第1章 レッツ、レンタルベイビー! ②波乱続きの説明会
「今から60年前の日本。少子高齢化が進むと言われていましたが、女性の社会進出による晩婚化が進み、結婚しない人が増え、出産率は低くなっていきました。そして、2050年にはとうとう人口は1億人を切ります。さらに、社会的な問題になっていたのが幼児虐待です。毎年、50人以上の子供達が親や親族に虐待を受け、亡くなっていました。このままでは、ますます子供が減っていってしまうと危機感を抱いた国は、2050年に出産・子育てをする人に免許を与えることにしました。それがグッド・ペアレンティング制度です」
アニメーションでは女性が働いている様子や、子供が親に叩かれて泣く様子などが、次々に描かれて消えていく。それに合わせて、女性の淡々としたナレーションが流れる。
一気に室内には気だるい雰囲気が漂い、仕事帰りに寄った美羽はあっという間に眠気に襲われていた。
「グッド・ペアレンティング制度では、出産したい人は事前に自治体に申請し、レンタルベイビーを借りて模擬子育て、つまりシミュレーション・ぺアレンティングをすることになっています。シミュレーション・ペアレンティングに合格しないと、出産を認められません。原則として、妊娠する前に合格しておくことになっています。妊娠後のシミュレーション・ペアレンティングは認められておりません」
画面では赤ちゃんが両手で×をつくり、ブブーとサイレンが鳴る。
美羽はそっと隣の女性の顔を盗み見た。女性は落ち着かない様子で腕組みをし、指先でトントントンとせわしなくリズムを刻んでいる。
「レンタルベイビーは、0カ月の0歳児を1カ月、6カ月の0歳児を1カ月、1歳児を1カ月、合計で3カ月間レンタルすることになっています。1カ月ごとに合格か不合格かが判定され、3回合格ラインに達したら、出産許可証が交付されます。登録するとAIを搭載した赤ちゃん型ロボットがご自宅に届けられ、模擬子育てがスタートします。ロボットでも、お腹が空いたらミルクをあげないといけませんし、おむつも取り替えないといけません。時には、30分ぐらい泣き止まないこともあります。赤ちゃんの子育てがどれぐらい大変なのか、あらかじめ体験しておけば、自分の子供が産まれた時も冷静に対処できるでしょう。今は、子供が産まれてから親になるのではなく、親になってから子供を育てる時代になったのです。なお、模擬子育てを始める前に3回講習会を受けていただくことになっており、そこで基本的なお世話の仕方について教わります。練習をしてから模擬子育てを始めるので、誰でも気軽に取り組めますから、安心してください」
ふと気づくと、前に座っているカップルは手をつなぎながら見ている。
――私も流と一緒に来たかったな。
美羽は小さなため息をついた。
「残念ながら、合格ラインに達しないカップルもいます。その場合は、3回まで再チャレンジできることになっています。再チャレンジ3回目で合格できなかったら、出産認定証はもらえません。ただし、合格できなかったら講習会を受けることになっています。講習会を受けて再チャレンジしたら、よほどのことがない限り、不合格にはなりません。うまくできなくても自分やパートナーを責めたりせず、グッド・ペアレンティング支援機構に相談していただければ、私達はできる限りサポートいたします」
画面はインタビュー画像に切り替わった。
赤ちゃんを抱えた細身の女性が、ソファに座ってインタビューに応じている。
「私、レンタルベイビーを体験するまで、自分には子育てはムリなんじゃないかって思ってたんです。姉が子育てでボロボロになっているのを間近で見ていて、『私には絶対ムリ』って思ってて。でも、結婚して、夫が『俺も協力するから、レンタルベイビーを借りてみよう』って言ってくれて。それで、二人で借りて、育ててみて……ホントに大変でした。夜泣きをするから、夜は全然眠れないし。何が原因で泣いてるのか、分かんないときもあったし。ボロボロになって、やっぱ子育てはムリって思ってたんですけど、圭が……あ、レンタルベイビーに圭って名前をつけてたんですけど、一人で立ったのを見て、感激しちゃって。これが子育てなんだあって思って。それで、合格したらすぐに子供をつくろうってなって、去年、一人目を産みました」
「実際に子育てをしてみて、どうですか」
インタビュアーの問いに、「リアルな子育ては、やっぱ、レンタルベイビーとは違うなって部分もいっぱいあります。でも、大変だって覚悟はできてたから、何とかなってるって言うか。今では、レンタルベイビーをしてよかったって、夫とも話してるんです」と、女性は笑顔で答えた。
他にも何人かレンタルベイビーを経験した人のインタビューが紹介された。
「グッド・ペアレンティング制度は明るい未来をつくるお手伝いをいたします。正しい子育てをすれば、お子さんはきっとまっすぐに育つはずです。そして、正しく育った子供が日本中に増えれば、日本はもっと強い国になれるでしょう。日本の未来は、皆さんに託されているのです」
最後は笑っている赤ちゃんや幼児の画像が次々と映し出されて、幸せそうな夫婦に見つめられている赤ちゃんの画像で終わった。
室内が明るくなり、みんな夢から醒めたような顔になった。
「えー、ざっくりした概要は今の動画でご理解していただけたと思います」
青木が再びマイクを持つ。
「今までのところでご質問はあるでしょうか」
「あの……」
美羽の隣に座っていた女性が、恐る恐る手を挙げた。
「妊娠後のレンタルベイビーは認められていないって……」
「ああ、ハイ、妊娠するまでにシミュレーション・ペアレンティングは終えてないといけないということになっています」
「もし、間に合わなかった時はどうするんですか? レンタルベイビーする前に妊娠しちゃった場合とか……どうしようもない時、ありますよね」
会場中の人が、女性の方を振り返った。
――これじゃ、自分が妊娠してるって言ってるようなもんじゃん。
美羽も女性の横顔を見つめる。女性の目は真っ赤で、ハンカチを握りしめている手は震えていた。
「そういう場合は、都道府県に1カ所ずつあるグッド・ぺアレンティング支援機構の担当者が面談して、審査して、出産を許可するかどうかを決めます。許可が出たら、レンタルベイビーを体験してもらうこともありますね」
「審査って、どういうことを」
「今の生活の状況とか、収入や資産とか、年齢とか、子供を産んだ後に育てる意思があるのかの確認とか、もしお一人で育てるのならサポートする人はいるのか、とかですかね。後、精神状態もですね。これは専門の精神科医に判断してもらいます」
「審査して、出産が認められないこともあるんですか」
「あります。後、出産を認められても出産認定証をもらえないケースもあります。もらえなかった人は、出産した後、その子供を国が引き取って施設で育てることになります。要は、出産認定証は親になることを認められたっていう証明なので、認定証をもらえなかったら、子供を産んでも親にはなれないってことです」
「そうですか……」
女性は口元にハンカチを押し当てて、黙り込んだ。
青木はおそらく女性の事情に薄々気付いているのだろう。
「もし、何か不安なことがありましたら、説明会が終わった後に、別室でご相談を伺いますので」
青木の言葉に、女性は力なく頷いた。参加者は冷ややかな目で女性を見ている。こんな時代に避妊もしないでセックスするなんてバカじゃない、と思っているのだろう。
「レンタルベイビーの実物を見ていただく前に、皆さんに注意事項があります。もしぺアレンティングの最中にどうしてもキツイなと思ったら、中断することもできますので、必ず支援機構に連絡を入れるようにしてください。たまに、レンタルベイビーを途中で止めようといじる人もいるんですけれど、支援機構でしかスイッチを切れないようになっています。ムリにいじると壊れてしまうので、ご自分の判断では絶対に止めようとしないでください。後、激しく揺さぶったり、落としたりしないこと。本物の赤ちゃんじゃないからって、面白がって落としてみる人、いるんですよ。でも、その瞬間、不合格になりますから。AIを通してデータはすべて支援機構で処理してるから、不審な動きがあったら、瞬時にレンタルベイビーは停止するようになっています。そういう理由で不合格になったら、再チャレンジする時には面談が必要です。面談してから、一年ぐらい経たないと再チャレンジは認められないこともあります。もちろん、手が滑って落としたとか、壊れたのかと思って軽く揺さぶる程度なら、大丈夫ですよ。故意に不当な行為をしないでほしい、ってことです」
青木は早口で、よどみなく話す。話がどんどん進んでいくので、ところどころ話についていけなかった。
「最悪なのは、ノイローゼ気味になって、レンタルベイビーを壊しちゃう人。たまにいるんですよ、産後うつって言うか、レンタルベイビーうつになっちゃう人が。今から皆さんにお見せする映像は、レンタルベイビーうつになってしまった女性の映像です。こうなる前に、必ず支援機構に相談してください」
部屋が暗くなり、ホワイトボードに映像が映し出される。
「もうっ、なんで泣き止まないんだよっ」
いきなり、女性の金切り声が部屋に響き渡る。
美羽は思わずビクッとしてしまった。
赤ちゃんの泣き声が聞こえる。目を吊り上げて、真っ赤な顔をした女性が、「早く泣き止めっ」と画面に向かって怒鳴りつけている。レンタルベイビーに埋めこんであるカメラの映像なのだろう。遠くで「おーい、早く泣き止ませろよ。うるさいってば」という男の声が聞こえる。おそらく、女性の夫か恋人で、他の部屋にいるのだろう。
画像の下半分が何かで覆われる。
「これ、今、この女性はレンタルベイビーの口を押えてるんです。泣き止まそうとして。本物の赤ちゃんだったら、大変ですよ」
青木の解説が入る。
「もう、なんで泣き止まないの? 壊れてるの? ねえ、ねえっ」
レンタルベイビーを揺さぶっているらしく、映像が激しく揺れる。それでも泣き声は止まない。
「早く泣き止ませろって。何やってんだよ」と、苛立った男の声。
――うわ、最低。この男、子育てを手伝ってないんだ。
「分かってるよっ」
女性は鋭く言い放つ。その瞳から、涙がこぼれ落ちた。髪を振り乱し、青白い顔をし、目の下にはくっきりとクマができているので、もう何日もまともに眠ってないのだろう。赤ちゃんの泣き声はますます大きくなるばかりだ。
「もーーーーーっ」
女性は絶叫して、画像から消えた。と同時に、ゴンと鈍い音が響いた。
「今、テーブルに叩きつけたところです」
さらに、ゴン、ゴンと叩きつけている音が響く。画像が揺れて何が何やら、まったく分からない。何かがショートしたような、バチバチという音もした。
「あーーーーーーっ!!」
叫び声のような声と共に、激しい衝突音がして映像が途切れた。
「これ、壁に叩きつけたところです。担当者が駆けつけた時は、こんな風になっていました」
首が折れ、目玉が飛び出し、メチャクチャになったレンタルベイビーの画像が映り、美羽は小さな悲鳴を上げた。あちこちで「いやっ」「うわっ」と悲鳴が上がり、美羽の前のカップルの女性は男性の腕にしがみついた。
「この女性は、もちろん不合格ですし、レンタルベイビーを壊したので賠償金を払うことになりました。国でも、赤ちゃんを産む権利を認めないと、永世出産禁止令を適用しました。今のところ、永世出産禁止令が適用されたのは、この女性だけです。こうならないよう、繰り返しますが、思いつめる前に支援機構に相談してください」
部屋の電気がついた。みなあまりの衝撃で身じろぎもしない。青木はなぜか満足げな表情で、会場を見渡した。
「衝撃的な映像で失礼いたしました。これを見てショックで気絶した方もいるんですよ。壊れたのはロボットなのに。おおげさですよね」
青木はハハッと軽く笑うが、みんな笑う気になどなれない。重苦しい空気が部屋を覆う。
「そうそう、レンタルベイビーを壊すのは女性だけではないですよ。男性も踏んだり蹴ったりして、壊したケースは結構あります。後、レンタルベイビーがどういう作りになっているのか気になって、分解した技術者の方もいましたね。とにかく、男性も追い詰められる前に相談してください」
そのとき、映像が流れている最中に退出していた谷口が、ドアを開けて入ってきた。
「それじゃ、映像はここまでにして。実際にレンタルベイビーを見ていただきましょう」
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