第10話:血塗られた黒真珠

 ブルータスは、一見不便そうなその丸い手で、器用に手当てを行った。

 ロゼッタの右腕から銃弾を取り出し、消毒をし、縫合した後、治りが早くなるようにと魔法をかけた。

 すると、まるで銃に撃たれたことが嘘のように、ロゼッタの傷ついた右腕は綺麗さっぱり治ってしまった。


「よし。これでいい」


 一通り治療を終えたブルータスは、治療に使った道具を元のように体内に戻し、ジッパーを上げて、何事もなかったかのように服を着直し、景気づけに葉巻に火をつけた。


「ふ~。で、お前さん、何か聞きたいことがありそうだな?」


 白い煙を口から吐き出したブルータスの、つぶらな瞳を隠すためのサングラスがキラリと光る。


「あ、あぁ……。けんど、もう、何をどこから聞いていいやら……」


 アヴァンは混乱し、頭を抱えている。

 ロゼッタを永遠に失ったと勘違いしたアヴァンは、先ほどまで心を支配していた、怖くて仕方がない気持ち、あまりにも大きな喪失感を、まだ引きずっているのだ。

 ロゼッタが怪我をしてしまった事を申し訳なく思い、安易な罠にはまってしまった自分が情けない、そんな思いでアヴァンの心の中はいっぱいだ。

 その身に尻尾と角が残ったままだということに、まだ気付かないほどに……。


「お前さんが引っかかったのは誘惑の罠さ。魔族の好む画を見せておびき寄せ、罠にはめ込んで捕まえる。あれは恐らく、魔族の最も好む果実か何かの風景だろう。本能には逆らえねぇのさ。けどまぁ、所詮、三流が使う初歩的な術。力と頭のない奴がやることだ。現に、お前さんもすぐ抜け出せたろ? それから、ロゼが怪我をしたのはお前さんのせいじゃない。ロゼは油断していた。ロゼの過失さ。気を落とすことはない。お前さんは何も悪くない」


 ブルータスの葉巻をふかすその仕草が、アヴァンにはとてつもなくカッコ良く見えていると同時に、その言葉がアヴァンの心に落ち着きを取り戻させた。


「そ、そうだべか……。けんど、おいらにも非はあった。罠にかからなけりゃ良かったんだべ。ロゼッタの為にも、これからは気を付ける……」


 アヴァンの言葉に、ブルータスがふっと笑う。


「その前向きな姿勢、すげぇいいぜぇ~」


 そう言って葉巻をふかすブルータスの姿に、アヴァンは不覚にも心射抜かれた。

 まるで、自身の目標とする男性像が目の前にあるかのような、そんな気になってしまったのだ。

 どうしてなのかはわからないが……。


「似ている、ねぇ……」


 独り言のように呟くブルータス。

 サングラスの奥にあるその瞳は、肌蹴てしまったアヴァンの胸を見つめている。

 エビルの悪魔の魂が埋め込まれている、窪みのあるアヴァンの胴体。


「心に闇がある者同士、ってことか? それにしちゃ、種類が違いすぎやしねぇか?」


 そう言って、ブルータスはふっと笑う。


「お前さん、アヴァンって言ったか? 知りたくねぇか? ロゼの、過去を……」


 ブルータスの言葉に、アヴァンはハッとする。


「過去って……。ロゼッタが探しているもんのことだべや?」


「まぁ、それも含めて、だな……。もし、お前さんがこの先も、ロゼと行動を共にするってんなら、話してやってもいいぜ?」


 ブルータスの、試すような物言いに、アヴァンは少しばかり悩む。

 ロゼッタは、この屋敷を最後に、この町を去ると言っていた。


 じゃあ、おいらは……?


 アヴァンには、今後の計画など一切ない。

 この町で、あれだけ多くのハーツを解放できたのは、間違いなくロゼッタのおかげだ。

 アヴァン一人では絶対に探し出せなかっただろうし、もっと沢山の人を傷つけてしまっていた事だろう……。

 そう考えると、今後もロゼッタと共に旅を続ける事が、アヴァンにとってはプラスになる。

 いや、そんな冷静な判断など関係なしに、アヴァンは心のどこかで、ロゼッタと共にいたいと願っている。


『聞いた方がいいんじゃねぇか?』


 いつもは悪態と否定的な言葉ばかりのエビルが、珍しく他者の意見を肯定した。

 エビルには、アヴァンが気付いていないアヴァンの本心がバレバレなのだ。

 アヴァンにとって何がプラスかマイナスか、一番よく理解しているのはエビルだ。

 いつもなら、アヴァンのマイナスになるような、捻くれたアドバイスしかしないのだが、今夜のエビルは違うようだ。


 ……やっぱり、知りたい。


 ロゼッタが求める物も、ロゼッタの過去の事も、全部知りたい。

 アヴァンは、力強く頷いた。


「よし。まぁ、ざっくりとだが、教えてやろう。もうずっと、昔の話だがな……」


 ブルータスは、遠い過去の記憶を辿りながら、話し始めた。






  ロゼッタが生まれたのは、こことは別の国だ。

  父親の名はメトロス、精霊召喚士の一族だ。

  母親はアニータ、鳥の頭部と翼を持つ、ガルーダという魔族だった。

  

  そんな両親が出会ったのは、母アニータが世界中を旅して回っていた時のことだ。

  たまたま立ち寄った精霊召喚士の国で、メトロスと出会った。

  二人は恋に落ち、結ばれるまでそう時間はかからなかった。

  だが、メトロスの両親は二人の結婚を反対した。

  それもそうさ、鳥の頭部を持つ女だ、普通の人間の顔したやつらには異形でしかない。

  だから、メトロスとアニータは国を出て、駆け落ちした。

  二人の事を誰も知らない、他所の国ヘな。

  メトロスは、アニータに魔法をかけた。

  それは、鳥の頭部と翼を隠す魔法だ。

  その魔法は、本来なら呪いとして相手にかけるものだが、二人は愛の呪いだと言って、笑っていたな。

  こうしてアニータは、人間の頭部を手に入れ、翼を隠したまま、人として生きることになった。


  しばらくして、ロゼが生まれた。

  ロゼは、背に翼を持った人間として生まれた。

  いわゆるハーフってやつだな。

  メトロスはロゼに、アニータと同じ魔法をかけた。

  それが、ロゼの体にある赤い入れ墨さ。

  普段は背にある翼を隠し、必要な時だけ出せるようにしたんだ。

  だが、その魔法には一つ難点があった。

  メトロスの魔法は月の力を利用したもので、月が出ている時は効果があるんだが、月の出ない新月の日には全くもって無力なものだ。

  即ち新月の日は、アニータの鳥の頭部と翼、ロゼの翼も、元の姿に戻ってしまうんだ。

  ロゼが新月の日だけお前さんの元へ行かなかったのは、翼を隠すことができずに、外に出ることさえできなかったからさ。

  それでも、新月の日だけは家から外に出なければ問題はない。

  親子三人、仲良く暮らしていた。

  俺が生まれたのは、ロゼが生まれたのと同じ日だ。

  アニータの生まれた国では、俺のように、自らの魂を分けて人形に生を与える、ドールという生物が当たり前のように存在していた。

  ドールは、持ち主である者の魂を分けてもらって、初めて生物として認められる。

  体は人形、心は人、そういう感じだ。

  あくまでも生物として扱われるわけだが、その命の期限は魂を与えてくれた者と共にあるために、持ち主が死ねばドールも死ぬ。

  ロゼが息絶えれば、俺はただの人形になるってことさ。

  まぁとにかく、俺とロゼは生まれた時からずっと一緒だった。

  

  ロゼは心優しく、とても愛らしい子どもだった。

  自然が大好きで、自然と共に生き、動物にも植物にも優しかった。

  俺なんて、まだ渋みも苦味も知らない、無垢な子犬のようだったぜ。

  俺とロゼは、メトロスとアニータの優しい愛情を受けて、幸せな毎日を送っていた。

  だが、そんな幸せは長くは続かなかった。

  ロゼが五歳の頃、悲しい事件が起きたんだ。


  俺たちが住んでいた場所は、魔法使いも精霊召喚士も魔族もいない、何の力も持たない普通の人間たちビプシーたちが暮らす、小さな貧しい村だった。

  本当に……、争い事なんて一つもない、平和な村だったぜ。

  だが、そんな村だからこそ、小さな事が大事件となってしまう。

  

  ある子どもが、見てしまったのさ。

  新月の日の、鳥の頭部と翼を持った、ガルーダの姿をしたアニータを。

  余程驚いたのだろうその子どもは、化け物が現れたと、村中に叫んで回った。

  無理もない話さ。

  その子どもにしてみれば、平和な村に突如として現れた鳥の姿をした人間は、異形の化け物以外の何者でもなかったんだからな。

  その日からアニータは、必要以上は外に出ないようになった。

  しかし、その行為が逆に、村人たちに不信感を与えた。

  そして、子どもたちの好奇心は留まることを知らず、度々俺たちの家を覗きに来るようになった。

  新月の日に備えて俺たちは、窓という窓を塞いだ。

  しかしそれもまた、村人たちの不信感をただ高めただけだった。

  いつしか村中には、怪しい噂が流れ始めた。

  アニータは、村に災厄を招く化け物だと……。

  当時、村には伝染病が流行り、死者が数名出ていたことも事実だ。

  だがそれは、医学が発達していない事が原因の、呪いや怨念とは明らかに懸け離れたものだった。

  けれど、そんな事実は、当時の人間にはわからねぇことだ。

  最初は子どもの冗談だと相手にしなかった大人たちも、噂に踊らされ、とうとう化け物退治の狼煙が上がった。

  連日、家には村人たちが押し掛けてくるようになった。

  最初はアニータも顔を出し、体が弱いだけだと嘘をついたりなどしていたが、新月の日ばかりはそうもいかない。

  そして、その時がきた。


  ある新月の夜、村人たちが津波のように家に押し寄せてきた。

  メトロスは家の前で、村人たちを説得しようと必死だった。

  だがアニータは、もう逃げ場はないと悟っていた。

  己の行く末を見据えて、心を決めていた。

  最後にアニータは、俺とロゼをきつく抱きしめて、こう言ったんだ。

 

「ロゼ、ブル、あなたたちがこれから生きていく道は、決して平坦ではないでしょう。 けれども、恐れないで。どんな時も、笑顔を忘れないで。あなたたちのことはずっと、いつまでも、私が愛しているからね」


  振り絞るような声で、涙ながらにそう言ったアニータを、俺は今でも忘れることができずにいる。

  そうしてアニータは、俺とロゼを壁と暖炉の隙間に隠し、自ら入れ墨の呪いを解いた。

  鳥の頭部と翼を持つ、ガルーダの姿に戻ったんだ。

  鷲のような頭部は凛々しく、白くて大きな翼は美しかった。

  

  村の大人たちは、制止するメトロスを押しのけ、家の中へと入ってきた。

  そして、アニータの姿を目にし、悲鳴を上げ、驚愕し、皆が騒然となった。

  アニータは何も言わず、彼らを見つめていた。

  異形の者を受け入れることのできない、愚かな彼らの心を嘆いていた。

  一人の男が、手に持っていた斧を振り上げ、アニータ目がけて投げつけた。

  斧はアニータの首をはね、アニータの頭部は床に落ちた。

  吹き上がる赤い血飛沫が、アニータの首にかかっていた真珠のネックレスを真っ黒に染め上げた。

  俺とロゼは、目の前の出来事に対し、言葉も出せないほどの衝撃を受け、壁と暖炉の隙間でただただ震えていることしか出来なかった。

  村人たちは化け物を退治したと歓喜し、アニータの頭部と体を持ち去った。

  後に残されたのは、精神を保つことだけで精一杯な俺とロゼ。

  そして、泣き叫ぶメトロスだけだった。

  その後は、絵に描いたような不幸な人生さ。

  メトロスは正気を失い、昼も夜もわからぬまま、ただ息をするだけの存在となってしまった。

  ロゼと俺はそんなメトロスを連れて、人の足が及ばない山奥へと移り住んだ。

  移り住んだといっても、ほぼ野宿に近い感じだったが、それでも村の近くにいるよりかは断然安全だった。

  ロゼも俺も、最初はまだ簡単な魔法すらも使えない状態だったから、山の木の実や、川の魚や、時には蛙とか虫を食べたりして……、まぁなんとかやっていた。

  暗い洞窟に住み着いて、野生さながらの生活だったな。

  そんな中でもロゼは、希望を無くしてなかった。

  家から持ってきたメトロスの魔道書を元に、ロゼは徐々に副呪文を習得していった。


  精霊召喚士とガルーダ族のハーフであるロゼには、魔力こそあれ、自らの身を守るための主呪文は備わってなかった。

  主呪文っていうのは、簡単に言えば、生まれ持った属性の呪文のことだ。

  それは火の属性、水の属性など様々だが、危険な場面に遭遇した時には、本人の意思とは別に発動する守護呪文だ。

  ハーフであるロゼにはそれがなかったんだ。

  ただ代わりに、ロゼの心の中には闇が生まれていた。

  アニータの、あんな死に方を目にしたんだ、無理もないさ……。

  姿を消す魔法や、他人の意識に入る魔法や熟睡魔法など、副呪文を取得していくうちに、ロゼは自分の中にある闇の属性に気付いた。

  そして、十六になるころには、ほぼ全ての副呪文を取得し、闇の聖霊を呼び出せるまでにロゼは成長していた。


  それと同時期に、メトロスはなんとか正気を取り戻し、いきなり旅に出て行った。

  残された俺とロゼは、数年の間、山でメトロスの帰りを待っていたが、ロゼの堪忍袋の緒が切れる方が早かった。


  俺とロゼは旅に出た。

  当てのない、果てしない旅に……。

  二十年以上もの間、山奥の社会から隔絶された世界にいた俺たちが、急に国やら町やらの文明社会に溶け込めるわけもなく、俺たちはなり振り構わず罪を犯していった。

  当然、最初はためらわれたが、そんなこと言っている場合じゃなかったことも事実。

  生きていくために、俺たちは必死だったのさ。

  だけど、そのうち全てに慣れてきて、文明社会での生活にもそれとなく馴染んできた頃、ロゼが別の事に目覚めた。

  それは、金だ。

  アニータと死別してからというもの、メトロスの世話と生活に追われて、ロゼは自分のことなど一切気に掛けずに、生きることにのみ集中してきた。

  狩りに釣りに、薪割りに火おこしに至るまで、サバイバルに必要な術は全て身についている。

  だが、文明社会にそれらは不必要であり、金のみが物をいわしていた。

  現在のロゼの、金や宝石、ありとあらゆる宝物に対する執着心はそこからきている。


  それに、当時のロゼには決定的に足りていないものがもう一つあった。

  それは、美だ。

  当時のロゼは、現在からは想像もつかないほどにボロボロで、ボサボサで、ガリガリだった。

  美しさは、世の中を上手に渡っていくためには必要不可欠なものだ。

  特に、政治家や資産家、金を持つ富裕層の人間を相手にする際には尚更だ。

  金が目的であるロゼは、その目的を果たすため、己の美を磨くことにも固執し始める。

  そうして今のロゼが出来上がったんだ。

  

  得意な副魔法で相手の記憶を翻弄し、様々な職に就き、身分を偽って、ロゼは生きてきた。

  だが、運命ってのは残酷なもんだ……。

  生活が落ち着いてきた頃、父親であるメトロスに再会した。

  よぼよぼの老人に成り果てたメトロスは、酷い老後施設に収容されていた。

  勝手に自分の元を去って行った父親に、ロゼは怒りすら感じていたものの、それでも親は親だ。

  ロゼはメトロスを引き取り、その最期を看取ることにした。

  そのような状況でメトロスがロゼに告げた言葉が、ロゼのその後の人生を決定付けた。

  メトロスがロゼに告げた事、それは、アニータの残していった呪いの事だった。

  村人たちは、アニータの亡骸を持ち去った後、その体の一部を魔族の闇オークションで売りさばいた。

  頭部と翼は剥製にし、服やら靴などの身に着けていたものも全て商品にしやがった。

  魔族の息のかかった、呪いの品だと謳ってな。

  だがそれらは、あの夜、アニータの魔族の血を浴びたことによって、本当の意味で、アニータの怨念と恨みを含んだ呪いの品となってしまっていたんだ。

  そうとは知らずに、無力なビプシーたちは物珍しさからそれらを買い求め、身を亡ぼし、呪いは広がっていった。

  メトロスは、自らが集めたアニータの遺品をロゼに渡した。

  それは、黒い真珠がたった三粒。

  アニータがいつも首に下げていた、血に染まった百粒の真珠のネックレスはバラバラとなり、「血塗られた黒真珠」などと呼ばれて、世界中に散らばってしまっていた。

  百粒の内、たった三粒だけ……。

  メトロスが長い月日をかけて旅をし、その身が老いて死に至るまで探し続け、手にした物はあまりに少なかった。

  メトロスは無念のまま息を引き取り、三粒の黒い真珠のみがロゼの元に残った。

  ロゼは俺にこう言った。

 

「母さんは、私を待っているのかしら?」

  俺は何も言わずに、葉巻をふかすしかなかった。

  アニータがロゼを待っているとは思えなかったし、ロゼにそれらを探せなどということは、俺には言えなかったからな。

  それに、俺が何も言わなくても、ロゼの心はもう決まっていた。 

 

  そこから、俺とロゼの第二の旅が始まったのさ。

  アニータの残していった、この世に災いをもたらす呪いの品々を集める旅がな。

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