赤銅色の小さな巨人
激しく軋み、ほんのわずかに傾いた氷の巨塊。
だがその現象は、氷塊全体からしたらささやかすぎるものだった。
『……何かしたか?』
故に、フリームスルスは気付かない。
コロナが氷塊の端を持ち上げていることに。
『てりゃあ!』
かわいらしい掛け声と共にコロナが一気に氷塊を傾ける。瞬間、難破寸前の大型船のように氷塊のあちこちが悲鳴のように軋み始めた。
そしてようやくフリームスルスは事態に気付く。だが、もう手遅れだ。
『なっ!? 幻惑……いや、これは、本当に!?』
『はい。やたらと大きな氷の塊ですが、わたしに掛かればこんなものです』
俺の目の前では、巨大な建物並みの氷が45度ほど傾いて倒れ込んできている状態だ。
……見てるだけで平衡感覚が狂いそうな光景だ。これからもっと酷いことになるし、もう座って眺めるとするか。
巨大な氷塊を持ち上げて45度ほど傾けたコロナだが、当然これで終わりではない。
第二段階で水面下への逃走を阻止し、第三段階で全方位からの攻撃を叩き込んだ。その結果として、攻撃であれ防御であれ全周に氷を展開するはず、というのが俺の予想だった。
まあ、アニメでもゲームでも、強い敵は変身だの大技だのを使ってくるのがセオリーだし。
それを踏まえての『第四段階』。それは、相手が氷の展開に気を取られている隙にコロナの超馬力で空高く投げ飛ばす、というもの。
これまでは取り込まれて氷漬けにされる危険性があったために出来なかったが、全周に氷を展開しているならば、意識的にも構造的にも隙ができるはずだと。
そして結果は、思惑通り。
フリームスルスは前後左右と上へは氷を拡張していたが、下方へは氷をほとんど出していなかった。それもそのはず、まともな相手なら何もせずとも潰せるだけの重量がこの巨大氷塊にはある。
そして、それだけ重いものを持ち上げたりひっくり返したりなどというのは、まず起こり得ない現象だったのだ。
だから、下方に氷を生成して捕まえる用意など、あるわけがなかった。
……まあ、俺が想像していたのはこれの10分の1くらいのスケールだったので、力技で策を突破されたと思ったのだが──
『ご存知でしたか? 氷って軽いんですよ!』
そんなことを言いながら、コロナはロケットの打ち上げもかくやという勢いで、すさまじい噴射炎と爆風を撒き散らしながら、ズゴゴゴゴ……と飛び上がっていく。何千倍、何万倍もの体積の巨大な氷塊を担ぎ上げながら。
力技で策を超えてきた相手をさらに上回るパワーの力技でねじ伏せるという、スーパー脳筋展開である。
ある程度勢いがついたところでコロナはスピードを落とし、慣性で上空へと飛び上がっていく巨大な氷塊を眺めている。
このまま重力に任せて落下させても大ダメージは与えられそうだが、まあそれをやると俺が無事では済まないというか普通に死ぬ。
というか、
『ふわはははは!! その馬鹿力には驚かされたが、投げ上げただけではないか! まさか落下の衝撃で我を倒せると思い込んでおるか?』
フリームスルスにも何か手があるらしい。遥か上空で地鳴りのような音を響かせながら、その巨大な氷塊のシルエットはゆっくりと形を変えていく。
……どうやら変形するらしい。
さて、ここまで来たら俺なんかにできることはもうない。
俺は額の円盤に向かって、コロナに呼びかける。
「コロナ、あとは任せた。好きにやってくれ」
『了解しました! もちろんそのつもりですよ!』
コロナがこう答えるってことはもう勝ったようなもんだな。何をする気かは知らないけど。
投げ上げられた巨大氷塊はゆっくりとその形を変えていく。具体的には、節足動物を思わせる巨大な脚が4本生えている。
あれで着地できるのかは知らないが、まあ向こうがその気なんだからできるんだろう。
だが、コロナは着地を許すつもりもないらしい。
『ただ投げ上げただけ──本当にそう思いました? わたしの空中戦能力はドラゴンを上回ります。そして何より、空なら手加減なしで全力を出せますから』
そう言いながら、コロナは巨大氷塊の真下に移動。背面飛行でホバリングしながら、両手を腰だめに構えた。
その両手が真っ赤な光を放ち始め──
『『
世界が真っ赤に染まった。
夕焼けの真っ赤な空を目の前に凝縮して貼り付けたかのような赤。
直後、世界を引き裂かんばかりの大轟音が遅れて鳴り響く。
コロナの両手から放たれる真っ赤な光の柱は、巨大な氷塊の中心近くに炸裂。眩しすぎてその先がどうなっているかは見えないが……。
急に、バリバリバリィ!と雷でも落ちたかのような音が、メルターレーザーの轟音の向こうから聞こえてきた。見れば、氷塊に地割れのような亀裂が走っている。加熱による歪みに耐えきれなかったのだろう。
そして、次の瞬間。
縦横に無数の亀裂が走り──巨大な氷塊は、大小様々な破片となって大空に飛び散った。
こんだけ派手に爆散したんだし決着だな、と思っていた俺は甘かったらしい。
『我は、我こそは……フリームスルス。二度も、負けるなど……今度こそ、勝つのだ……!』
爆散した無数の欠片のどこかから、フリームスルスの執念そのものの声が降ってくる。
そして無数の欠片がホバリングするコロナ目掛けて襲いかかった……はずだった。
だが、そこにはもうコロナの姿はない。
『いいえ、わたしの勝ちです。何故ならここは空ですから』
噴射炎の軌跡だけを残して、コロナは猛スピードで飛び回っていた。俺の目では追えないほどの、複雑な超高速機動だ。
そして、コロナはただ飛び回っているだけではない。軌道上の氷塊の欠片を、時に粉砕し、時に融解させ、瞬く間に水と蒸気に変えていく。
『速い……! これほどの速さは我も知らぬ。だが、その速さでは我の居場所は掴めまい!』
『その必要はありません』
『何?』
『どれが本体であろうと、いくつ本体があろうと、関係ありませんよ。ひとつ残らず壊しますので』
フリームスルスが絶句する。まあそれも無理はないが。
飛び散った氷の欠片はどう見ても千個は下らない。数万でもおかしくない規模だ。それが今この瞬間にも、飛び散りながら地面に向かって落ちていっているのだ。
それでもなお、コロナの飛翔を振り切ることができない。
これほど大きな体が、これほど粉々に砕かれてなお、欠片のひとつとして逃れることができない。
それが、容易に想像できてしまった。
勝敗は誰の目にも明らかだった。
かかった時間は10秒もなかった。
爆散し、空に散らばっていた無数の氷塊の破片。それらは一つだけを残し、縦横無尽に飛び回るコロナによって、水と蒸気に変えられた。
そして、最後の一つ目掛けて、急旋回からの急加速でコロナは飛び込んでいく。
『貴様──』
己の最期を悟り、最後の欠片に潜んでいたフリームスルスは何事かを言おうとした。
しかし、それよりも早く
『『ラヴァ・カッター』!!』
赤熱した超硬の手刀が、一閃。
すれ違いざまに振り抜かれたコロナの手刀が、最後の欠片を真っ二つに切断した。
二つに分かれた氷は、切断面から空気中に溶け出すがごとく蒸発し、瞬く間に消滅。
二本の武器──伝説の聖剣と氷像の錫杖──が、零れ出るようにコロナの手元に落ちてきた。
そして、空を覆い尽くした氷の巨体は雨となって降り注ぎ、初めから何もなかったかのように消え去った。
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