第2話 「俺の人生がパッとしなかった理由は……」


「でも、やっぱり可哀(かわい)想(そう)ですよね……もう一回上級天使に掛け合ってみましょうかね」


「は? ダブリスが定員オーバーになりそうって言い出したんじゃん、いまさら善人ぶるなよ」


「うーんけど、よく考えたらそんな悪いこともしてないっぽいですし……」


「じゃあ、こいつにいままでの悪行自白させて証拠とればいいんじゃん」


「……確かにそれもありですね」


「じゃあ、さっさと起こしてよ」


「浅川さん、浅川長束(なつか)さーん」


 若い女性が耳元で俺に呼びかける。目の前が妙に明るい。近所の眼科か? いや、インプラントの値段にびびって通うのを途中でやめちゃった歯医者? 目を開こうとするも上手(うま)く力が入らない。寝入る寸前のまどろみに似ている。


「ベリアルちゃん、全然起きてくれないです」


「はぁ……しょうがないな。ちょっとダブリスそこどいて、首に激痛でも走れば嫌でも起きるでしょ。……おい、起きろ!」


「痛っ!!!!」


 首元に激痛が走り、驚いて起き上がると見知らぬ黒髪の少女が俺に覆いかぶさるように抱きつき、首元に顔を埋(うず)めていた。さらさらの黒のロングヘアに濃い紫色のマントのようなものを羽織っている。

 え? コスプレイヤー? いやこれどういう状況? 何事かと固まっていると、黒髪の少女が俺の首元から顔を離し、立ち上がりペッと血を吐く。どうやら、首元に噛みつかれていたらしく、ジンジンと痛みが走る。首元を左手で押さえ、少女の方に顔を向けまじまじと顔を見た。紅(あか)い三白眼の瞳と鋭い八重歯が特徴的な冷酷な雰囲気をもった美少女、である。


「!!!???」


「はぁ、やっと起きたか」


「もう、ベリアルちゃん乱暴だよっ!」


「は? だったらダブリスが起こせばよかったじゃない」


 紅い瞳の美少女が話しかけた先にもう一人、柔らかそうな真っ白のワンピースを着たショートカットの美少女がいた。原宿系の読者モデルかコスプレ写真でしか見たことのないような、わずかなムラもない綺(き)麗(れい)な銀色の前髪から覗く大きな蒼(あお)い瞳で心配そうに俺の顔を見ている。紅い瞳の美少女と違い、どちらかといえばおどおどとした雰囲気の優しそうな美少女である。

 周りを見渡すと、あたり一面真っ白な場所であった。強い風が吹いて霧が流れ、一見雪景色のようにも見せるが、寒さはない。どちらかといえば春を思わす暖かな風だ。


「ていうか、ここ一体……どこ?」


「単刀直入に説明するわね。そこのあなた。浅川長束。37歳独身、男性。あなたはブラック企業で休みを取ることを許されないまま奴隷のように働き続け、25連勤目の夜、くも膜下出血により……死亡しました。私はベリアル。まぁ人間の言葉で説明するなら悪魔って表現が近いかしらね」


 ベリアルと名乗る紅い瞳の美少女は淡々と俺の死亡理由を語った。


「はい?」


 自分の死亡確認を聞いたことのある人間は一人もいないだろう。そして現に俺には意識もあるし、体もこうして起き上がる。

 何を言われているのか、そもそもここはどこなのか、いや一体何からつっこめばいいものか、「?」が多すぎる状況に、どう言葉を繋(つな)いでいいのかわからない、というのが率直な感想である。


「あら、あんまり驚かないのね。普通の人間は取り乱すのに。ブラック企業でよっぽど訓練されたのかしら。それともただのマゾ?」


「ベリアルちゃん、言い方! ああ、浅川長束さん。ということであなたは死んじゃいましたぁ。私は、ダブリスと申します〜。いわゆる、天使ですねっ」


 ダブリスと名乗る銀髪の美少女は、ベリアルの容赦ない毒舌に釘(くぎ)を刺す、という気遣いを見せてくれた。んん? こっちは天使? ていうかこのコスプレイヤーたちは何を言ってるんだ? なにここ、俺マニアックな設定のイメクラでも入ったっけ?


「あの全然状況がわかんないんだけど……」


「だからいま説明してやってるんじゃない。あなたはこれから私が地獄に連れていく予定なんだけど……地獄に連れていくには悪行が足りなくてねぇ。そこで、現世で行った悪行を自白してもらいたいのよ」


 ベリアルは口元に笑みを浮かべ、心底嬉(うれ)しそうにこちらを見下ろしながらそう言った。


「浅川さん……ごめんなさいっ‼ 本当は天国にお連れしたかったのですが……天国はたったいま定員オーバーになっちゃって、入居審査が厳しくなってるんです。すぐには空きが出ないようで……本当にすみません……」


「ダブリスが〝天国が定員オーバーなんですっ!〟って私に泣きついてきたのよ。けど、地獄も誰でも入れるわけじゃないの。現世である程度の悪行ノルマをこなした悪のエリートじゃないといけないわけ。そこで、現世でのあなたの行動を確認させてもらったんだけど……パッとしないのよねぇ」


「……」


「つまり、あなたは天国にいくにも、地獄にいくにもパッとした経歴がないのよ。最近多いのよね、テキトーな人生を送って、テキトーに死んでいくやつ」


「おい……さすがに言っていいことと悪いことが……‼」


 言い返そうとした瞬間、言い終わるのを待たずしてベリアルは、目の前に屈(かが)み、俺のネクタイをグッと掴(つか)んで引っ張った。首元が圧迫され、意思とは関係なく俺はベリアルに飼いならされた犬のように涙目で彼女の顔を見上げる。


「なに? じゃあ、あなたなにか頑張ったって声を大にして言えるわけ? 大した人生歩んでこなかったくせに私に口答えしないで」


「いや、そんな……」


 首輪のように締まるネクタイの息苦しさに耐えながら、俺はベリアルの言葉に耳を傾けていた。いや、俺は決して頑張らなかったわけではない。俺なりに頑張ってはいたのだ。


「クソみたいな人生だったのはあなたの頑張りが足りなかったからでしょ?」


「……違う、頑張らなかったわけじゃない」


 確かに、俺の人生にはパッとした成功体験はなかった。地元の高校を出て、自分の学力で入れそうな大学に入って、とくにやりたいことも見つからないままの状態で就職活動をこなし、内定をもらったフリーペーパーを発行する会社に営業として入ったが、出世することはなかった。同期にいい企画がないかと相談されては俺が考え、その企画力を認められ大手広告代理店に転職した奴もいる。いまの会社で役職をもらった奴もいる。

 自分を差し置いてどんどん出世する同期の姿を見て、俺は劣等感を感じることもあったが、できるだけネガティブな気持ちには目を向けず、仲間として同期の出世を喜ぼうと割り切っていた。人に相談されるのはいいことだし、後輩も自分に懐いてくれている。端野は、「浅川ももっと器用にやったほうがいいよ」と言うが出世だけが全てじゃない。

 そう自分に言い聞かせ、俺は損な自分の性格に目を向けないようにしていた。

 不器用かもしれないが、真面目に生きてきたんだ。俺には俺の美学がある。

 もっと自分が器用だったら、と思うことも確かにあった。生まれた時から自分のスペックがもう少しでも高ければ、また違う人生だったかも、と。

 俺がもっとイケメンだったら、人間的にいまより余裕が持てていたり好意的な目で世間を見られていただろうし。いや、けどイケメンでも上司からパワハラを受ける奴も少なくないだろう。イケメンよりももっと生きやすい生き物……そうだ。美少女はイケメンよりも圧倒的に生きやすいのではないだろうか。

  俺がもし、笑っているだけで誰からもチヤホヤされるような美少女に生まれていたら世界はもっと優しく、人生はきっとイージーモードだったはずだろう。

 そうしたら、もっと自分に自信があって「この企画を考えたのは自分ですっ」ってちゃんと胸を張って言えていたのかもしれない……。

 気がつけば、俺はベリアルを睨(にら)み返(かえ)していた。


「違う……そうじゃない。俺は……努力不足もあったかもしれないが、それだけじゃない……俺の人生がパッとしなかった原因はもっと他にある」


「なに?」


 ベリアルはさっきよりもより鋭い目つきで俺を睨み返す。なんの同情心も持ち合わせていない、殺意を混濁させたような冷淡な表情だ。

 ここで口ごもれば、負けてしまう。動物的な危機を感じた俺は、大きく息を吸い込んで、心に浮かんだままの言葉をぶつける覚悟を決めた。こんな時くらい、プライドをむき出しにしてもいいだろう。俺は上司の理不尽な叱(しっ)責(せき)にも、納得しないまま頭ばっかり下げてきたんだから、死んだ時くらい本音を言わせてくれ。


「俺の人生がパッとしなかった理由は……」


「だからなに?」



「……俺が、俺が美少女に生まれなかったせいだ!!!!!!!」

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