【第五部】第一章「嵐の後の静けさ」



 時刻は七時。日も暮れて、すっかり肌寒さを感じる頃になった。秋の深まる季節。鈴虫の鳴く声が周囲に響き渡る。二人の男の子と女の子は、事の大きさにすっかりと落ち込んでしまっていた。担うべき十字架の重さ。一匹の犬。そしてこれからの課題。問題は山積みだった。


 まず犬司と美咲は夜遅くなってしまったので、鬼瓦師範の道場で一泊することになった。バスの便は田舎なので七時にはもう終わっているのだから。




 「すっごい火事だったけど、何かあったの?思わず裏山見に行きそうになったけどっ!」


 華連が足を泥だらけにし、サンダルを突っかけて玄関から飛びだしてきた。そして呼吸を荒げながら、二人に聞いてきた。しかし二人は暗い表情で黙ったままだった。




 「まぁ、ちょっと入りなよ。寒いからお風呂入りなって」


 華蓮は二人にけしかけるように背中を叩き、二人は黒煙と泥と埃まみれの身体を洗い流すことにした。




**


 美咲が入浴している間、犬司は道場で正座をして瞑想をしていた。小学校時代からの習慣だったからだ。静まっているとジャージ姿の華蓮が後ろから声を掛けてきた。


 「けーんじっ!久しぶりに組手しない?」


 「れんねー、居たのかよ!びっくりした!!」


 「疲れ切っていると思うけど、全て汗にして流せばいいのよ。私も大学で猫被ってるの、嫌だと思ってたのよっ!」


 華蓮は犬司のわきを歩いていくと、隣にあったサンドバックに蹴りを入れて大きく揺らした。


 「あのキャラ、やっぱストレス溜まってたんだな。うっし、一戦交えよう」


そう言って、犬司は華蓮と畳の前で向かい合った。




 畳を足の裏で擦る音が静かに響く。犬司は華蓮の襟もと掴もうとするが、なかなか掴むことが出来ない。そして抵抗しているうちに、首の襟元を掴まれ、体重を上に引き上げられてバランスを崩しているうちに、華蓮は犬司の右脚に左脚を掛ける形で足払いを放つ。そのまま膝をついて犬司は息を吐いていた。


 「れんねー、ホント強いね」


 「ホントに本気で来てるの?そんなもんじゃないでしょ?」




 次は華蓮の腕下を潜(くぐ)り抜け、足から投げ倒そうとする犬司。しかし、華蓮は体重移動が上手く、びくとも動かない。犬司は体勢を立て直し、胸襟を掴んで牽制していた。犬司は華蓮の左腕の布地を掴んだ。犬司はそのまま華蓮の首に右腕を回し、奥襟を取る。華蓮は犬司の帯を掴み、膝を曲げて体勢を低くした。そのまま身体を捻って腰投げをした。


 犬司は綺麗に投げを決められ、そのまま畳の上で「殺せ!」と言わんばかりに大の字になって寝っ転がった。


 「れんねーには敵(かな)わない!ほんっと昔からそう」


 「そうかしら。犬司は小学校の時から負けん気が強かったからね。でも慢心しちゃう癖とかあったしね。後は『何でもゴリ押しに』片付けようとする癖があるんじゃない?」


思い返してみると、ここ二、三日「何とかしてやる!」ってどれだけ豪語して突っ走ってきたことか。今、ゴールデンレトリバーの子犬は、道場の玄関で毛布にくるまって休んでいるが、あの犬の問題も、今回の一件も自分の中で背負いこもうとしていた節があったことを、痛く思わせられる。


 「自分が無力だとか、何にも出来なかったとか、腐るのは結構。正直『雨の中、猫を抱え込んできたあの日』の犬司となーんにも変わってない。力んじゃってさ」


 「うるせーよ。何にも知らないくせに」


 「じゃあなんで、周りを見ないのさ。どうせあんたのことだから、いらないことに首突っ込んで、巻き込まれて一人でもがいてるだけじゃないの?『所詮、俺はダメな奴だ!』って。美咲ちゃんだっけ?あの子もきっと、そーんな犬司の顔、見たくないと思うし。私も小学校の時の犬司が、今も全っ然大人になってないから、びっくりしたよ。おねーさんびっくりした」


 矢継ぎ早に続く罵倒と皮肉。正論を言っている華蓮は、少しでも周りに頼ることを覚えて欲しいと犬司に檄(げき)を飛ばしていた。


 「れんねーも、なーんも変わってないね!あ、お風呂空いたから行くわ」


 美咲が声を掛けてきたので、犬司は燻(くすぶ)ってうじうじとして。そのまま風呂場に向かって行った。一部始終を見ていた美咲は、何があったのか分からずに戸惑っている様子だ。華蓮は風呂上がりで湯気を立てている美咲の頭に手を置いた。そして撫でると自室に戻って行った。


 「大人の事情よ。彼自身の問題。陰ながら支えてあげて」


 「へ?へ?」




**


 「ったく、れんねーは!なんか大学生になって、少しはマシになったかと思ったら、人の傷口に塩塗りこむようなことしやがって」


 犬司はぶつぶつ言いつつ、身体を念入りに洗いながらあざを確認していた。ここが青いとか、ここをぶつけているとか。ここを殴られて、ここを切ったとか。そうやってお湯に洗い流すたびに心の痛みが滲みだしてきた。


 「はぁ」


 溜め息をつきながら、いぶし臭くなった頭を泡を立てて洗う。華蓮と組み手をして、何度この、いぶし臭い頭の匂いを嗅がれたことだろうか。結局「二歳上の姉」には何もかもお見通しなのかも知れない。


 「明日、師範に正直に話そう。絶対、『何で、何にも言わなかったんだ!』って叱られるのがオチだな」


 犬司は湯船に浸かりながら、そう思った。




**


 翌朝。八時頃、忍葉(しのは)が食事を準備してくれたようだ。疲れ切っていた二人を、師範は叩き起こすような酷なことをしなかった。そしてテレビを点けた。大きな音声で今朝のニュースが和室に鳴り響き、みんなは黙って食事をとりながら、静かにその音声に耳を傾ける。




 「悪徳ブリーダー火災『動物の焼死体』多数。放火犯は従業員か!?……兄弟に一体何が!?」


 克明に報道される昨日の火災の現状。そして焼失したプレハブ小屋の内部を報道記者が胸を詰まらせながら報道をする。忍葉が下に出ている所在地を見てびっくりとした顔で言った。


 「これ、昨晩の火事の現状じゃありませんか!」


 「そうみたいだな」


 そう言って、師範は黙々と食事を続けていた。関心が無いわけでは無さそうだ。そして、華蓮は犬司の方を睨み付け。美咲は報道の様子を、息を呑んで見入っていた。そして犬司はいたたまれない空気になって、リモコンを取るとテレビを消した。


 「え?なんで消しちゃうの?見てたのに!」


 文句を言う美咲。そして犬司は口を開く。


 「悪い。師範、この場を借りて話したいことがあります」


 「……なんだね?言ってみなさい」


 師範は表情も変えず、悟ったように静かな声で話していた。犬司はお茶を一口飲むと、昨晩の荒んだ一件を話し始めた。悪徳ブリーダーが居たこと。それを倒したこと。そして愛護センターに電話をしようとしたこと。そして放火されたこと。焼死していく動物のいのちを守ることが出来なかったこと。


美咲は顔を覆って俯き、何も言えない苦しい感情にひたすら耐えていた。


 「……師範。ごめんなさい。何にも出来なかった」




 「……良く話してくれたね。疲れたろ」


 険しい顔をしていた師範は、にっこりと表情を和らげた。そして犬司にねぎらいの言葉を掛けた。


 「失ってしまったものは取り戻せない。けれど、これからやるべきことを考えればいいじゃないか。そうやって一歩一歩悩みながら進んでいけばいい。武道も人生も一足飛びに成長なんか得られないのだから」


 「師範、私からも謝ります。無茶してしまってごめんなさい。あと、一宿一飯をありがとうございました」


 「美咲ちゃん、私も楽しかったわ。いつでも遊びに来ていいからね。まず、しっかり身支度を整えて。それからこれからやることをゆっくり考えなさい。まずは『あの子の里親』を探さないと。……じゃないの?」


 忍葉は嬉しそうに話していた。二人は前向きに元気を取り戻して、嬉しそうに頷いた。横にいた華蓮も何度も嬉しそうに頷いた。


 「良かったね犬司、良かったね美咲ちゃん!」

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