私の盲目
伊吹ねこ
第1話私の盲目 1-1
1
“恋は盲目”になり、人を見苦しくするとジェシカは言った。日々盲目になっていくあの男に盲目になっていく。見苦しくなっていくと自覚しながら、あたしはもうそれを止められない。
あたしは、退屈が売りの女。いやいや、あなたが思っているようなことじゃない。つまり、あたしが退屈な女じゃないってこと。実際あたしは、つるんでみると面白い女だと思う。そういう自負はあるの。というか、飽きさせることなんてないと思っている。
でも、あたしが何をしても心から笑えないし、心から楽しいと思えないってだけ。でも、笑えないってことじゃない。ちゃんと笑えるけど、何だか風船に穴が開いているみたいに膨らむことなんてないの。
だからだろうか。何だか周りと同じようにしようと思わなかった。例えば、小学校の遠足なんかの時、みんなが仲良く手を繋いで歩いて目的地を目指している時もあたしはその輪には入らずに一人後ろで歩いているような子供だった。
あたしは、変異種。犯罪学者、ロンブローゾは生来性犯罪説を唱えた。今では、環境による要因が主流だけど、私の遺伝子には、その螺旋状に続く不可解なものの中には、あたしの犯罪の因子とも呼べる物があった。
自然犯でも法定犯でも人が決めた定めなんだから、あたしがすることは罰を受けるような物ではないけれど、あたしの感じる罪はそこにはあった。これがきっと悪の因子だ。あたしはあたしの罪の意識を軽んじることでなんだか楽しいと感じていた。
あたしが今までいた一般的その他諸々の中では楽しいと思えなかったんだから、あたしはアブノーマルなんだと思って他のみんなとの道を外して歩いた。それがあたしの感じる初めての快楽だった。
いや、その気持ちは違っていた。それに気づいたのはつい最近なんだけど、もうちょっと取り返しのつかないところにいるみたい。最初確かにその行為には刺激が伴って、その刺激を楽しいと感じていた。
でも、刺激に慣れるとより強い刺激を求める。慣れた刺激は私に何ももたらさなかったの。ただ、虚しいとかつまらないと感じることが増えてしまった。そう感じた時、あたしは、これは楽しいじゃないのだと思った。
なんだか、あたしには居場所なんてないように感じた。ノーマルでもアブノーマルでもないあたしはこの世のどこにも居場所がないように感じた。罪を犯すことで楽しいと感じていたあの頃にはもう戻れない、罪を犯すことで心が軽くなったと勘違いしていたあの頃にはもう戻れないの。戻ったところで殊更にそれが思い起こされるから。
最近は、こんなことの堂々巡りだ。本当にどうでもいい。あたしを楽しくさせる、わくわくさせる、ドキドキさせる、そんなことなんていないんだ、と諦めているくらい。
だから……。
そんな最中、あたしはつまらなさそうに阿呆面でもしていたのだろうか。バカそうな奴らにナンパされてしまった。まあ、カラオケくらいなら別にいいかと思っていたが、どうやらその阿呆どもは金がないらしく巻き上げようと本当にくだらないことを堂々と相談していた。あたしたちナンパ組は、(この時すでにナンパされている女はあたし以外に数人いた)いや、あたしはどうでもよかったので、ぼうっとしていると周りとは違う空気を纏っている男に目が止まってしまった。あたしはよくそのような人を見つけてしまうが、それは私の持っている癖(へき)だった。
夢か現かそれとも幻か。あたしはその光景に既視感すら抱いた。この男とどこかで会ったことがあるようなそんな言い知れぬ恐怖と毛が逆立つような興奮を感じていたの。
このとんでもないことが起こる池袋の街においてもその男は一際目が引くのだろう。この阿呆な男どもは、空を見る男に近寄って金でも巻き上げるつもりらしい。なんといってもなんだか弱そうだという認識からその考えが浮かんでいる。
だが、その行為が間違いであることは言うまでもない。本当にこの阿呆どもは程度が低く、どうしようもないクズであるらしい。当然とばかりに返り討ちにあった。それでも、あたしは驚いた。阿呆どもの弱さに驚いたんじゃない。返り討ちし終えて、強さを誇ることをしないその男に驚いた。何もなかったようにまた空に視線を向けているのだ。この男には、阿呆どもの去り際の言葉なんて聞こえていないのだろうなと思った。そう思ったら、なんだか笑えた。
あたしは、この男に興味が湧いた。あたしと同じ匂いがしたのかもしれない。それとも、こんな男を初めてみたがための一時的な興味だったのかもしれない。それとも単にカラオケがなくなって暇だっただけかもしれない。
そう、ただの暇つぶしだ。暇つぶし……なんだ。
だから、あたしは声をかけることにした。
「お前……。そんなことして楽しいか? おーい、聞こえているか?」
この言葉以外にも声をかけてはみたがあたしの声はことごとく無視された。ほんとにすごい集中力だ。そんなに面白いのかとあたしも空を見たんだけど、なんともないただの空だった。なんなら、ちょっと雲行きも怪しいくらい。あと少しで月も隠れそうだ。
「こんなの絶対に楽しくないよね」
あたしは、この男の集中力が無くなるまで待っていることにした……のはいいのだけれど、この男全く集中力を途切れさせる気配がないのだ。本当に驚きだ。2、3時間くらいだろうか。ずっと空だけを見ていた。空は月どころか雲しか見えないのに、ずっと見ているのだ。いや、わかるけど、子供の頃雲の動きとか流れる様子を見て楽しいって感じたことは思い出すことができるけど、もう高校生くらいの男が雲の動きとかを楽しいと感じているなんて信じたくはない。
さすがの男もいよいよ首も痛くなってきた頃だろう。長い時間上を向いていたらそうなる。それとももう帰る時間にでもなっているのだろうか。いやいや、こんな時間に外に出ている男に門限なんてあるはずがない。なんせ今は0時くらいなのだから。
コキコキと首を鳴らしながら、時計回りと反時計回りに首の体操を数周させて男がようやくこちらを見たことであたしは、声をかけることにする。もちろん、この男があの阿呆どもからの第一声を無視したことはあたしも知っているし、実際にあたしも無視されている。だから、少し工夫を凝らしてみることにする、と言っても男の腕を掴んでこういったのだ。
「いつまで上向いてんの? 星でも見てんのかって思ってたけど、随分と前から曇り空になったし」
そんなことだったと思う。よく覚えていない。正直こんなに緊張するなんて思いもしなかったんだ。
「空を見ていた……」
いや、そんなことはわかっている。あたしはそんなことを聞きたいんじゃなくて……、っと思ったが、あたしが聞きたいことってなんだ?と思ったら特になかったので、その答えでもいいと思ってしまった。自分で振り返ってみてもぶっ飛んでいて笑えてくる。
「そうか。空を見ていたのか。それは面白いの?」
「ん?面白いのかな……。よくわからない」
「じゃあ、なんでお前はいつまでも上ばっかり見てんの?」
「なんだか美しいと思ったから見ていたんだ」
「こんな曇り空が美しいのか? 狂っているな」
内容のない会話ではあったが、この男はどうやらあたしの睨んだ通り他のやつとは違うと感じた。この話を聞いてまた空を見たけど、雲行きがさらに怪しくなってきた。本当に笑える。全然美しいなんて感じないんだから。というか美しいってなんだよ。男が大真面目に言うことではないな、とバカにしてやった。
そのあと、あたしはこの男についてとことんいろいろ聞いてやった。やっぱりこの男は、不思議な男だった。かっこよく言うとミステリアスと言ってもいい。ミステリアスなんて今時流行りもしないのに、なんでそんなキャラを選んだんだか……本当に面白い。何が面白いって価値観がめちゃくちゃなんだ。ここ最近なんて、山に行って星ばかり見ていたなんていうんだから、思いっきり笑ってやった。
それからあたしは、こいつに面白いことでも教えてやろうと思って
「明日もここにくるの?」
と聞いたら、男は小さくうなだれた。明日この男をあたしが知っている楽しい場所に連れて行こうと思う。きっと気にいるはずだ。あたしは、なんだか明日男に会うことが楽しみになっていくのを感じた。
あたしもこの日は、何もすることなくネカフェに帰ったんだけど、どうにも落ち着かなかった。(あたしはこの時すでに家出中であった。もう随分と家にすら帰っていない)
だから、昨日の初対面と同じ時間。午後9時くらいだったかな。それくらいの時間だと思う。少し早いと思ったけど、あたしがまた池袋西口公園に行くと男は、その公園の真ん中に突っ立っていた。
男は、半袖のTシャツに、黒の長ズボンの上下真っ黒の服装をしており、洒落っ気はあまり感じられない。街灯のない道ですれ違ったのなら、きっと近くにならなければ気がつけないそんな格好。でも、池袋ではすぐに見つけることができる。
知れば知るほどに、あたしはこの男を変わっていると思ってしまう。いや、あたしだけではなくて、誰だってこの男の価値観に触れてしまえば、興味を引くことになってしまうと思っている。
私は、見つけられたことがなんだか嬉しくなって気持ちが高ぶったのを覚えている。近づいていく足は少し早足であったはずだ。
「本当にいるんだな。どう? 今日の空は美しい?」
あたしは、後ろからからかったように声をかけたつもりだったんだけど、男は一瞬後ろを振り向くと予想通りだったようで少し安堵していたのがわかった。そして、また空に顔を向けていた。
「なんだ。報復に来るかと思ったよ」
「昨日のやつか。あたしとあいつらの関係は、そんなに濃いモノじゃない。ちょうどあそこでナンパされたんだ」
少し安堵していたのは、どうやらあたしが復讐に来ると思っていたけど、そうじゃなかったからの安堵だったようだ。まあ、それもそうか。あの男たちはボコボコにやられてしまったから、今度は人数を増やして報復に来ると思うのも当然。でも、今の不良っていうのはめんどくさがりが多いんだ。個人的な敵愾心はあるんだろうけど、わざわざ労力を使ってたった一人のために復讐なんてするはずがなかった。
特にあの阿呆どもはそんな連中だ。なんにも見つけられずにただ街でぶらつき、遊ぶくらいしかできない。
そんなことを言ってしまうと、あたしもそんな連中と大差がないと思い知らされてしまう。あたしも何も見つけられない。どこにいてもどんなことをしても、楽しいなんて思えないんだから……。
「あそこで充電してたら、声かけてきたんだよ。カラオケいこーぜってあたしも寒くなってきたし、カラオケで充電すればいいかと思ってついて行っただけ。報復するために手を貸したりする間柄じゃない。まあ、あんたには充電できなかった恨みがあるけどね」
と少し含みがありますよっていうアピールをしてみたんだけど、それが何だかわざとらしすぎて、一人で笑ってしまった。自分が言ったことで笑うなんてあたしも少しネジが飛んでるのかな、なんて思うとさらに笑えてきた。まあ、
これはきっとこの男にまた会えたことで興奮していたんだと思う。こんなに不思議なやつ他にはいないから。
「それは悪いことをした。謝るからどっかいってくれ」
「そんなので許せるわけないじゃん。今日は私につきあえよ」
そう、あたしの伏線はこんなところでも有効に使える。我ながらいい機転だと思う。よし、これでこの男に面白いことを教えてやれる、とそう思うとなんだかテンションが上がる。
ここまでくれば、わかると思うがあたしは世話焼きなのだ。この男がドキドキすることやワクワクすることをあたしが、それを教えてやるって思うの。
「断る。そんなに暇じゃないんだ。どっかいってくれ」
「あたしは、空ばかり見てもつまらないんだ。あたしが知っている面白いところに案内してやるよ」
あたしにはわかる。この男はきっと押しに弱い。あたしが手を引いてやれば、きっと断れずについてくるだろうと思っていた。その予想は大当たりで、あたしの手に引かれて男は何も言わずに、引っ張られるがままに、なすがままにあたしについてくる。
あたしは予想が大当たりしたこととあたしの質(たち)のために張り切る。すべての男のリビドーを直撃させるなんて容易いことだとあたしは知っているし、それをしてやれば、この男はあたしにメロメロになるだろうとおもうの。
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