子爵令嬢ヴァルトルーデの憂鬱 ~わたし、剣と共になんて生きません!~

佐々木尽左

第1話 しゃべる剣なんていりません!

 王立学院から追放されてから一ヵ月が過ぎた。


 ひどい言いがかりだった。しかし、一介の貧乏子爵令嬢であるヴァルトルーデでは、格上の貴族の意見を覆すことなどできない。誰にも信じてもらえないまま、追放同然に退学するしかなかった。


 今は実家のベルネット子爵領にある修道院で過ごしている。王立学院へ入学する前までは、併設されている孤児院へよく遊びに来ていたので勝手知ったる第二の我が家だ。実家に戻らなかったのは、家族と顔を合わせづらかったからである。


「ふぅ、これでいいかしら」


 教会内の最奥部にある祭壇を掃除し終えたヴァルトルーデは、癖のない流れるような金髪を揺らしながら腰を伸ばした。やや切れ長な目を細めて満足そうに祭壇を見つめる。


 今は客人扱いであったが、やることもなく暇なので雑用の手伝いを申し出た。本来なら貴族のご令嬢にそのような下働きなど許されない。しかし、修道院の院長であるクラーラは喜んでその申し出を受け入れてくれた。


「お嬢様、こちらも終わりましたよ!」


 自分の担当場所を掃除し終えた赤毛のアルマが報告にやって来た。ヴァルトルーデにとって唯一の使用人であり友人でもある。


「どうです? きれいになったでしょう」


「ホントですね~。お、こんな細かいところまで。前に指摘したところもしっかりきれいにしていらっしゃる。さすがです」


 褒められたヴァルトルーデは嬉しそうに微笑む。下働きについては本職であるアルマに指導してもらっている。その師匠に褒められて上機嫌になった。


「あれ? これ、動く?」


 一通り確認しようと祭壇のあちこちを触りながら確認していたアルマだったが、裏手にある突起物が妙にぐらつくのに気付いた。


「あら本当ね。これ取れちゃうのかしら、って、え!?」


 ヴァルトルーデが突起物を適当に動かそうとすると、突然両手の甲が淡く光り出す。更に突起物が下方にずれた。


「お嬢様が壊した! しかも手が光ってますよ! 何をやらかしたんですか?」


「何にもしてない! アルマだって勧めたじゃないの!」


 二人が混乱する中、祭壇が重い石を引きずる鈍い音を響かせながら横にずれていく。その下には螺旋状の階段が下に延びていた。


「お嬢様、奥は真っ暗ですね」


「ええ」


 何年も修道院に通っていたヴァルトルーデだったが、こんな隠し通路は初めて見た。


「この奥も気になりますけど、お嬢様の両手ってさっきよりも光ってません?」


「あら、確かに」


 ヴァルトルーデのしみひとつない美しい両手の甲は、右手は白く、左手は黒く輝いていた。しかも、何かしらの刻印か魔方陣のような複雑な紋章が現れている。


「それって、何の模様なんですか?」


 自分も知らないことにヴァルトルーデは無言となる。実はかつて初めて修道院を訪れたときに一度だけ見たことがあるのだが、それきり現れなかった忘れていたくらいだ。


「それよりも、奥に何があるか見てみましょう」


「え、行っちゃうんですか!?」


 いつになく自分のご主人様が積極的なのを見てアルマは驚く。普段は自分がけしかけないと動かないのに、今回は一体どうしたのかと訝しんだ。


 そんなアルマの混乱をよそにヴァルトルーデは階段を降りてゆく。


「お嬢様、せめて明かりを」


 言いかけてアルマは目を見開いた。どういうわけか、ヴァルトルーデの周囲だけ明るくなって周囲が見渡せるではないか。


 明らかに怪しいところへなど本心では行きたくなかったアルマダが、立場上そういうわけにもいかない。仕方なく遠く離れないうちにご主人様の後を追った。




 ヴァルトルーデの周囲以外は一切の闇の中を二人は階下へと進む。全面石を使った狭い通路は螺旋を描いているので、次第に方向感覚がおかしくなってきた。


「教会の下にこんなところがあったなんて」


「明らかにまずいですよ、お嬢様」


 螺旋状に下へと続いていた通路の終わりには、教会と同じくらいの大きさの空間が広がっていた。通路同様に全面に切り出した岩石が使われているが、この空間だけ表面が磨き上げられているのが印象的である。


 そんな広い空間の全容が一望できるのは、この空間全体が淡い光を発しているからだ。光量としては薄暗いという程度だが、視界が確保できるのは何よりも安心できた。


 ただし、広いことは広いがほとんど何もない。長方形の空間があるだけだった。例外として、今通ってきた通路の反対側の奥に何やら祭壇らしきものがあるくらいだ。


 しばらく空間の広さに圧倒されていた二人だったが、先にヴァルトルーデが歩き始めた。アルマも不安そうな表情を浮かべつつも続く。


 奥へと近づくと、ふたつの台座らしきものがはっきりと見えてくる。その台座には質素な鞘に収まった剣がひとつずつ立てかけてあった。向かって右側の鞘は白く、左側は黒い。


「剣がふたつ?」


「他には何もなさそうですね」


 小首を傾げて整った眉を寄せているヴァルトルーデの後ろから出てきたアルマが、行ったり来たりしつつ台座を遠巻きに観察した。


 ヴァルトルーデは自分の両手の甲へ視線を移した。どちらの紋章も先ほどより強く輝いている。若干まぶしいくらいだ。


「お嬢様、もしかしてその剣に反応していませんか?」


「やっぱりそう思う?」


 さすがにここまであからさまだと、二人もわからないなりに何かの関連があることくらいは想像できた。問題は、このまま手に取ってもいいのかということだが。


「あたし、一旦戻ってクラーラ院長に相談した方がいいと思うんですけど」


「そうね。いくら何でも手に取るのは怖いわ」


 常識的な判断といえるだろう。普段はなんでもいけいけのアルマでさえ止めているのだ。むやみに触るのは危険すぎる。


 珍しく消極的な意見が一致した二人は、回れ右をして一歩踏み出した。


 ガタン、ガタン。


 自分達以外に誰もいないはずの背後から、音がした。


 しばらく凍り付いていた二人だったが恐る恐る振り返る。しかし、そこには二本の剣が立てかけてあるのみ。


「き、気のせいですよね?」


「も、もちろんよ、アルマ」


 正確には、気のせいだと思い込みたい、である。


 今更だが二人は確信した。ここにいてはいけないと。


 意を決して階段へ体の正面を向けると再び足を前に出す。


 ガタン! ガタタタタタタタタタン!


 ガタン! ガタタタタタタタタタン!


 広い空間にけたたましい音が鳴り響く。同時に両脇からふたつの剣が鞘ごと横回転して床を転がり、二人の前に回り込んできた。動けるんだ、こいつら。


「お、お嬢様。あれ、生きているんですか!?」


「そんなの私が知るわけないでしょう!?」


 一体何が起きているのかわからない二人はもう恐慌状態一歩手前だ。


 ガタン! ガタン!


 どちらの剣も一回転して更に近づいてくる。もう動くことを隠そうともしていない。


「これもしかして、お嬢様に手に取れってことじゃないですか?」


 アルマの囁きに、ガタンガタンと剣が僅かに飛び跳ねて反応た。どうも当たりらしい。


「ええぇ」


 ヴァルトルーデが泣きそうな声を上げた。


 こんなあからさまに怪しい剣など触りたくなかったが、右側に寄っても左側に寄っても剣は二人についてきた。しかも互いの距離は近づくばかりだ。


「お嬢様、もう覚悟を決めるしかないのでは?」


「どうして私はここに来ちゃったんでしょう」


 良く言えば導かれたということになるが、悪く言えば魔が差したということになる。ヴァルトルーデは己の迂闊さを呪った。


 ガタンガタンと更に回転して剣はどちらも近づいてくる。もうすぐそばだ。


「ちなみにお嬢様、どちらをお手に取るのですか?」


「えっと、そうね。それじゃ、白い方を」


「理由を伺っても?」


「だって、黒い方ってなんだか禍々しそうじゃないの」


 二人の会話を聞いて、黒い鞘の剣はガタンと飛び跳ねた。どうも抗議をしているらしい。一方、白い鞘の剣はカタカタと震えていた。もしかして、笑っているのかもしれない。


 心にいっぱいの不安を抱えながら、ヴァルトルーデは腰を屈めて白い方の剣の鞘ごと持ち上げる。意外に軽くて拍子抜けしたが、今度は右手の白い紋章が更に輝く。なんとなく、剣を鞘から抜くのだと察したヴァルトルーデは右手で剣の柄を握った。そして剣を引き抜く。すると、抜いた両刃が強烈に輝くと同時に、猛烈な風が吹き荒れた。


「やだぁ、何これ!?」


 あまりのまばゆさに目を開けていられない。荒ぶる風はスカートの裾をはためかせる。


 しばらくすると光と風は収まり、周囲には薄暗い静寂が戻った。


 ヴァルトルーデは剣を握ったままの右腕を突き出し、左手で顔を庇いながら固まっている。手放さなかったのは剣が離れなかったからだ。アルマはご主人様の後ろに隠れていた。


『ついに復活したぞ! 久方ぶりだ!』


 やたらとハイテンションで嬉しそうなバリトンボイスが二人の耳に叩き込まれる。


「あんた、誰?」


 左手を顔から離しつつも、ヴァルトルーデは恐怖でまだ口を開けない。代わって、アルマが剣に向かって尋ねた。


『よくぞ聞いてくれた! 我はトゥーゼンダーヴィント! 魔を切り裂く聖剣である!』


「お嬢様、ご存じですか?」


 聖剣なんて初めて聞くアルマは小声で尋ねるが、ご主人様は首を横に振るばかりだ。


「それ、呪いの剣じゃないですか?」


「私もそう思う。これ、手から離れないの」


『なんと無礼な! 我は幾多の英雄達と共に人に仇なす魔物を葬ってきたのだぞ!』


「そんなことどうでもいいですから、早く私の手から離れてください!」


『そんなこととは何事か! って、おい、そうやたらと振り回すな!』


 見るのも聞くのも初めてのしゃべる剣に対して、ヴァルトルーデは不信感しかない。


「お嬢様、そこの台座か壁に剣の平たい部分を叩きつけて折っちゃいましょう。そうしたら呪いが解けるかもしれません」


『そこの女! なんとひどいことを言うのだ! 我は聖剣なのだ! 人を呪いなどせんわ!』


 アルマの提案にトゥーゼンダーヴィントが真っ先に反応する。固い物に叩きつけられるのは困るらしい。


「それなら早く私の手から離れてください! 女性の手にいつまでも触れているなんて失礼でしょう!」


『ならば先ほどの鞘に我を収めよ!』


 アルマが床に転がっている白い鞘を拾ってヴァルトルーデに手渡す。


 さっさと手から離したい一心で、ヴァルトルーデは聖剣を白い鞘に収めた。見る者が見たら簡素ながらため息が出るほどすばらしい白銀の長剣だが、今の二人にはどうでもいいことである。そうしてようやく、右手から剣の柄を離すことができた。


「もう、本当にひどい目に遭ったわ! さっさと片付けて戻りましょう」


『主よ、刻印による契約が交わされた以上、我は常に主と共にある。例えどれだけ離れていようとも、一晩もすれば我は主のそばに戻ってくるぞ』


 かわいく頬を膨らませてトゥーゼンダーヴィントを元の位置に戻そうとしたときに、この聖剣様はとんでもないことを言い放った。それを聞いたヴァルトルーデは硬直する。


「うわ、何それストーカーじゃない」


 ドン引きしながらアルマが呟いた。この世界にはない言葉だ。


 そのとき、床に転がっているもうひとつの黒い鞘がガタンと動く。今更そんなことでは驚かない二人だが、あの剣が何を求めているのかはよくわかった。


『そいつは放っておいてもいいぞ。どうせ自力で台座に戻れるだろうしな』


 ぞんざいなトゥーゼンダーヴィントの物言いに、黒い鞘の剣はガタンガタンと飛び跳ねる。どうも怒っているらしい。


「お嬢様、とりあえず上に戻りましょう」


「そうね」


 いい加減面倒になってきたアルマの投げやりな言葉に、疲れた様子のヴァルトルーデがうなずく。もう今日は横になりたかった。


 ガタン! ガタタタタタタタタタン!


 すると、そのすぐ後ろを黒い鞘の剣がものすごい勢いで回転しながらついてきた。二人が立ち止まるとぴたりと止まる。歩き出すとまた回転し、止まると同じく止まる。


「どうします、お嬢様?」


 少し離れた祭壇に立てかけてあるトゥーゼンダーヴィントへ視線を向けてから、ヴァルトルーデは黒い鞘の剣に目を向けた。ため息をひとつつく。


「わかりました、抜けばいいんですよね。けど、まぶしいのや風を巻き起こすのはやめてくださいよ」


「やったら床に叩き付けてやりましょう」


 びくりと震えた黒い鞘の剣を手にすると、ヴァルトルーデはその柄を左手で持って鞘から引き抜く。すると、今度は黒濡れの両刃の長剣が現れた。


 そして、ヴァルトルーデはわずかにでも同情したことをすぐに後悔した。


『はーっはっはっ! よくぞ手にした! 儂の名はオゥタドンナー! 主よ、共に目の前の敵をすべて切り伏せようではないか!』


 まためんどくさい奴が出てきた。二人はそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る