【Ⅰ】Peace:Ⅰ「カカオの国のお姫様」



 蒸し暑さも落ち着き、少しずつ秋の訪れを感じる夏の昼下がり。コンビニの自動ドアが閉まり、中から嬉しそうな顔をして、高校の制服を着た黒髪の可愛らしい女の子が出てきた。


 「ありがとうございましたー!!」


 「買えた買えた!」


 彼女は実は将来、栄養士を目指している夢見る十七歳の女の子だ。そして彼女が格別好きなもの。それはチョコレートだった。


 「ああ、この十枚の板チョコ、すぐに終わらないといいんだけれど……調子に乗ってまた食べ過ぎないようにしなきゃなぁ」


 彼女は今日も、嬉しそうに重くなったバッグを抱えていた。今日も習慣である「チョコレートのストック補充」を欠かさなかった。一介の高校生が手にできる「限られたお金」を、彼女は「カカオやテオブロミン」に変えてはうっとりと悦に浸る。そんな日々を送っているのだった。


 「はぁ、今日も疲れたなぁ……なんか、頭の使う授業ばかりで。でも、私にはこれがあるから頑張れるんだよね!」


 そう言って彼女はバッグから一枚の板チョコを取り出した。銀紙を剥くと甘い芳醇な香りが彼女を誘った。思わず表情が緩んだ。そして、一口齧(かじ)って、頬を抑えながら悶(もだ)えたのだった。


 「んんー!!これこれっ!!」




 そして歩きながら、彼女はチョコレートを齧っていた。チョコレートが残り半分に行ったとき、彼女は持っていたチョコレートの銀紙を剥いて、もう半分を口にいれようとした時だった。手元に「小動物のようなもの」が横切って、手に持っていたチョコレートを奪い去っていったのだ。そして彼女は空を噛んだ。なにが起きたのか分からずにきょとんとし、その後、彼女は自分の手元がお留守なのに気が付いた。


 「あ、ああああ!!ないっ!!」


 周囲を見渡す。すると後ろの方に「二本足で立つ、小柄の猫のような白い動物(?)」が「彼女の食べかけのチョコレート」を咥(くわ)えていたのだ。彼女はまだ、小動物が咥えていた部分が、包装紙の部分だったので取り返そうと、必死になって追いかけた。


 「あ、待って!!返してよ!!」


 なけなしのお金で買った大切なチョコレート。それを奪った一匹の白い動物。彼女は必死になって追いかけた。そして小動物は、小高い庭の生垣(いけがき)の中に飛び込むと、姿を消してしまった。彼女も必死に追いかけて生垣を掻き分けて中に入っていった。いつもは見慣れた場所だったから。近所のおじさんに「庭に入ってスミマセン」って。後で謝ればいいよね?そんな軽い気持ちで入っていったのだ――。




**


 生垣を掻き分けて、出てみると、そこには木々が生い茂った、薄暗い森が広がっていた。彼女はびっくりして腰を抜かしてしまった。


 「え?!なになに?!なにこれ?!……私、こんな場所に来た覚えがないのだけれど」


 周りで起きている状況に理解が追い付かない頭。夢だと思った。そして彼女は周囲の木々を触ってみた。しかし、手触りが本物であるようだ。「自分が掻き分けて出てきた生垣」は、振り向くと跡形もなく消えてしまったのだ。「肝心の白い動物」は隙を見て、どこかに走り去って行ってしまったようだ。




 彼女は、取りあえず「くよくよしてても仕方ない」と思い、「家に帰ろう」と思った。しかし、歩けど歩けど、なかなか一向に、見慣れた景色が見えてこない。徐々に辺りの日が暮れ始めた。彼女は疲れて、近くにあった切り株で休んでいたときだった。鼻にかすかな腐臭がした。そして、周囲に涎(よだれ)を垂らした、動く死体のような生き物が二、三体、彼女に近寄ってきたのだ。思わず悲鳴を上げてしまった。


 「きゃあああ!!なに?!なに?!誰か助けて!!!!」




 「私は死ぬかも知れない」そう彼女は思い、目をつぶったときだった。空を切るような大きな音がして、目を開くと足元で「動く死体のような生き物」は、身体から煙を立てて蒸発していた。


そして鉄兜(てつかぶと)を被り、鎖帷子(くさりかたびら)を着た背の高い男性が、片手の大剣を地面に突き刺して目の前に立っていた。


 「……お前、大丈夫か?こんな夕暮れに、森なんか歩いてて」


 「……ここはどこですか?」


 「Ⅰ(シャオ)の国の、メノーの森だよ。……って話してる場合じゃないな。伏せてろ。まだ来るみたいだから!」


 彼はそう言うと、地面に突き刺してあった、錆びた大剣を肩に背負い、勢いをつけながら、彼女の頭の上を掠(かす)めるように、横なぎに斬った。彼女の後ろにいた「動く死体」は首を跳ねられ、そのまま煙になって蒸発していった。


 「グールだな。『地脈』が枯れた影響で、悪い悪霊やサタンが黄昏(たそがれ)時に出てくるようになったんだな」


 「ありがとうございます。助かりました」


 「お前、見慣れない服装してんなぁ。……どこから来たんだ?」


 「……二ホンって分かります?」


 「??」


 男性はきょとんとしていた。彼女は大きく溜め息を吐いた。


 「はぁああ、なんなんだよもー、信じられないよー。なによ、ここどこ?」


 「……落ち着け、きっと混乱してるんだな。お前、名前は?」


 「私は梶原 愛(かじわら めぐみ)。十七歳。あなたの名前は?」


 「カジメグ?変な名前だなぁ。俺はラインヴァルト=ラパツィンスキ。十八歳。傭兵を四年やってるんだ。雇うと高くつくぜ?くくっ」


 「ラインヴァルトね、ラインでいい?あ……私、お金払わないと」


 そう言って、愛はバッグから財布を取り出し、そして三千円のお札をラインヴァルトの手に乗せた。


 「ん?なんだこれ?どこのお金だ?」


 「えっ、使えないのっ?帰らないと生活できないじゃん!!」


 愛はショックだった。彼女は思考を巡らす。ラインヴァルトが「冗談で言ったんだけど」と言ったのが、彼女には聞こえなかったようで。そしてバッグから「板チョコ」を取り出した。


 「ああ、でも……これしか渡せるものないけど」


ラインヴァルトは、愛の手から渡された「板チョコ」をまじまじと見た。そして銀紙を剥いた。しばらく硬直し……そして腰を抜かしてしまった。


 「おっ、おっ、おまえ……これどこで手に入れた?!」


 「え?コンビニだけど?」


 「コンビニ?!それ、どこの高級店だよ?!」


 「……え?ここにはコンビニもないの?!」


 愛はがっくりと肩を落とした。そして、ラインヴァルトは状況が分かっていない愛に対して、諭(さと)すように言った。愛は、黙って息を呑むと、ラインヴァルトの言葉に聞き入った。


 「いいか?カジメグ。落ち着いて聞け?これはな『月の涙(フル・ドローシャ)』とか『竜の秘薬(ファグマ)』って呼ばれている、超高級品なんだぞ!その塊なんだ。分かるか?……分かっていないみたいだな」


 「え?いや、だって……これ、普通にコンビニで買った百円のお菓子だよ?ほら、まだあるよ?」


 愛はバッグを漁ると、もう二、三枚「板チョコ」を取り出して、ラインヴァルトに見せた。どうやらまだ持っているようで出したがっていたが、ラインヴァルトは口が開いて塞(ふさ)がらなくなってしまった。


 「……お前、どこの国の御姫様だよっ!!ああ、隠せ隠せ。これが見つかったらヤバいことになる!!」


 ラインヴァルトは周囲を見渡し、人が居ないことを確認しながら言った。


 「え?だって、普通に手に入るんじゃないの?」


 「手に入らないから困ってるの!分かる?……って言ってても分からないな、お嬢様には。カジメグ、お前……今日はもう遅いから、うちに帰れ」


 「いや、うちが分からないんだよ!帰れたら苦労しません!」


 「……そうか。暗いもんな」


 やや食い違う二人。二人は周囲を見渡す。辺りは暗くなり、周辺の木々はすっかりと見えなくなっていた。




**


 ラインヴァルトは松明(たいまつ)に火を点け、そして歩きながら、グールを追い払っていた。愛は心細そうにラインヴァルトの鎖帷子の裾(すそ)を引っ張って、辺りを見渡しながら歩いた。彼の話によると、グールは「光のある場所」にあまり来ないそうだ。


 「……なんか、変な鳴き声がしてるよ?襲ってこない?」


 「昔はこんなことなかったんだけどなぁ。あ、もう少し歩けば出るぜ?」




 そして、森を抜けるとおとぎ話に出てくるような、レンガや土壁の家が建ち並んでいた。愛はすっかりと周囲の景色に見惚れていた。微かに暖かいスープや肉の焼ける匂いが漂ってきた。


 「おう、ライン!帰ったか!」


 ラインヴァルトは兜を脱ぐとおじさんに笑顔で挨拶をした。愛は、彼の顔を見て少し驚いていた。


 「あー、ポーおじさん、今帰りました!」


 「ん?なんか見慣れない格好の女の子がいるなぁ。どこの子だ?」


 「あ、なんか森にいたんで、保護したんですよ。おじさん、まだ肉屋空いてます?」


 「……ああ、ちょうど閉めるとこだった。良かった。君が最後だよ」




**


 愛とラインヴァルトは、ポーおじさんの肉屋に入った。ランタンの灯りにともされて、店内が見える。ところどころに肉が吊るしてあった。燻製の香ばしいような匂いがした。愛はぶつぶつ言いながら、鳴りやまないお腹を擦(さす)っていた。


 「カジメグ、お前……好き嫌いはある?」


 「いや、特には」


 「ああ、良かったわ。この地域では肉とか小麦がよく採れるんで、ベーコンとかウインナーが旨いんだよ。寒いからうちに帰ったら料理してやるよ!」


 「楽しみー。って、そんなこと言ってる場合じゃない。ここがどこか分からないから、安心できないわ」


 「ん?お嬢ちゃん、なんか心配してるのか?……まぁ、ラインの料理は美味いからな。落ち着くと思うぜ?でも……その分、たくさん食うけど。なぁ、ライン!」


 「その分、働いてるからいいの!」


 そう言って、ラインヴァルトは兜を被り直し、そして豚一頭分あるんじゃないかと思うほど、大きな肉を脇に抱えた。そして鎖帷子(くさりかたびら)の中を探ると、金貨の入った袋を取り出して、銀貨を鷲掴みにして机の上に置いた。


 「はい、いつもありがとね!」


 「またきまーす!」


 ラインヴァルトは壁に立てかけた、大振りの大剣も抱えると、そのまま扉を身体で押しながら、店から出て行った。愛はびっくりして聞いた。


 「……重くないの?」


 「全然。俺、力だけは自慢じゃないけどあるんだよ。頭は悪いけどな」


 「そう言うこと言わないとカッコいいんだけどなぁ……」




**


 そして、町の中心まで歩くと、少し古い木造の家が見えた。風に揺られ、軋む扉の音がした。ラインヴァルトはそれを見ながら言った。


 「ああ、もう結構ガタッガタだな。これは改築しないとヤバいかも」


 「ここがあなたの家?」


 「そうだよ。入って入って」




 ラインヴァルトは、大剣を置き、鎖帷子と兜を脱いだ。改めて愛は、ラインヴァルトの顔をまじまじと見ていた。外国人のような、整った掘りの深い顔立ちが見えた。髪の毛はブロンドで金色をしていた。目は青い瞳だった。彼女は言語が通じるのが不思議に思っていた。


 「ん?俺の顔になんかついてる?」


 「いや、なんか見慣れないとこに来てしまったなぁって思って。明日……帰れるといいのだけれど」


 「俺もびっくりだよ。どっかのお嬢様をこうして、うちに迎えるとは思わなくて」


 二人はくすくすと笑った。そしてラインヴァルトは言った。


 「……ちょっと今、暖炉(だんろ)点けるから。そしたら料理するから待ってな」


 「え?いいよ、悪いって。なんか男の人の家に入るのって初めてだし」


 「あー、気にしないで。俺、あんまり女の子に興味ないからさ」




**


 しばらくして、部屋が暖まり始める頃、ラインヴァルトは料理を木製のテーブルの上に置いた。ジャガイモと豚肉の入ったシチューとライ麦のパン。そして、レンズ豆と胡椒の効いたウインナーを茹でて合わせたもの、それらを着の食器に盛り付け、テーブルの上に置いた。そして木製の樽で作ったコップにエールをたっぷりと注ぐと二人分置いた。湯気と共に、漂ってくるおいしそうな香りが愛を誘惑した。


 「おいしそー!!なんか、ドイツ料理みたいだね!!」


 「ドイツ?どこの国だ?」


 「あ、いや、こっちの話。……この黄色い飲み物は?」


 「これはエール。この地域では、水が貴重だから、麦のエールを飲むんだよ!」


 「そうなんだねぇ。あ、頂きます……味は、そもそも食べられるのかな?」


 愛は両手を合わせた。そしてフォークでウインナーを突き刺して、匂いを嗅いだり、舌で触れたりしながら確認していた。しかし目の前のラインヴァルトは、その間にも、既に凄まじい勢いで料理に口に運んでいた。よく見ると盛り付けてあった量は、愛の倍の量の盛り付けだったにもかかわらず目の前の料理がみるみると減っていく……。


 「ん?食べないのか?」


 「あ、うん、食べる食べる!」


 そう言って、愛はエールを口に含んだ。強烈なお酒の匂いと麦の苦みが彼女の口の中に広がった。


 「にっが!」


 「あー、酒だからなぁ。ちょっと強いかも知れない」


 「……やめとこ」




**


 愛は遠慮がちに、お風呂を借りたのだった。「すまない、服とか男物しかなくって」と、ラインヴァルトが言っていた。「少し気持ち悪いけど、着替えられないけど、今は仕方ない」と愛は思った。


 ベッドは、布団が薄っぺらくて堅い生地だった。しかし愛は疲れていたのだろうか。すっかりと眠気に襲われて、うつらうつらし始めていた。古いボロボロの家屋の屋根。隙間から星が見えた。違う世界でも「同じ天体が回っているのだろうか」と愛は思った。


 「……夢だといいんだけど」


 隣を見ると床で毛布を身体に掛けて、ラインヴァルトが寝ていた。大きないびきを掻きながら。愛はくすくす笑った。そして布団を被って床(とこ)に就いたのだった――。

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