第5章 リ・チャレンジ ⑧悲しい母性
翌朝のワイドショーはその女性の話題で持ちきりだった。
美羽はその日は遅番で、流が出かけた後、空をあやしながらネットでワイドショーを観ていた。
ある番組では、司会者や常連のコメンテーターの他に、政治家やITの専門家が出演している。女性の元夫が、顔と名前を出さずに中継でインタビューに答えていた。
「レンタルベイビーに不合格になった時点で、スイッチは確かに切れていました。それでも返そうとしないから、『動かないのに持っていてもしょうがないだろ?』って、説得したので……。だから、動いているって話を聞いて、驚いています」
「スイッチを解除できるような技術を持っていたとか……」
男性アナンサーの問いに、元夫は、「妻がですか? いやいやいや、それはないです。とにかくメカオンチで、パソコンを買っても、初期設定すらできないんですから。それはあり得ないですね」と打ち消した。声の感じからすると、40代前半ぐらいだろうか。
「奥様は、やはり、不合格になってショックを受けていらした」
「ええ、それはもう、ものすごく取り乱していました。業者さんが引き取りに来たときも、泣くわ叫ぶわで、手をつけられなくて……。で、最後にもう一度、抱かせてほしいって懇願したから、業者さんが抱かせてあげたんですよ」
「レンタルベイビーを」
「そうです、レンタルベイビーを。そうしたら、『しばらく二人きりで別れをさせてほしい』って言って、子供部屋にこもったんです。いつまで経っても出てこないなって様子を見に行ったら、窓から逃げていて」
「えっ、窓から飛び降りたってことですか?」
「うちはマンションの一階ですから、窓から外に出ようと思えば、出られるんです。レンタルベイビーをつれて、逃げてしまって。それから半年ぐらい、足取りがつかめなかったんです」
「でも、半年も逃げ回るなら、お金とか、色々必要ですよね?」
「ええ。後で分かったんですけど、本人は不合格になるって分かっていたみたいで、あらかじめ荷物をまとめておいたらしいんですね。別れたくないって泣き叫んでたのも、演技かもしれないです。それで油断させて、逃げ出して。僕も共犯じゃないかって警察に疑われて、えらい迷惑でしたよ。でも、半年でお金が尽きちゃって、鹿児島にいるって言うから、僕が説得しに行ったんです」
「鹿児島なんて、随分遠いところにいたんですね」
「ネットの掲示板で知り合った人が妻に同情して、しばらくかくまってくれてたらしいです。その人も、途中でつきあいきれなくなって、逃げ出したみたいですけど」
「それで、レンタルベイビーを持って帰って来たんですか?」
「ええ。その時は動いてなかったんです。だから、さっきも言ったように、『動いてないのに、持っていてもしょうがないだろ?』って説得して。そうしたら返しに行くって言うから、支援機構まで一緒に行ったんですよ。でも、支援機構の前で、『ここからは私一人で行く。あなたに罪はないから』って言うから、一人で行かせたんです。その時に、返すフリして、返さなかったんでしょうね。リュックを持っていたから、そこにレンタルベイビーを入れて出てきたんだと思います」
「支援機構の建物の中には入ったけど、返さなかったってことですか?」
「だと思います。その前に離婚していたから、僕はそこで別れて、後のことは何も知らないんですよ。かなり経って、支援機構から『まだ返却されてない』って連絡があったんだけど、その時点では、もう連絡を取り合ってなかったから、どこにいるのかも分からなかったし。一昨日、警察から駅で騒ぎを起こしたって連絡があって、昨日、逮捕されたって聞いて……まさか、ホームレスになってたとは、思ってもみなかったですね」
美羽は息を呑んだ。ホームレス。確かに、見た目はかなり薄汚れていた。レンタルベイビーをつれて、野宿をしていたということだろうか。
「でも、こんなことを言うのはなんですが、レンタルベイビーってロボットですよね。もちろん、愛情をこめて育ててる方もいることは分かってるんですが、ロボット相手にそこまで執着するなんて……」
女性のベテランコメンテーターの言葉に、元夫は大きなため息をついた。
「だから、僕も何度も説得したんですよ。ほかに愛玩用のロボットなんて、いくらでもあるじゃないですか。最近は、レンタルベイビーをする前に、レンタルベイビーの子育てを体験するプレロボットも出てるじゃないですか。あれを買ってあげるよって言ったんですけど、『あれはまゆじゃない』って言うし。どうしたらよかったのか……」
「そもそも不合格になったのは、旦那さんが協力的ではなかったからって、本人は言っているそうですが……」
女性の若手アナウンサーの一言に、元夫は一瞬、言葉に詰まった。
「仕事が忙しくて、家にいる時間が少ないから、しょうがなかったんです」と早口で答える。
「どこの家庭もそうじゃないですか? 僕だって、何とかしたかったけれど、どうしようもないっていうか……。そもそも、こんな制度があるからいけないんですよ。レンタルベイビーがなければ、妻もあんなに追い詰められたりしなかったわけだし」
「でも、レンタルベイビーだったから、まだよかったんじゃないですか? リアルな子育てだったら、奥さんは一人で育てなくちゃいけなくて、もっと追い込まれていたかもしれないでしょう。自分の子供を虐待してたかもしれないじゃないですか。そういうのを防ぐために、そもそもできた制度なんですから。今回の件で、やっぱり必要な制度だって、私は再認識しました」
スタジオにいた与党のベテラン女性議員が、すかさず反論した。元夫は何も返せない。
「それにしても、どうして一度スイッチが切れたレンタルベイビーが、また動いたんですかね」
男性アナウンサーの問いに、スタジオにいたITの専門家が、「原因はこれからレンタルベイビーを解体して調べると思うんですが、今の段階で考えられるのは、何らかの誤作動が起きて動き出したのか、AIがディープランニングをしたのかの2つだと思います」とテキパキと話す。
「AIがディープラーニングをして、元々プログラミングされていない動作をするようになったっていうことですか?」
「そうです。実際に、そういうケースが増えていますからね。この間もアメリカで、ディープラーニングした国防省のAIが勝手に核兵器の売買を始めて、アメリカ中の核兵器が売られそうになったことがありましたよね。もし丸裸になってしまったら、アメリカに攻め込む国があってもおかしくないわけです。ディープラーニングによって、一歩間違えば国の存亡に関わることも起こり得るんです」
「その事件の時は、国防省のAIをすべて壊してましたよね」
「そうです。それぐらいのことをしないと、止められないんです。それも、気づくのにもう少し時間がかかっていたら、AIを壊せないようにAI自身が学習していたかもしれない。そうなったら、第三次世界大戦が起きていたでしょうね」
「いやあ、怖いっ」と、女性アナウンサーが眉をひそめる。
「そこまでするAIが出てきたことを考えると、レンタルベイビーに搭載されたAIが、この女性と一緒に過ごすうちに我々が思ってもいないことを学習して、勝手に起動したっていうことも考えられます」
「我々が思ってもいないこと、とは」
男性アナウンサーが聞くと、「そうですね、たとえば愛情とか、思いやり、利他の心、とかですかね」と、専門家は真顔で答えた。
「レンタルベイビーに愛情を注いでいる女性と一緒に過ごすうちに、その女性に対して何とかしてあげたいという気持ちが芽生えたのかもしれません。悲しんでいるから元気づけようとか、自分が笑うと喜んでくれるから、笑ってあげようとか」
「そんな夢みたいなことって、あるんですかねえ。まるでおとぎ話じゃないですか。科学的な話じゃないでしょう」と、政治家は半ば呆れながら言った。
「僕もそう思いますよ。おとぎ話みたいであり得ないって。でも、世の中、何が起きるか分かりませんから」
専門家はバカにされても、冷静に返した。
「それで、そのレンタルベイビーは今も動いてるんですか?」
女性アナウンサーの問いに、専門家は首を振った。
「いえ、女性から取り上げてしばらくしたら、スイッチが切れて動かなくなったらしいです。その後は、スイッチを入れても全然動かないらしいですね。完全に壊れたって話を聞きました」
その答えに、スタジオ中がシンと静まり返った。
美羽は映像を切った。
昨日レンタルベイビーをあやしていた女性の表情を思い出した。一点の曇りもない、母性に満ちたまなざし。
でも、どんなに愛情を注いでも、永遠に合格できないのだ。永遠に、本物の子供を持てないのだ。レンタルベイビーは、そんな女性の気持ちを理解し、応えてあげようとしたのか――。
――本当に歩いたのかもしれない。あの人のために。
涙がこみあげてきて、空を抱きしめながらしばらく泣いた。
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