第Ⅲ夜 Casu marzu
「今宵は、チーズを作るもんで虫が苦手な方はご遠慮してくれると助かるよ。作者も足が多いものと幼虫系は苦手だからその辺の描写は抑えめにいくけれど、万が一というのがあるからね。では、今宵も楽しんでいってくれたまえ」
「カール・マルツゥが食べたいなって思ったんだ。僕はあのチーズで作るチーズケーキが大好きでね。君はちょうど良い材料だったわけだ。ちょっと面白い作り方を見つけたから、試してみたくもなった。スカフィズムって知ってるかい?」
楽しそうな声だった。それは悪魔の声。目の前にいる優男は正真正銘の悪魔だった。
何を言ってるのか遅れて理解をする。
この男は、私を食べるためにここに連れてきて、そして今私は調理方法を直に聞いているのだ。自分が料理される方法を。
丁寧に優しく。
「まず君をチーズにするために、牛乳と蜂蜜をたくさん飲ませる。吐くくらいたくさんと飲ませて内臓がはち切れんばかりに流し込む。牛乳と蜂蜜は時間をかけて発酵して、やがてチーズになる。そして、君の体に蜂蜜をたっぷり塗って牢に入れる。本当は池のボートに置き去りにするのが良いらしいが、僕の屋敷には池がないし、君の食べ頃を見逃すかもしれない。君の体にはやがて蛆がわく。それが体を食い破って柔らかくしてくれる。グジュグジュに崩壊するまでにかかる時間は2週間。2週間経つと絶命するらしいが、たまに生きてる者もいるらしい。そうしたら死ぬまで繰り返そう。僕が考えたスカフィズムによるカール・マルツゥの作り方なんだけどどうだろう。女の人の肌は柔らかくてもろいから、1週間で死ぬかもしれないね。まぁそうなったら、出来上がりが早く済むだけだ。たっぷり苦しんで死んでおくれ」
優しく男は説明する。
「さぁ、ならば早くことをしようではないか」
私の着ている服に手をかけ、ボタンを外し、ストッキングを脱がし、スカートを脱がし、首輪と手錠をかけ、その食欲と好奇心に眼を爛々と輝かせ……。私を一糸まとわぬ姿にしてから、こう呟いた。
「やっぱり、食べるには女の子に限るよ。美味しそうな柔肌を見てると、本当にそう思えてくるんだ」
獣のような目をこちらに向けて。
死にたいと願ったことはあった。
毎日が同じことの繰り返し、マンネリした世界では私なんかいなくても何も変わらない。
そう願ったからこんな目にあっているのか。
私は、なんでここにいるのだろう。
「はい、口開けて」
男の手は優しい。抵抗しなければ酷いことはされない。付き合ってた彼氏は抵抗したら殴る蹴るの暴行をしてきた。私の体はあざだらけ、なのにこの男は、
「おや、怪我してる。ここも。しみないかい? 大丈夫?」
私の体を見て心配してくれた。
されていることは、牛乳と蜂蜜をたっぷり吐くまで飲まされ、体に蜂蜜をたっぷり塗るという拷問の最初の手順なのだけど。
お腹の中は気持ち悪くて、飲まされた牛乳は腐っていて、何度も吐いて下痢をして、自分が人間出なくなった気がして、もう自分はこの男のための材料なのだ、食べ物なのだ、これはこの男に食べられるまでの拷問、かけてくれる言葉は全部男が私を食べるための言葉なのだ。吐くたび下痢をするたび、自分が人間で無くなっていく。吐瀉物に虫が湧いて、それが自分の体を這っていく。ピリピリ痛いのは蛆が自分の体を食べていて、体の中に入って巣を作っていくのだ。卵を産み、そしてまた食い破られる。怖くて、でも逃げられなくて、吐いて食べ流された上にまた蛆が湧く。
「……うえっうっ、うっ……」
お腹ははち切れるばかり飲まされているのだから、餓死では死ねない。少し空くと男が追加で流し込む。たまにお腹を触って、触られるたびに吐いて戻した。
「うーん、結構時間がかかるんだなぁ、もう少し足さないとだめか」
「……殺して」
「ダメだよ、僕、だいぶ時間が経った死体は食べない主義でね。食べるなら美味しく食べたいから。あ、虫がダメかい? カール・マルツゥは蛆ごと食べる人もいるけど……、あ、女の子だからね流石にダメだったかな」
確かに体を這われる感覚は初めのうちはおぞましく嫌だった。悲鳴を上げて泣き叫んだほどだ。だけど、次第に慣れ、今では食われた自分の体を見ることの方が発狂ものだった。
発狂して頭がおかしくなりそうだ。
これがもう何週間も続いている。
だいぶ体は穴だらけになり、血も吸い尽くされている。そろそろ私は死ぬだろう。
蛆だらけの醜い姿になって。
「お腹のチーズももう固体になったもんね。よく頑張ってくれたよ。あとは」
悪魔はニコリと笑う。
「……君がチーズになって死ぬだけさぁ」
ぱんぱんとチーズを叩く。飛んでいく蛆は五メートルくらいはゆうに飛んでいく。やっぱり外で作るべきだっただろうか。地下牢とはいえ、こんなに大量の蛆を掃除するのは骨が折れる。ブンブン飛ぶ虫は窓を開ければいいが、中にいる幼虫は全部掻き出しておかなければいけない。
蛆を食べる人もいるらしいが、僕はそんな趣味はなく、お腹も壊すしそこまではしたくない。チーズは腐りかけまで発酵して、良い具合だ。骨の部分を撤去して、チーズだけを残す。
「あ、いい具合だ」
独特の香りが鼻をくすぐる。このツンとした匂いが好きなのだ。
蛆はチーズを食べてフンを出す。それがさらにチーズを柔らかくする。作り始める前に下剤を飲ませて胃を空っぽにした。不純物は入っていない純正なチーズがたっぷり詰まっていた。それを取り出し、切り分ける。中までちゃんと発酵が進んでいる。
「美味しそう」
たっぷりと栄養分を食べた蛆はちゃんと美味しいチーズを作ってくれたようだ。
周りの肉はこそげ落とし、チーズの隣に置く。崩壊してほとんど残ってはいないが、残ってる分は食べてしまおう。
なかなか手間も時間もかかるけど、これはなかなかの出来だな、と思う。
「……死にたいって言ってたのにいざとなったら生きたいって言うんだ」
最後の方は叫び続ける彼女のカウンセリングみたいな感じだった。
人間ってそういうものだ。
案外人間というものは、本当に死のうと思った時、死ぬべきでない理由を探して死ぬことを避けるものだ。死にたくないと喚き続け、最期まで抗ってみせる。
「……うん」
今回はあんまり楽しくはなかった。
「あぁ、そうだなぁ。美味しいけれど、興奮はしなかったなぁ」
ただ淡々と、食べ続けて残る虚しさはなんだろうか。殺すことの楽しさを、今回は感じなかったからか。酷い理由だ。人間味のない、酷い理由だ。
「酷い理由だなぁ」
改めて思うよ、――僕は酷い人だな、と。
「良いアイディアだと思ったのに、作るときはそんなに楽しくなかったんだ」
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