第12話:清らかなものたち
どこにあるのか、自分の目だけで探すには、この部屋の中は余りにも沢山の物で溢れかえっている。
『やべぇぜ……。今まで感じたことのないやばさだ……。深い恨みの塊が、この部屋のどこかにある……』
ずっと黙っていたエビルが声を出す。
「それは恐らく、母の左翼ね。ただ、ここは結構広いのよ。以前来た時には探し切れずに去ったくらいだから。けれど、今はアスピスがいる」
ロゼッタは左手の手袋を外し、アスピスを呼び出す。
「穢れなき魂を持った、私のアスピスたち。探して。悪しき呪いの元凶を。私の、母の一部であった物を。ガルーダの、気高き白い翼を!」
ロゼッタの言葉に呼応するように、白い光を放つ体をうねらせながら、アスピスたちが部屋中を這い回る。
床に置かれている物から、壁伝いに積み上げられているものまで全て。
その光景はまるで、白い樹木がその枝葉を急速に伸ばして、育っていくかのようだ。
そして、一匹のアスピスが、ロゼッタの探し求めた物を見つけ、ロゼッタの元へと戻ってきた。
ロゼッタは、そのアスピスに導かれて、部屋の奥へと足を進める。
アヴァンは、左の鍵手に青い焔を灯したまま、ロゼッタの後をついていく。
アスピスが導いた先にある物は、巨大な箱。
それはまるで、死人を葬る際に使われる、棺のような形をしている。
何重にも鎖が巻かれ、あたかも何者かを外へ出さないようにと封印してあるかのようだ。
部屋中に散らばっていた無数のアスピスたちは、徐々にその棺の周りに集まり始める。
「これで、間違いないようね……。アヴァン、開けてくれる?」
ロゼッタに頼まれるままに、アヴァンは棺に巻かれた鎖を引き千切り、重たい棺の蓋を開けた。
その瞬間、棺の中から禍々しい闇が溢れ出てきた。
『やべぇっ! アヴァン、離れろっ! その闇に触れるなっ!』
エビルが叫ぶより早く、アヴァンはその場から飛び退いて棺から離れていた。
アヴァンの中にある魔族の本能が、危険を察知したのだった。
アスピスたちも、アヴァンと同じく、闇に触れないようにと棺から離れている。
ただロゼッタだけが、その足を前へと進めた。
暗闇の中でもはっきりとわかるほどの、禍々しい気を放つ闇は、黒い煙のように流れ出し、まるでロゼッタを手招きしているようにも見える。
闇に誘われるままに、ロゼッタは棺のすぐ傍まで歩き、その中を覗いた。
棺の中にあるのは、人一人分の大きさの、白くて美しい翼だ。
呪いのために溢れ出す闇が目に見えないビプシーならば、その美しさに心奪われ、手に入れたいと思う事は至極当然の、言葉にできないほどの美しさを、この翼は持っている。
その魅力にアヴァンは、まさかこの翼にもハーツが隠されているのではないかと疑ったが、エビルがその考えを訂正した。
『アヴァン、違う。この翼が魅力的に見えるのは、内にある恨みの念がそれほどまでに深いという証拠だ。あべこべさ。醜い呪いを隠す為のな』
エビルの説明を聞いても、アヴァンにはピンとこない。
アヴァンには、目の前にある闇を放つ巨大な白い翼が、ロゼッタの背にあった美しい翼となんら変わりなく思えている。
「確かに、エビルの言う通りかも知れない……。けれど、母さんの翼は、呪いの品になる前からずっと、ずっとずっと、美しかったわ」
そう言って、ロゼッタは躊躇せず、闇が溢れ出る翼を手に取り、抱き締める。
翼はロゼッタの手を逃れようとするが如く、先ほどよりも更に濃い、深い闇を放ち始める。
しかしロゼッタは、決してその腕を緩めない。
翼をきつく抱き締めて、優しく声をかけた。
「母さん……。迎えに来るのが遅くなってごめんなさい。けれど、これからはずっと一緒だからね……」
すると、不思議な事に、翼から溢れ出ていた闇が、徐々に消え始めた。
何か音が鳴るわけでもなく、光が放たれたわけでもない。
ただただ静かに、自然と闇が薄らいで、その姿を消していったのだ。
後に残ったのは、美しい白い翼……。
ロゼッタの背にあるものと全く同じ、天使のような清らかな翼だった。
ロゼッタは、胸元から例の巾着袋を取り出して、その中から翼がぴったりと収まる大きさの、美しい装飾が施された箱を取り出した。
その箱の中には色とりどりの花が敷き詰められていて、ロゼッタはその上に大事そうに翼を置き、蓋をして、巾着袋の中へと戻した。
「これでもう、この屋敷は大丈夫。母さんも、悲しまなくて済む」
そう言って、ロゼッタは安堵の表情を浮かべる。
少し離れた場所にいるナリッサの顔が、微笑んでいるようにアヴァンには見えた。
「さてと、私の用事は済んだし……。あとはどうトンズラこくかが問題ね!」
ロゼッタはパッと表情を明るくして、いつもの調子でそう言った。
部屋中をぐるりと見回しながら、どこか出口は無いものかと探す。
「ロゼッタさん、ここには以前同様、他に出入り口はないのよ。だから、ここから出るしか……?」
ナリッサは言葉を言い終わる前に、異変に気付いた。
背後にある巨大な鉄扉が、微かに振動しているのだ。
「ナリッサ? まさか、警察官が外に!?」
ロゼッタは、慌てて扉に走り寄る。
扉の表面に両手を当てると、石を割る為のドリルを押し付ける際に発生するような、嫌な振動が伝わってきた。
ノートンが引き連れてきた狙撃班員たちが担いでいたのは、鉄扉を破壊するためのドリルだったのだ。
「迂闊だったわ。小さな扉の鍵さえ閉めてしまえば問題ないと思ったのに……。きっとノートンだわ。この扉を破るつもりよ。ノートンは知っているの。小さな扉は三重構造になっているから並大抵のことじゃ絶対に開けられないけれど、この扉は一枚の鉄で出来ているから、溶接した部分を削れば破れる。鉄と煉瓦が何重にも重なっている壁を破るよりも、ずっと簡単なのよ」
ナリッサの青褪めるような表情に、ロゼッタは必死に考える。
何か魔法をかけようにも、ロゼッタにはもうその体力は残っていない。
両足が小刻みに震えているのは恐怖からではなく、立っていることで精一杯だからだ。
ブルータスが心配していたように、先ほど銃に撃たれたことによって、ロゼッタは血を流しすぎていた。
それに加えて、アスピスを召喚しての翼の捜索は、ロゼッタの中にある魔力体力を共に限界まで削ってしまっていた。
だがしかし、助かる道はある。
ロゼッタは、一人ではないのだから。
もう、あの方法で逃げるしかない……。
部屋の中央まで走り、ロゼッタは天井を見上げる。
「ロゼッタさん!? そこはっ……!?」
ナリッサが制止する声を掻き消して、ロゼッタが叫ぶ。
「アヴァン! 力を貸して! ここから逃げるわよっ!」
しかし、アヴァンはどこか上の空だ。
少し離れた場所に突っ立ったまま、ロゼッタの言葉などまるで聞いていない。
すると微かだが、ゴーン、ゴーンという、金属と金属がぶつかる鈍い音が、扉の方から聞こえてきた。
扉の溶接された部分をドリルである程度まで削り、後はドリルををぶつけて押し開けるつもりなのだろう。
聞き覚えのある声も聞こえてきた。
「ナリッサ!? そこにいるのかっ!? いるのなら返事をしろっ!?」
それは間違いなく、ノートンの声だ。
ナリッサの耳にもそれは届いているだろうが、決して返事をしようとはしない。
扉が開いてしまえば、銃を持った警察官が入り込んできて、銃撃戦になるに違いない。
そうなってしまえば、ロゼッタもアヴァンもたたじゃ済まない。
何よりも、ナリッサが巻き込まれてしまう。
一刻を争う事態に、ロゼッタは声を荒げる。
「アヴァン!? 早く、こっちに来て! 早くっ!!」
しかしアヴァンは、まだ動かないどころか、目線があらぬ方向へと向いている。
深い藍色の瞳で部屋の奥を見据え、アヴァンは小さく呟いた。
「エイシャ……?」
部屋に入ってから一言も喋らなかったアヴァンが呟いたのは、妹エイシャの名前だった。
「まさか……。ここにあるのっ!?」
ロゼッタの問い掛けに、アヴァンは答えられない。
頭の中に、心の中に聞こえている声が、アヴァンの思考を独占している。
何かが、誰かが、アヴァンを強く呼んでいるのだ。
「エイシャ、だべか……?」
アヴァンは、声が聞こえる方向へ、ふらふらと歩いていく。
床に散らばった金貨や宝石が、アヴァンの歩みに合わせてカシャカシャと音を立てる。
ロゼッタは、既に形が変化してしまっている鉄の扉を視界に捉えながらも、アヴァンを止めようとはしなかった。
ありったけの力を振り絞り、万一の時のためにと、両手に魔力を貯め始めるロゼッタ。
その背後、暗闇の中を、アヴァンの左の鍵手に灯った青い焔が、人魂のようにゆらゆらと移動していく。
この部屋に足を踏み入れた瞬間から、アヴァンには一つの声が聞こえていた。
今まで、沢山聞いてきた声とは全く違う、聞き覚えのある声だ。
だが、不可思議なその声に、その言葉に、いったい何が起きているのか、その真意がアヴァンには今の今までわからなかった。
その声は、ただただ喜んでいるのだ。
アヴァンに会えて、嬉しいと……。
次第に大きくなるその声に、アヴァンの思いは確信へと変わっていく。
そして……。
「これ、だべ……?」
アヴァンが手にしたのは、青くて丸い石が蓋に埋め込まれた、小さな緑色の箱だ。
その箱の側面には、薄らと文字が残っている。
そこには「清らかな心」と彫られている。
アヴァンは、震える手で、その箱をそっと開けた。
中から現れたものは、虹色に光り輝く、手の平サイズの白い玉。
その玉はまるでアヴァンに話し掛けるように、光を放ち続けているのだ。
その声が、アヴァンには聞こえている、届いている。
「エイシャ……。エイシャ、なんだべな?」
アヴァンは、腰から黒い銃を抜き取り、白い玉目がけて優しく引き金を引いた。
黒い弾丸が白い玉に溶け込み、白い玉は目映いばかりの光を放った。
そして中から浮かび上がってきたのは、薄紅色に輝く、美しいハーツだ。
ハーツは、アヴァンに話し掛けるように光を放ちながら、上へ上へと昇っていく。
「エイシャ……。良かった、本当に良かったべ。村へ戻ったら、かかぁによろしく言ってくれ。達者でな……」
笑顔のアヴァンは、天井をすり抜けて消えていくハーツを、優しく見送った。
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