第Ⅳ夜 Jack-o'-Lantern

 ジャック、ジャック、ジャック

 復讐をしたくはないかい?

 恨んではいないかい?

 殺したい相手はいないかい?

 さぁ、ほら、私に任せてごらん

 君を殺した奴らを殺してあげよう

 復讐してやろう

 君が、私の仲間になるのなら

 私は喜んで願いを叶えてあげよう

 お腹が空いても食べられなかったひもじさを

 寒くて寒くて辛かったことを

 君を殺した奴らを

 思い出してごらんよ

 君は、果たして、聖女か否か


 さぁ、ジャックオランタン

 さぁ、ジャックオランタン

 さぁ、ジャックオランタン


 私と一緒に復讐しないか?



「……目を覚ましたか? なんだってあんなところにいるんだ? どうやってここにきた」

 目を覚ました時、目の前にいたのは白衣を着た優男だった。白衣は少し汚れている。

 茶色い汚れ、赤い汚れ、黒い汚れ。

「ハロウィンの時期は過ぎているだろう。なんでったって、二月なのにジャックオランタンがこんなところに? パンプキン伯爵はどこに? ……またあいつ、僕に面倒ごとを押し付けやがって……」

 男はブツブツ呟きながら私を介抱している。

「というか、君、女の子だし……ジャックオランタンは子どもがなるから女でも男でも不思議ではないが……」

「ジャックオランタン?」

 ジャックオランタンはハロウィンの時に子どもが仮装をしてお菓子をもらう中の、パンプキン頭のジャックオランタンだろうか?

 なんの話をしてるのだろう。

「もしかして、君、なりたてで分かってない? ……頭、触ってごらん」

 あたま。そう言われて触れてみる。

「……!?」

 手に触れたのは、ゴツゴツとしたカボチャのようなものだった。

「ちなみに鏡で見るとこう」

「…………っ!!???」

 黒いタイツ、ワンピースの形をしたカレッジの制服、そしてその上にあったのは、カボチャをすっぽり被った頭だった。

「ジャックオランタン!?」

「……やっぱり、面倒ごとを押し付けられたらしい。僕は死体は食わない主義だし、食べたとしても君みたいに死んでからだいぶ経った死体は食わない。腐った体はまずい。君が凍死という比較的綺麗な体だとしてもだ。発見が遅かったせいで足の先や手の先は凍傷で真っ黒、食べたくない。君が死んだのはつい先日といったところか。凍死なのに腐敗が進んでるのは、君を凍死させたものが君が死んだ後に来て、部屋を暖めて腐らせようとしたから。血液は死んだ後に下に溜まるのに、それが動かされ均等になっている……それは、誰かが動かしたから。……なるほど、君はいろいろ複雑な事情らしい」

 死んでる? 誰が? 誰が……?

「……君は死んだことにも気づいてはいない。……ここには死んだものしか来ないんだ。来れない。そういうことになっている」

 死んだものしか来れない。

「……僕は、死んでしまったものを食べることによって魂を救済する、そういう化け物なんだよね」

 ――と、男は言った。




 カレッジの制服は少し汚れていた。お父様が通わせてくれた学校。名家である子どもしか通えない学校だった。

「……私、死んじゃったんだ」

「うん、まぁそういうことになるね」

「でもなんで? 私、なんで……」

 覚えてないのだ。真っ暗な場所にいた記憶はある。なのに後が思い出せない。

 何があったのか。

「君、イギリス人だろう? 赤毛がとても綺麗だ。カボチャで少ししか見えないけど。……その制服は結構有名な学校のものだ。そして君が寝てる間に調べてもらった。君の首にある締め付けの跡、手首の拘束、制服の汚れ、そして、肌に残る傷跡」

 丁寧に指を指すように男はそれをなぞる。指でそっと撫でる。するすると動くそれは、むず痒くて恥ずかしさすら感じる。

「君は何者かに拉致監禁され、そして放置され殺された。目隠しと手首、首輪、完全に拘束をされてね。覚えてないだろう。耳にも耳栓がされていたのだから。何も音が聞こえない真っ暗で動けない中に放置された」

 淡々と男は言う。

「……君の死因は凍死だ」

 淡々と。その、口ぶりに感情はない。

「それがどういう事がわかるかい?」

「……いいえ」

「あそう。まぁ、君を殺したのが身代金目的の強盗か、君をいたぶりたかった変態か、そんなことはどうでもよくてだね。僕が怒っているのは、君をジャックオランタンにした張本人が僕に面倒ごとを押し付け、そしてこの屋敷に入れて、まんまと逃げ果せたということだよ。この屋敷はだね、死んだものしか来られないわけだけど、それには色々と条件があってだね。それを全部無視して潜り込ませたのが、あのクソカボチャだということが! 僕は! はらわたが煮えくり返るほど怒ってるということなんだよ!」

 つたい英語は少し不格好だった。おそらくこの人は英国人ではないんだろう。

 どちらかというとドイツ訛りだ。

「……えっと、ミスター」

 ミスかミセスかミスターかは分からなかった。しかし口ぶりは男っぽい。

「えっと、ミセス……だったかしら?」

「あー、まぁ僕はどっちでも構わないけど」

 男は暫く考えてから言葉を発する。

「……あいつは何を考えて……僕に……を?」

 私は何をすればいいんだろう。どこかも分からない場所でひとりぼっち。

「まぁとりあえずだ、ここは」

 と、男は言いかけて止めた。

「……うーん、いやでもこれを手伝わせるのもなぁ……家事……なら出来るか?」

 なんとも歯切れの悪いことを言うなぁと、私は不安になった。



 私が紛れ込んだお屋敷は部屋数がとても多かった。私のお家よりも多いかもしれない。使用人がいないこと以外は、部屋は綺麗に片付いている。

「……お父様は元気かしら」

 ふと思い出すのはそう言うことだ。与えられた部屋で服を脱いで部屋着に着替え、ふっかふかの布団に潜り込んだ。カボチャ頭が邪魔であること以外は、普通だ。普通なのだ。

「カボチャ、部屋はどうだい?」

「いきなり部屋に入って来ないでよ!」

「……あー、ごめん。部屋に人がいるのは久しぶりなんだ。牢に繋いでたらドアを閉める必要がないからね」

 この男、いちいち物言いが物騒なのが気になる。

「それにカボチャってなに」

「……どーせ、君は名前を忘れてるんだろうからね。見た目さ、カボチャ頭。だからカボチャ。いやなら名前を思い出してごらんよ。まぁ、名前はあの例のクソカボチャ伯爵に取られてるんだろうし、思い出せないと思うけどね」

 失礼な人だ。滑るように発せられる嫌味。

 私は口答えしようとしたけれど、はたと止めた。

「……あれ」

 名前が思い出せないのだ。

 そしてよく考えると、思い出せる記憶と思い出せない記憶があり、思い出せない記憶は古い本に開いた虫食いのように、小雨の後の白い靄のように、見えないのだ。

「カボチャちゃん、とりあえず、僕のお手伝いをしてもらう。ご飯を作りなさい。材料はこちらで用意する。……材料には深く考えるな。君は従順に僕のご飯を作ればいい」

 その物言いには何か聞いてはいけない圧力があった。開けてはいけないパンドラの箱のような。食べてはいけない林檎のような。

 しちゃいけないと否定されたら更にやりたくなるのはカリギュラ効果。

「もし聞いたら、君の頭を煮込んでカボチャスープにしちゃうからね」

 脅し文句。それが冗談に聞こえなかった理由は、一体なんだろうか。




 男が用意する材料は肉がメイン。あとは自分で考えろということらしい。

 なんの肉かは分からなかったけれど。

「……おはようカボチャ頭。君の頭だけなら美味しそうだ。首の上だけ切り取って、そこだけ煮込んで食べようかなぁ」

「このカボチャって取れるの?」

「いや、取れないな。だから首の上だけ欲しい。下は要らないな。庭のカラスの餌にしようか」

「結構です!」

「まぁ、パンプキン伯爵が君をここにやった理由が分からない限りは、殺さないと思う」

「それ以外は」

「……年端もない少女を襲う趣味は僕にはないが、死体としては綺麗な方だからね」

「……」

 嫌な予感がする。

「首から上をカボチャスープに、首から下を標本にするのも悪くはない。凍死というのは本当に綺麗な死体だ。肌は白く透き通って血の通いはないことは明確。しかし、内臓が飛び散るでもなく、怪我もない。標本にするには理想的だ。痩せっぽちでもなく、程よく肉がついてる方だし、早熟かと思えば思うほど早熟でもない。僕が食べるには少し肉つきが欲しいくらいだけど、標本にするならこれくらいスラッとした見た目の方が綺麗だ。……うん、パンプキン伯爵が君のことを手放すなら首から下は標本にしよう。地下室に飾っておこう。ホルマリン漬けもいいが、そのまま氷漬けにして置けば内臓もとっておけるね」

 ゾッと背筋が凍るのは比喩ではない。

 男はニコニコしながらタンスに向かい、ゴソゴソしてからまた目の前に来た。

 このすきに逃げられただろう。なぜか逃げられなかったのは、頭が混乱して来たせいか。

「……そうと決まれば、君をここから逃すわけにはいかないね」

 男は動かない私の首に革紐を巻きつけて、ベルトを留める。飼猫の首に首輪をつけるように、首輪と首の間に指が入る余裕があるのを指先で確かめて、満足そうににこりと笑う。

 かぼちゃの頭の下に少し見える細い首元にされた首輪。

 それは白い首元に映える赤だった。

「……面倒ごとを押し付けられたと思っていたが、これはこれで楽しい暇潰しだ。よく似合ってるよカボチャちゃん。昔飼ってた猫につけてた首輪さ。あまり躾が良くなくてね、僕が地下室で材料を料理してる間に逃げちゃった。次のご飯が君だって、気づかれたのかなぁ? ……まぁ僕は、多頭飼いはしない主義でね。だってほら、餌代がかかるだろう? 愛でるにも嫉妬されちゃかなわないさ。だからさ、君は逃げないように躾けてあげるよ」

 私は思った。私が逃げ込んでしまったところはとんでもないところで、いつ殺されるか分からない地獄なのだと。

 首輪は取れなかった。

 取ろうと手を伸ばすと、首輪に繋がった鎖が引っ張られて首を締めるだけなのだ。

「……取らないでよカボチャ。毎日付け替えてあげてるだろう? これも気に入らないかい? わがままな子だ。君の複雑な事情がなければ今すぐにでも食べたいのに。ねぇ、ほら、良い子になりな、僕のいうことを聞きなさい。ここからは逃げられないよ」

 ここは異常だ。毎日服も首輪も着せ変えられて、普通に生活しているはずなのに、男のせいで何かが壊れていく。私が私で亡くなっていく。いっそのこと、食べられてしまった方が楽だったかもしれない。

「……カボチャ、料理上手いねぇ。その腕は欲しいなぁ。僕はねぇ、あんまり料理上手くないからね」

 私は知ってしまった。

 地下にいる材料のことを。男が調達するお肉は、ただの肉ではない。私も料理が下手ならばとっくに地下にいるのだろうか?

 猫として飼われる立場ではなく、奴隷として食材として鞭を振るわれる立場になるのだろうか。

「なんで上手いんだい?」

 男は無邪気にこう問いかける。震える唇を奮い立たせ答える。口答えしたら何をされるか分からない。そういう恐怖。

「お父様とふたりきりで暮らしてた時に作ってあげたの。お父様ね、元々貴族だったのに借金して何もかも失っちゃったの。でも、お父様の仕事が大きくなって、使用人がまた戻って来てからは作ってないけど……そういえば」

 お父様、と呼び始めたのは、お父様の家が再び大きくなった時のことだ。それまでは優しかった父が、急に厳しくなった。良い学校と、良い暮らしができるようになった。

 でもその時から……。

「私、暗い中に閉じ込められて、真っ暗で、怖くって、何も聞こえなくて、服をビリビリに破かれて、助けてって叫んでも誰も来なくって、そのうち、私……」

 声が聞こえる。嘲笑うかのように、自分にわざと聞かせる言葉。見えないのに声だけが降りてくる。

 聞きたくない、聞きたくないのに。

『名家のお嬢様捕まったってのに、父親に身代金要求してもうんともすんとも言わない。挙げ句の果てに好きにしろだっていう、お前はさぁ、棄てられたんだよ。ハハッ、裏でやべーことしてのし上がった崩れ貴族が、お飾りのために育てた娘をこうもアッサリ手放すかねぇ! 可哀想だなぁ、お前』

 思い出してしまった。

「アッアッ……ウゥ……」

 それを。自分が物のように扱われる恐怖を。

『可哀想だから、最後に良い気持ちで死ねよ。最期に天国にさぁ、逝かせてやるよ。感謝しろよ、冥土の土産には十分過ぎるだろう?』

 ここから先は思い出したくない。

 あぁ、こうなる前に死ねたらよかったのに。

「殺して、標本でもなんでも良いから」

 それが私の答え。




「ふぅ」

 と、煙を吐く。

 紫色の煙とはよく言ったものだと思う。そういう比喩は好きだ。この真っ黒く体に良くないものを紫だと表現するなんて。

「パンプキン伯爵、お前があの子をここにやった理由はなんだい」

「……さぁね」

 ダイニングテーブル、食人鬼の隣に座る男は同じく紫色の煙を吐いていた。長いダイニングテーブルの隣同士に座り、余った席を弄びながら。

 パンプキン伯爵と呼ばれた男は、頭にカボチャを被っていた。下の衣装はモーニングコート。別名カット・アウェイ・フロックコートと呼ばれる、英国紳士の最上級正装。

「挙げ句の果てに処女じゃないじゃないか。僕の好み知ってる? ねぇ?」

「……だからこそだよ、最低最悪の変態偏食家な親友の君が絶対食べない餌をね、潜り込ませたわけだよ。保険のために死後数週間経ってる腐った子をね。君は子供には甘いから暴行はしても食べはしないだろうということさ」

「……暴行ねぇ」

「多少のセクハラ発言はとにかく、暴行はしてない……だろう?」

「してないよ、僕にしては耐えた方だね。というか興奮できるわけがないだろう!? 僕に思春期の少女を愛でる趣味はない。標本として飾っても良いなぁとは思うけどね!」

 その発言を聞いて、虫けらを見るような目をしてからまた一言。

「君の悪趣味も変わらんねぇ」

「お前のその、手当たり次第に死体捕まえてくるセンスも変わらないさ」

 パンプキン伯爵は、食人鬼にこう言った。話を切り替えるように、待ってましたと言わんばかり。

「さて、私の可愛いジャックオランタンは、何処にいるんだい。そろそろ記憶を取り戻した頃かと思って伺ったんだが」

「……あー、記憶ね。戻ったけど、暴れる叫ぶの危険な状態だから、とりあえず拘束して地下に繋いでるよ。手足が自由だと自殺しかねないからさ」

「それは賢明な選択だ。私としても、自殺されてはたまらない。せっかく殺意が高めの良い子が手に入ったのに、死なれちゃ困る」

「アレ、どうするんだ?」

 食人鬼は恐る恐る尋ねる。

「記憶が戻ったらこうなると思っていた。だから、拘束部屋が多い君の屋敷に放ったわけさ。記憶を取り戻した方が私の下僕として優秀だが、記憶を取り戻したら調教をしておかないとかえって危険さ」

「……だから僕の屋敷で面倒を見させたということかお前は」

「そうだ。彷徨ってる子を見つけてジャックオランタンにしたのは良いんだが、予想以上に死んだ時の状況が悲惨でね。身代金目的に誘拐され、拉致監禁拷問を受け、そのビデオテープを父親に送られたが父親はびた一文とも出さなかった。父親は警察にも届け出ず、犯人は彼女を犯してから逃げ去り、彼女はそのまま放置されて死んだ」

「そこは聞いてるなぁ、彼女、うわ言のように繰り返すからね」

 しかし、食人鬼は思っていた。それはただ彼女の運が悪かっただけの話。父親が酷いとも言えるが、それではもう一つ疑問が残る。

「なぁ、彼女が死んだ後に来た人物は誰だ? 彼女の遺体は凍死した後に動かされてるし、名家のお嬢様がその死に方なら……」

「父親は、世間的には娘がいないことになっている。あの子はいわば隠し子だ。名家のお嬢様もあってはいるが、父親にとっては生まれて来てしまった忌子、死んでも構わないということだった」

「……」

「……彼女が死んだ後に来た人物は父親だろうな。死体を抹消し、世間的にも物理的にも存在を消すため。証拠を残さないために」

 監禁されていたところのテープを見て、場所を特定した父親は亡き娘の墓も作らずに地面に埋めたのだ。

「彼女は二度殺されたのだ、犯人と父親と」

 パンプキン伯爵はそう言いながら煙を吐いた。うっとりするかのような表情で。

「ジャックオランタンとして私の下僕にするには十分すぎるほどの悲惨な話だ。早速、連れて帰りたいんだが、」

「地下室の鍵はこれだよ、首輪と手錠と足枷はしてある。大人しくさせるための道具の場所は知ってるだろう? いくらでもすると良いさ、案外素直な良い子だったから僕の命令は聞くようになったさ」

「ナイスだ、我が親友。調教を途中までしてくれるなんて良いサービスじゃないか」

 なにか怪しい商売の店と勘違いしてるんじゃないだろうか、と食人鬼は思う。パンプキン伯爵は意気揚々と地下室に走っていった。

 それを眺めながら思う。

「……せめてカボチャスープは飲みたかったな」

 と。


「僕、今回は只働きじゃないか」

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