよー。薫入れてー」

 「何々うちに涼みにきたの」

 円満な雰囲気を出しながら、二人を部屋に招き入れる。クーラーを効かせたこの部屋と外が、同じ世界だなんて思えなかった。

 

 二人は部屋に座ると同時に、「じゃーん」と効果音をつけながら英語の教科書を取り出した。

 「何、急にどうしたの」

 「薫、英語苦手でしょ。だから、今日は私達が先生になってあげる」

 

 優香が鼻高そうに話す。隣で、果歩は笑う。

 「優香だってそんなに英語得意じゃないでしょ。私だよ。私が先生」

 「いやいや、今回私そこそこ点数良かったからね。私も教えられるもん」

 

 そのやり取りが、ここ数日学校に行っていない私には微笑ましく思えた。

 「二人とも、ありがとう」

 「何々、急に改まっちゃってー。いいよ、薫が夏休み満喫できるように手伝ってあげる」

 

 そう言うと机を挟んで正面に座っていた果歩が、私の肩をさする。隣の優香は優しそうな表情を見せながら微笑んでいる。

 

 ふと、窓の外を見る。そこから見える木の枝に、親子であろう鳥がとまっていた。その光景が、何だか微笑ましい。やっぱり、外は暑いんだろうな。そんな暑さとはまた違う暖かさが、この部屋の中に充満している。友人たちから醸し出される心地よさにほっとしながら、この暖かさがずっと続くと思っていた。こんなにも友達思いの友人を持てたことが、私にとって唯一の誇りだった。それを失いたくないと、静かにそう思った。

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