にゃめんなよ! ~若虎の嬢~

雪原のキリン

【第一部】第一章「八年前から」



 投げ飛ばされて寝っ転がって仰向けに見た景色は、冬の空と小さい女の覗き込む姿だった。その女は俺に向かって腹の立つような笑みを浮かべ、俺に指を指して言った。


 「してやったり。背中冷たいでしょ!」


 しかし、俺は立ち上がってやり返しもしないで、雪の積もる枯れ草の野原に寝そべっていた。感情がくすぶっていじらしくなっている訳じゃない。なんだか心地の良い女だと。改めてそう思いクスッと笑って、女の足首を掴んでを引きずり倒し、隣に転ばせた。


 見事、策にはまった女にざまあみろと言って、二人で高笑いをした。冬の肌寒い風が、寧ろ気持ちよかった。




**


 十一月の寒い夜。京介はタバコを吸いながら空を見上げていた。


 「キョウ!コーヒー入れたよ」


 「ああ、そこ置いといて」


 京介は物憂げな表情で実家の古本屋のベランダから星を見ていた。もう今年で二五歳になるのかと。厄介な嫁を貰って、ガキも出来そうだし、荒ぶってた高校時代が嘘みたいに、今が幸せだ。


 「おばあちゃんの店も変わってないね。なんだか来てよかったよ」


 「ああ、ここいらで本屋って言ったらここしかないからな」


 霧前市。俺の育った商店街。俺の育った街。自然と都市が程よい感覚で融合した田舎よりの都市だ。


 「それより、仕事探してよ!!ホント、プー太郎じゃ、私も困るよ!!」


 「お前の親父がなんだかんだ押し付けたんじゃねーか!!」


 京介の溜息も漏れる。ひのが子供を身篭ってから強く。今までも強かったが、それ以上に強くなった気がした。考えただけで頭が痛い。そして、ひのと知り合って今まで知ったひののこと、それから家族のこととかが、より面倒だ。


 でも、ひのと知り合わなかった人生なんて考えようがないほど、今が充実していて暖かく感じている。それは確かなことだ。




**


 ――――遡って八年前。


 五月の朝。環境の変化が目まぐるしい時期だ。この時期、せわしなく環境の変化を受け入れなければならないこの季節、巣立つのは雛燕だけだと思いたい。


春の変わり目の人間共には、この環境順応していく力と、精神力があり、つくづく強い生き物だと考えさせられる。


 そんな忙しない朝。駅前オフィス街の路地裏に一匹狼が潜んでいた。長身の男で、髪色は金髪と黒のメッシュ。眉毛、目つきは鋭く「三白眼」。傍から見るに威嚇してくるような顔つきは、物の怪や珍獣の類を思わせるような「いかつさ」を持っていた。学ランを着ているので、恐らく高校生だろう。彼のオーラは明らかに周囲の人間を退けていた。


 男はビールケースに腰を下ろし、タバコを吹かしていた。しばらくして、ガサッとビニール袋を丸めたような物音がして三毛猫が現れた。猫はゆっくりと伸びをすると、ゴミ箱に倒してこぼれたウインナーの破片を貪りはじめた。


 「おい、こっち来いよ」


 男は中腰になり、猫撫で声を掛けながら傍に寄っていく。周囲を通過する人々は、路地裏を覗き込むが、異様な彼の行動に苦い顔をして去っていった。


 「くそっ、このやろ」


 男はちょいちょいと指先でちょっかいを出した。見向きもしない。そして猫を撫でようとスッとの伸ばした手の甲には傷跡が出来ていた。彼は傷口を見るや否や、「手強いな」と言った。猫は男の中にすっぽりと隠れているので、手の傷をさする男の姿しか見えていなかった。


 「何やってるんだ?」


 「俺にも見せろよ」


 最初は興味が全くなかった通行人。しかし、だんだんと好奇心を持ち始める。怖がるもの、笑うもの、呆れて去る者。反応は様々だった。


 男は低姿勢になって、舌打ちを始めた。傍観者は緊迫した空気に包まれた。


 「にゃ、にゃ、んなー、に?」


 男は猫撫で声ならぬ、猫語を話した。


 


 そして次の瞬間。


 「えーい、ままよっ!」


 男は大きく両手を広げて猫に飛びついた。すると猫は恐れをなしたのか、竹輪の破片を咥えて壁伝いに屋根へ移り、屋根から屋根へと逃げて行ってしまった。彼の頬に三本の爪跡を残して。鼻っつらと頬に傷を作った彼は、仕方なしに立ち上がり、胸と膝に付いた埃を払った。そして路地裏から出ようとすると、そこに集まっていた若干の人だかりに驚いた。


 「ん?どうしたお前ら?」


 一人、また一人と他人の顔をしながら去って行った。本来の行き場所を思い出すように。


 「え?俺なんかしたか?」


 男はとぼけながら、傷に疼く頬を擦った。そして、困った表情で周囲に弁解を求めた。しかし、周囲の態度は冷たく、世間は忙しかった。その中で正面を通過した牡丹のコサージュをしている、マロ眉の女の子を強引に呼び止めた。


 「あのさ、俺、なんか悪いことしてなかったか?」


 「は?何言ってんの?馬鹿じゃないの?」


 女の子は友達の手を引っ張って毅然とした態度で行ってしまった。小馬鹿にされた男には憤りの感情さえ起こらず、ただ途方に暮れ、小さく溜め息を吐いた。


 「全く冷たいよな、みんな。くっそ、首がいてえ」


空を見上げ、男は首を回し、頬を掻いた。




**


 霧前市公立桜坂高校。先ほどの一件があった駅周辺から徒歩十分で来ることが出来る中クラスの学力高校だ。学費もそこそこ安く、何より立地条件がいいのが特徴。そして、春になると満開の桜街道を眺めることが出来る。それが人気の一つでもある。


校舎に向かって歩きながら話す男子生徒が二名。校章によると二年生のようだ。胸元に付いている校章のバッジ。桜の花弁の色が赤、青、黄色で色分けされていて、今学期二年生は青色になっている。




 「最近平和になったよなー。龍崎が来なくなってから十日目になるぞ」


 「そうだなー。原因不明の不登校って噂に聞いてたけどさ、仮病使って、休んで家で何やってんだろうな。何となくクラスのバカ(不良)のハシャギ具合が半端じゃないけどさ」


 「いいのか悪いのかって感じだよな!!授業がまともに出来なくて、数学のセンコー怒りっぱなしだけどさ!」


 「あいつなー。怒るとホント面白いんだよなー!!」


 二人で馬鹿笑いをしながら玄関に入ろうとしたその時。よそ見をしていたのか、一人が背丈の大きいリーゼントの男にぶつかった。


 「お前らどこ見て歩いてんだよ?あ゛?」


 「あ、あ、あ……これは三年生の東上センパイ」


 そして、二人は声にならない声を出し、震えながら腰を抜かした。


 「なんかよー、こいつら、不良が迷惑とかどうとかほざいてたぞ」


 コバンザメのように擦り寄ってくる「青い校章」の茶髪狐顔の不良。それを聞いた東上はちょっと笑いながら拳を鳴らし始めた。


 「さて、どっちから絞められたい?」


 二人はお互いの顔を見合わせ、人差し指を差し合っている。震えが止まらないようだ。友情の浅さも見て取れる。


 「……ったく、お前らの友情ってそんなもんかよ、薄っぺらいなぁ」


 「りゅりゅ、りゅ、龍崎?お前、来たのか?くっそ、今日は運悪すぎだろ。」


 今まで気配を消していたかのように現れたのは、金髪メッシュ三白眼の男だった。呆れ顔をしながら二人の腰を抜かしている男子を見下ろしていた。男子は頭を抱え、唸った。


 「ああ。ちょっと『知り合い』にバイクで引きずり回されてて、生死の境を彷徨うこと十日間。もう顔も見たかねえや。これから学校いかないと。ちょっと遊んじまったけど。」


回想にふけったあと、龍崎は続ける。


 「東上さんよ、今回はこいつらの事許してやってくれよ。何やったか知らないけど、どうせしょーもない噂話かなんか話してたんでしょ?」


馴れ馴れしい口調で話をする龍崎。東上は面識があるのか、喧嘩の腕を買っているのか意に介していない。


 「不良がどうとかわけわかんねーこと言ってたんだよ。人様をゴミ扱いしやがって。俺もお前も似たようなものだろうが」


額に血管を浮き立たせながら苛立つ東上。握りこんだ拳も湯気が出そうだ。


 「まー、俺も不良の類に含まれているんすか!全うに生きてきたつもりだったのに」


 「おちょくってんのか?」


 「まさかぁ?」


 龍崎は小声で二人の男子生徒に「逃げろ!」と言ってアイコンタクト。


そして、龍崎が東上を引きつけている隙にしゃがみながら少しずつ後ずさりし、背を向けて逃げ出した。


 「あ、待て!」


 茶髪狐顔が逃げた二人に気がつき、追いかけた瞬間、龍崎と東上は殴り合いを始めた。朝の校庭のど真ん中で。その喧嘩は長引いて、一限目の始業チャイムが鳴り、生徒指導の先生が止めに入るまで続いていた。




 「男ってバカばっか。どいつも変わんないね」


 二階の窓越しに校庭を見下ろしながらマロ眉コサージュの女の子は呆れていた。




**


 同日昼休みの体育館。


 「最近さ、この学校で下着ドロがまた出てるらしいよね。今朝、生活指導の塚田が言ってたよー」


 「この体育館ボロいしさ、女子更衣室にも施錠できないんだよね。ロッカーに鍵が欲しいよ」


 「誰か分かんないけど、少なくとも自分の身に着けてたもの、私物にされるのは鳥肌が立つよ」


 「気持ち悪い事言わないでよ!!こっちまで寒気してきたじゃんか。ばかー!」


 「ゴメンゴメン。最近、やけに平和だよねーそれ以外除いたら。最近、龍崎が学校に来てないからかな」


 「気のせいかもしれないけど、彼さ、何かしらあって学校に来れなくなったから、学校に呪い掛けてるんじゃないの?未練たらたらで」


 「うーん、アイツ、学校嫌いそうだし、それは流石に無いんじゃないかな」


 「そろそろ行こうか」


 「そうだね」


 更衣室の扉を開けた瞬間、目の前には龍崎がいた。女子達は顔を青くしながら、ぎこちない言葉で挨拶をした。


 「どっ、あ、久しぶり。バスケしに来たの?」


 「え、えっと、頑張ってね」


 「な、なんか怖がってねーか?」


 「気のせいだよ。ねー」


 「ねー」


 「おい、待てよ!おーい」


 龍崎の顔の傷、痣。そして埃だらけの学ランを見て女子は逃げるように去っていった。




**


 同日放課後。屋上。


 「はぁ。どいつも疫病神扱いかよ。久しく学校来たら、良い事無いし、首も痛いし」


 龍崎は屋上のフェンスに寄りかかって青空を見上げた。空に浮かぶたった一つの雲がまるで自分の孤独感を象徴しているようで虚しい。


 「なぁ、ここってセンコー来ないよな」


 「大丈夫だって。それより、私達クラス違うからさ、やっとゆっくり過ごせるね」


 「俺、朝からお前の事ばっか考えてた」


 「嬉しい!私も寂しかったよ」


 「大好きだ!」


 「私もっ!」


 「お前ら、家でやれっ!!!!」


 龍崎は屋上にいるカップルを怒号で追い払った。


 「恥じらいもクソもねーな。この学校は」


  おもむろに胸のポケットから煙草を取り出し、ライターで火を付けた。しかし、こんな時にガスが切れてるのか。イライラが募るばかり。


 「くそっ!つかねー!」


 カチカチとひたすら電子ライターを押すが、一向に火が点く気配もない。


 


 「はい」


 ライターで火が差し出され、その先を見ると、柴犬顔をした女がいた。


 「おお、悪い。って誰だ?!」


 「同じクラスの『浅葱ひの』。屋上に来たら、バカっ面でため息ついてたアンタ見かけたからついね」


 「なんか殴りたくなるような顔だな。言動も」


 ひのは相変わらず特徴的な容姿だった。マロ眉をしていて、丸っこい顔に、栗色の髪に牡丹のコサージュをつけている。一見可愛らしいのだが、かなり毒舌。身長は小さめだ。


 「殺すよ?まー、初対面だし勘弁してあげるよ」


 「こっちのセリフだボケ!!」


 「で、アンタの名前聞いてなかったんだけど」


 龍崎の暴言をさらっと流すひの。


 「俺は『龍崎京介』。お前みたいな馬鹿に馴れ合う筋合いなんかない。一切ない」


 「馬鹿はアンタだ。校庭のど真ん中で殴り合いおっぱじめてさ。バッカみたい」


 「お前、柴犬みたいな顔して、言動が荒れてんな」


 真顔でまじまじとひのの顔を再認識しつつ、煽りもしないで呟く京介。


 「し、しば……」


 「柴犬じゃねえか。最近テレビで有名なあれにそっくりだ」


 手を叩いて爆笑する龍崎の頬に張り手をかまして黙らせるひの。一発不覚にも猫から貰った頬傷に見事にヒットした。


 「いってぇ。何すんだよこのアマ!!」


 「馬鹿じゃないの?だから友達出来ないんだよ」


 「てめっ、人が傷つくことをズケズケと。お前こそそんな言動だから友達いねえんじゃねえか?」


 「あーはいはい。クズが何か仰っておりますが」


 「誰がクズだ誰が!!良かったな。お前が男だったら今頃ぶっ殺してたよ」


 「そりゃどーも」


 さてと。ひのは立ち上がって伸びをした。


 「私、そろそろ帰るね。じゃ」


 「あばよ。もう会うことはないだろうけど」

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