第4話 伝えたい思い
大学祭の前日に、僕は学科のブースを手伝うことになった。社先生から急遽ボランティアを頼まれ、午後からパネル運びに精を出していた。
設営が終わり、教室を出ようとしたときだった。河井が部誌を持って入ってきた。
僕が抱いた気持ちは、テスト返しを待つ生徒のものに似ている。答えを知りたいと思いながらも、悪かったらどうしようという焦りがない交ぜになっていた。
「河井さんは全部読んだ?」
下読みで三つ読んだこと、一つは凄くいい作品だったことが告げられる。その一作品が自分のものであってほしい。わずかな可能性に賭けたくなるほど、河井の笑顔は幸せそうだった。
「『星ができるまで』っていう、空の番人の話よ。ラストの文章が綺麗でね、私が今まで読んだ中で上位に入る作品かも」
僕はにやりと笑った。勝利を確信し、心の中でガッツポーズをした。
「笹野さんの『アプリコットフィズ』を超えた?」
「超え……ちょっと待って」
河井は目次を開いた。
「いいネーミングセンスだろ?」
小野寺もと。本名を知っている人はすぐに分かる仕掛けになっていた。
「これだけのいい作品を書けるあなたが、笹野さんの作品を厳しめに批判できることは当然ね」
有頂天にはならなかった。ただただ、実力を取り戻せたことにほっとした。
別れてから数歩しないうちに、しまったと呟いていた。
好感度が変化したかどうか、尋ねるタイミングを逃してしまった。颯爽と出て行った手前、戻るのが恥ずかしく思える。
ふと、社先生の言葉が脳裏をよぎった。
「きみはまだ若い。俺みたいなおじさんになりたくなかったら、掴んだチャンスは絶対に離さないつもりでいるんだよ」
僕は拳を握りしめた。
伸ばしっぱなしにしていた髪を切った。こだわりのない髭も剃った。ただ、きみに振り向いてほしくて。
どうして踏み出せなかったのだろうか。たった一言で幸運を手繰り寄せることができたかもしれないのに。
次こそは本音を伝えよう。
切り替えた僕を嘲笑うように、学生のうちに運命が交わることは一度もなかった。
大学祭では話すことがなかった。シフトの時間はずれていたし、二日目は台風によって中止された。休憩のとき、学内を回っているとプラカードを持つ河井と遭遇したきりだ。メイド服ではなくギャルソンの格好をしていたため、がっかりして何も言えなかった。
同じ学科とはいえ、コースが違えば講義の教室や時間帯も異なる。引退後はサークル関係で会うこともなくなり、期待した送別会は後輩との会話が弾みすぎてお互いに声を掛けることができなかった。
僕は最後の望みを卒業パーティーに託した。
「飲みに行かない?」
お開きになった後で、河井を誘った。
選んだ店は社先生に勧められたバーだ。学生でも飲めると太鼓判を押されたが、敷居が高そうな外観に勇気がしぼみそうになる。それでもドアを開けたのは、最後のチャンスだと自分に言い聞かせたからだ。
隣に座ると、至近距離で見る総レースの袖にどきりとした。
「ねぇ。寺本には付き合っている人はいないの?」
付き合っている人がいるのという質問であれば、両思いかもしれないと確信できた。だが、意味深な「は」がついている上、河井はすでに酔っていた。素直に答えていいものか考え込んでしまった。
「ごめん。こんなこと言って」
瞳の色は寂しげなものになる。
へたれでごめん。
心の中で謝っていると、河井は店員を呼んだ。
頼んだものはシンデレラだった。アルコールが苦手な人でも魔法でお酒を飲める場へ行けるようになる。そんな意味を持っていた。
僕は河井のドレスに目を留めた。一夜限りの姫君にさせたくない。今度こそ本心を伝えなければ。
カウンターに戻り掛けた店員を呼び止めると、迷いなくアプリコットフィズを注文した。
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