未来への覚悟

「落ち着いたね」


 先にお風呂を済ませた葉風が、胸の辺りまでのまだ濡れた黒髪をタオルで拭きながら居間へ入ってきた。

 冷蔵庫からオレンジジュースを取り出し、グラスに注いでテーブルに置き、俺はキンキンに冷えた缶ビールを片手に座る。


「葉風のおかげで、俺と風香は攻撃に集中できたから早く片付いた。……俺はまだまだだな……」


 缶に口をつけ、ゴクリと一口ビールを含む。

 悔しそうな表情していたわけでもないと思うけど、葉風はグラス片手に苦笑する。

 

「自分一人で片付けられなくて凹んでるの?」

「そういうわけじゃない。家族で協力して立ち向かえたのは良かったと思ってるさ」

「じゃあ、何を気にしてるの?」

「尸解仙から気仙に至っていれば、殺生石を恐れることもなくなるはず。気仙になっていれば俺が防御に回れたし、安全だったのにと思ってさ」


 再び缶に口をつけ口内を潤す。


「それはそうかもしれないけれど、私の防御壁で防ぐことができたのだし、結果から見れば問題は何もなかった。それでいいんじゃない?」

「まあね。……峰霊師父から気仙へ至るのももう少しだと言われてたから、まだなのが何となく情けないような気になってさ」

「ハハハ、そうかぁ、時間の感覚が違うんだね」

「どういうこと?」

「私は三千年生きてきて、野狐やこから地狐ちこ、そして気狐きこへ。その後仙狐せんこになって天狐てんこまできた。三千年かけて五段階だよ。総司はまだ三十年も生きていないじゃない? 本来なら、人間が仙人にもなれていない期間だよ?」


 それはそうだ。尸解で仙人になるとしても、それなりに霊力を使えるほど修行しないと尸解時の変化に身体や魂は耐えられない。俺の場合は、そういった足りないところを玖音が補ったから尸解仙になれた。

 仙人になるまでに必要な修行と時間への感覚が俺には無い。


「うーん、と言っても一年や二年じゃないってことかぁ」

「もう少しと言われていても、一年やそこらで次に至らなくても不思議じゃない」

「……焦っていたのかなぁ」

「そうかもね。とにかく気にすることじゃないと思う。やるべきことやっていればいずれ……ね?」


 葉風と話してだいぶ気が楽になった。考えてみると、霊峰師父は「もう少し」と言うことで、俺が修行に熱を入れると考えたのかもしれない。


 こうして葉風がそばにいて、俺を見て支えてくれている。とても心強い。何を焦る必要があるんだと、今の俺にできることに集中しようと素直に思えた。


 それに陰陽師を相手に戦うなんて、現代では滅多にあることじゃない。今回のことで芦屋家は大人しくなるしかないし、他の陰陽師の耳にも芦屋家と俺達に起きたことは入るだろう。高天原からの目も多少は厳しくなるだろうし、危ない橋を渡ろうとする術師は減るだろう。


 あと気になるところは、崑崙から抜けた……藍睨果のような仙人達。しかし、目立った動きが見えないのだから、今は気にしても仕方ない。何かあれば泰山娘娘から話が来るだろう。考えるのはそれからでいい。


 余計なことを考えず、焦らずに今やれることをやるしかないんだ。


 明日は殺生石の浄化。

 芦屋猛と栄の魂がどうなるかは判らないけれど、できることなら地獄で罪を償い、そして救われるといい。


「判った。さ、そろそろ寝ようか」


 缶に残ったビールをグイッと飲みほした。 


・・・・・

・・・


 今回の浄化は、陽が昇って間もない早朝に行われた。


 いつもなら殺生石の素性は浄化するまで判らない。だけど今回は芦屋猛と栄の殺生石だと知っている。玖音達の母、妲己の石ではないと判っているからか、玖音はもちろん葉風達にも緊張は無い。


 浄化が始まる。

 小粒の殺生石……栄が自身の内部で作った殺生石は浄化されても煙となり消えていくだけだ。

 小粒の殺生石を全て浄化し終えたあと、猛と栄の殺生石の番になる。


 彼らが感じていた、自身の力への自負と分家という境遇への苛立ちや、母を失ったあとの無力感などが煙の中に映し出される。特に、栄が感じていた、人間社会の理不尽さへの怒りが彼らの権力欲を強く刺激したのを理解した。そこに人間社会の理不尽さを少しでも取り除こうという思いがあったのは認める。


 しかし、最終目標がより良い社会の実現であったとしても、力を手に入れるために他者を理不尽な目に遭わせるのは認められない。


 確かに、意図しなくても誰かを理不尽な目に遭わせてしまうことはある。仕方ないとは言わないが、全ての人の立場や状況を理解できない以上、そういう状況を作り出してしまうことはある。

 何かを変えようとすれば、既存の状態に満足している人達に損になるのは自然だ。

 だからこそ、注意深く少しずつ変えて行く必要があるんじゃないかと俺は思う。


 変化を急げば、対応できずに辛い状況に落ちてしまう人も増える。

 もどかしいけれど、最終目的を忘れずに地道に変えて行くのが望ましい。

 それができなかったから、栄達は俺達とぶつかることとなった。

 

 次に機会があれば、もっと忍耐強くやってくれ。


 そう思いながら、薄れていく煙を眺めていた。


「私、桜井さんに全てを話そうと思う」


 煙を眺めている俺と葉風の後ろから風香が言った。

 振り返ると、風凪と並んで楓子がサバサバとした笑顔を見せている。


「いいのか?」

「うん、もしかすると、怖がったり気味悪く感じて私から離れてしまうかもしれない。でも、そうなったら仕方ないって思えるようになった。何より、好きな人を騙しているのは嫌だもの」

「俺にはできそうもないなぁ」


 生きている時間が異なる相手とは、感性が大きく異なるところが出る。そういった点でぶつかり苛々するのは嫌だ。だから、逃げと言われてもいいから平穏に過ごしていきたいと俺は思う。


「総司の場合は家族だからじゃないかな? 私は恋愛の相手だもの。今回、桜井さんと上手く行かないとしても、将来、同じように愛する人と出会うかもしれない。それが人間だったらまた隠すの? 私は嫌だなぁ」


 ストレートな人付き合いをする風香らしい感覚だ。

 そう決めたのなら尊重しよう。そして風香が傷つくようなことがあれば、その時は一緒にいて慰めよう。


 さっぱりとした表情の風香を見ているとちょっと羨ましい。

 きっと同じような心境にはなれそうもないからな。


 ヤレヤレといった表情の風凪だが、彼女も風香が辛い状態になったらきっとそばで慰めようとするだろう。

 

「あなたが決めたことだから、私は何も言わない。でもね? 話すと決めたからって焦っちゃ駄目よ?」

「わかってる」


 俺達は家族だからな。何があってもそばに居るさ。神渡ビルの他のあやかし達だって同じ気持ちで居てくれる。

 風香の後ろで大勢が支えていることを判ってくれればいいな。


 ああ、俺もそうだよな。

 葉風だけでなく風香達も支えてくれているって忘れちゃいけない。


「総司さん、何か嬉しそうっすね?」

「ん? おお、朝凪。昨日は風凪のお供だって? お疲れさん」

「そうなんすよ。ついに荼枳尼様の下僕だけじゃなく、風凪さんの護衛まで務めるようになったんす」

「護衛? 荷物持ちじゃないのか?」

「フフフフフ、荷物持ちに見せかけた護衛っすよ」


 胸を張りややドヤ顔の朝凪が、まるで自分自身を誇るようにズイッと俺に近づいてくる。


「なんだそれ」

「本来の使命は総司さんにも悟られない。この朝凪もレベルアップしたもんす」


 ドヤ顔レベルを一段引き上げて、悦に入ったようにニヤついている。


「ちょっと見ない間に、一段とうざくなったな……お前……」

「うざくてもいいんす。九兵衛や曇兵衛にまで恋人ができても、突撃して全滅していても……ジッと我慢して使命を果たす男になるんす!」

「フラれまくってるのに、友人には恋人できたものだからショックでおかしくなったんか? まぁ、いつものことだし、お前らしいと言えばそうなんだけどさ……」


 図星だったのか、ドヤ顔が消えて目を丸くして焦りを見せる。


「違うっす! レベルアップしてるんす! そこだけは譲れないんすよ!!」

「ふむ、見たところ霊気が乱れているようじゃないな。ああ、あれか、これ以上心が傷つかないよう防衛線張ってるんだな?」


 これまた心中を当てられて動揺しているようだ。


「……クッ……総司さん……この朝凪は……この朝凪は……これからはロンリーフォックスとして雄々しく生きていくんす! 判ってくれなくてもいいんす! 荼枳尼様の下僕、そして使命に生きるんすぅぅうううううう!」


 目尻に涙が見える。友人達に恋人ができたのがそんなに辛かったのか……。


「そ、そうか、どう見ても今のお前は雄々しくはないけど、ま、まぁ頑張れ」

「慰めなんていらないっすよぉおおお!」


 ブワァっと涙をこぼし、朝凪は荼枳尼が立つ玖音の背後まで駆けていく。


 朝凪に幸あれかしと俺は瞳を伏せた。

 そして神社前の祭壇に目を向けると、浄化を終えたようで腰までの銀髪をなびかせて玖音が振り返った。

 鋭く落ち着いた金色の瞳でその場を見回したあと口を開く。


「この機会に報告することがある。我らは人間社会との共生を目指す。もちろんその実現には長い時が必要だろう。困難もたくさんあるだろう。だから、我らは……この神渡ビルは……あやかしが人間にとぶつからずに済むための地盤となろうではないか。神渡ビルだけではない。他にもあやかしが生活できる場所を作っていこうではないか」


 玖音の澄んだ声が屋上に集まったあやかし達に届く。

 俺を含む幾人かは、俺達のリーダーが目指しているところを既に知っていた。だが多くは初耳だろう。

 それでも、玖音をしっかと見る皆の顔には不安は感じられない。信じているのだと伝わってくる。


「今は特別に頼むことは皆にはない。だが、必要なことがあれば協力を頼むだろう。その時は宜しく頼む」


 玖音が頭を下げると、誰とも無く拍手が起き、屋上中のあやかしが手を叩いて同意を示した。


 人はあやかしを恐れてきた。


 自分達とは違う存在。

 自分達の理解が及ばない存在。

 そういった存在としてあやかしを恐れてきた。

 もちろん人を害すあやかしの存在が、人間の恐怖心を煽った。


 そして、人が恐れを無くすための様々な手段を持つにつれて、あやかしは居場所を失っていった。

 芦屋家のようにあやかしを利用する人間まで出てきた。


 だが、あやかしは生きている。生きたいと願っている。

 隠れているばかりでは、生活の場所も手段も失われてきた。


 玖音が人間との共生を目指すのも、それが理由だろう。


 だけど、実現への道がとてつもなく遠いことは、玖音も俺も皆も判っている。


 それでも目指そうというのだ。

 

「覚悟を決めて、頑張るか?」


 俺の腕を掴んで、姉を誇らしそうに見ている葉風に訊く。


 妹の和泉にすら正体を伝えられない俺は、きっと覚悟ができていない。

 事実を伝えずに、避けられるなら避けた方がいいんじゃないかと思っているのも事実。

 でも、俺達のリーダーが願い、ビルの仲間達も覚悟を決めようとしているのだ。

 俺も気持ちを切り替えた方がいいのかもしれない。


「そうね。でもやっぱり無理はしないよう、徐々にでいいんじゃないかしら?」

「そうか……そうだな」


 パートナーは俺を気遣ってくれる。

 だからこそ、もっと頑張らなければと気合をいれよう。


 少しずつの積み重ねが、玖音の目指すところへ近づくと信じて……



(了)

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