第1章 レッツ、レンタルベイビー! ⑤おむつのレクチャー、スタート
テーブルに紙おむつが1つ置かれた。
「ちっちゃ~い」と、美羽は思わずつぶやいた。口元がほころぶ。
「布おむつはないんですか?」
先ほど山野辺の説明に口を挟んだ女性が、また尋ねた。山野辺は「布おむつ……?」と困惑したようだ。
「私はこの子を布おむつで育てたんです。今は紙おむつが主流なのは分かるけど、布おむつのよさを見直す運動も起きていること、ご存じないんですか?」
「はあ……すみません、勉強不足で」
山野辺は微妙な笑みを浮かべた。
「昔は布おむつは洗濯が大変だからって敬遠されたけど、今は洗濯ロボットに任せられるじゃないですか。それなら布おむつでいいんじゃないかって、布おむつを試す人が増えて来てるんですよ。オーガニック素材の布おむつなら赤ちゃんの肌にも優しいし」
「お母さん、やめてよ」
隣にいた30代前半ぐらいの女性が、小声で母親を止める。その顔は真っ赤になっている。
「そうですね、布おむつについては私も最近の動きを存じ上げないのですが、最近の紙おむつは限りなく布おむつに近い肌触りになっています。おむつメーカーも研究を重ねて、布おむつと紙おむつの両方のいいところを掛け合わせたおむつをつくろうと、長年開発してきてるんです。触っていただけると分かりますが、この紙おむつは本当に布っぽいんですよ」
山野辺の言葉を聞いて、美羽は紙おむつを触ってみた。
――ホントだ。紙じゃないみたい。
「布っぽいんですけれど、軽いですし、丈夫ですし。ギャザーがしっかりしているのでウンチが漏れたりしませんし。これはお使いいただいている親御さんたちからも好評」
「でも、これは布じゃないでしょ。あくまでも布っぽいっていうだけで。布のよさにはかなわないはずでしょ」
女性はまた山野辺を遮る。納得できないのか、今さら引けないのか、認めようとしない。
「うちの娘には布おむつをやらせようと思ってるから、今日もそのトレーニングをできると思って来たんだけどねえ……」
「えっ、私、布なんて嫌だけど。紙で育てるから」
娘が思わず反論すると、女性は目をむいた。
「布おむつで育てたほうが、丈夫な子供に育ちやすいっていうデータもあるのよ? 紙おむつだと、人間に必要な不快なものや危険なものを察するという能力が鈍くなってしまって、身体能力が衰えるっていう欧米のデータが」
「もういいって、そういうの。私は紙で育てるって決めてるから。嫌なら出てって」
娘は冷たく言い放つ。女性の顔はみるみる赤くなっていった。
「早く進めてくれません? 仕事を抜け出してきたんですけど」
一人の女性が声を上げると、山野辺は我に返った様子で、「ハイ、そうですね、失礼いたしました。おむつを替えてみましょう」と仕切り直した。
「紙おむつについて色々な意見があるかと思いますが、今は紙おむつの種類も豊富で、おむつ離れをしやすくなるような、つけ心地が悪い紙おむつもあるんですね。皆さんそれらを使い分けて、上手に子育てされています。それについては、お子さんをご出産される時にプレママ教室にご参加されたら、先輩ママから話を伺えると思います」
山野辺が上手に切り抜けたかと思いきや、例の女性は「ママ……? パパは」と眉をひそめた。
「ハーイ、それじゃ、赤ちゃんをテーブルの上に寝かしてくださあい。ここから先は、レンタルベイビーをお渡ししたスタッフが一緒にサポートします」と、山野辺は声を張り上げて聞こえないフリをした。
「そっと下ろしてくださいね。頭を打たないように、腕をゆっくり抜いてください」
山野辺がテーブルを回りながら指導する。
美羽は恐る恐るレンタルベイビーをテーブルに敷いたバスタオルに下ろす。レンタルベイビーはじっとしていないので、思ったよりも難しい。何とか腕を抜いた。
どこかでゴンと鈍い音がして、ややあって赤ん坊の泣き声が響いた。顔を上げると、美羽の隣のテーブルの女性が、「どうしよう、頭、ぶつけちゃった」とオロオロしている。
「急に下ろすからでしょ。ゆっくりって言ったのに」
そばにいたスタッフが冷たく言い放つ。レンタルベイビーは、顔をクシャクシャにして泣いている。
――本物の赤ちゃんみたいに泣くんだ。よくできてるなあ。
美羽は感心した。
「大丈夫ですよ、タオルが敷いてありますから、ちょっと衝撃で驚いただけです。もう一度やってみましょうか」
山野辺がレンタルベイビーを抱き上げ、しばらくあやすと、泣き止んだ。再び女性に渡すと、女性は緊張した面持ちで受け取る。
「大丈夫ですよ、焦らないで。足の方から降ろして、不安なら右手を上に移動させて……そうそう、頭を支えながら下ろして、手をゆっくり抜いたら……ホラ、できた!」
今度は成功し、女性の表情はパアッと明るくなった。
「先ほどもお伝えしたように、今はどんどん失敗して大丈夫ですから。本物の赤ちゃんで失敗したら大変ですけれど、それを防ぐためにあるのがレンタルベイビーなので、何度でもチャレンジしてくださいね」
山野辺はフォローする。
――なんだ、山野辺さんっていい人じゃない。最初は大丈夫かって思ったけど。
美羽のなかで、山野辺の好感度はグングン上がっていった。
「ちょっと」
隣のやり取りを見ていると、美羽についているスタッフに声をかけられた。
「隣のことはいいから、自分のレンタルベイビーに集中しなさい。ホラ、紙おむつを持って」と上から目線で指示され、美羽はムッとした。
――さっきから、何、この人、ヤな感じ。
「いいんですよ、これから紙おむつの使い方を教えるところですから」
山野辺がすかさずフォローする。
「すみません、相馬さん、こちらの流れに合わせていただけると……」と、山野辺はそのスタッフに低姿勢でお願いすると、相馬と呼ばれた女性は決まり悪そうに視線を逸らした。
――この仕事、大変そうだな。
美羽はすっかり山野辺に同情していた。
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