書籍試し読み『アラフォーリーマンのシンデレラ転生』

原田まりる/「L-エンタメ小説」/プライム書籍編集部

第1話 「ああ、死んでしまうんだ」


「男の人ってちょっとメタボってるくらいが可愛(かわい)いですよぉ〜」


 歓楽街にある小さな雑居ビルの4階、下品なピンクのネオンがほの暗く灯(とも)った店内。

 カウンター越しに立つ、安っぽい真っ赤なチャイナドレスで着飾ったリナは口元だけに笑みを浮かべてそう言った。店の中はハロウィン仕様になっており、夜になると肌寒くなってきたものの、店内にいる女性はみな、まだ夏を引きずっているかのような露出の多い格好をしている。


「そうですかね……ハハッ」


 愛想笑いを浮かべてみたものの、本当に世の中の女がそう思っているなら、37歳の誕生日を、こんな場末のガールズバーで過ごしていない。とっくに可愛い奥さんと子供たちがいて、折り紙を切って繋(つな)げたリングで飾り付けされたリビングで、手料理とともに祝ってもらっているはずだ。

 事実、結婚している同僚たちは一次会が終わりさっさと帰ってしまったので、こうして高校時代の親友である端野(たんの)が仕事終わりに駆けつけてわざわざお祝いをしてくれているのだ。


「にしても浅川(あさかわ)は、なんていうか相変わらず不器用だよね」


「いや、大丈夫。気にしてないから」


「だってまた浅川が考えた企画なんでしょ? うーん。それで同期たちが出世していくのはいたたまれないというか、自分が考えた企画です! って上司にはっきり言えばいいのに」


「俺がそんなこと言えると思うか……? 高校時代から知ってるお前から見て」


「まぁ、それはわかるけどさ」


「もういいんだ。俺を残して同期が出世していくのはちょっと辛い時もあるけど、別にみんなと仲良いしそれに周りは家庭持ちだから、金だってかかるだろうし。すいません、ハイボールもう一杯お願いします」


「はーい! 銘柄は何にしますぅ?」


「じゃあボウモアで」


「あーごめんなさい! ボウモアはさっき切れちゃったんですよぉ」


「えー! 誕生日なのについてない……」


「ああ、リナちゃん。角ハイでいいよ」


 カウンターに頬(ほお)をつけ、うなだれた俺の隣に座る端野が、すかさずリナにフォローを入れた。

 端野は昔からやたらと女に甘い。痩せ型で面長な顔立ち、弱い恐竜みたいな見た目の奴である。正直いって全くもってモテるタイプではない。しかし、アイドルオタクということもあってか、女が目の前にいる時だけは、スマートな振る舞いになるのだ。

 この店も、端野が「誕生日くらい女の子いるとこ行こう」と連れてきてくれたのだ。

 俺自身はガールズバーやキャバクラが特別好きな方ではなかった。仕事の付き合いでくることはあっても、あからさまなお世辞に胸を踊らせるほど愚かではないという自覚があったからだ。

 褒められてもどう返せばいいかわからないし、無駄に褒めてくる女性も苦手だった。なんだか内心見下されているんじゃないか、と疑心暗鬼な気持ちが渦巻いてしまうからである。

 あとは、そんな上辺だけの会話に大金を支払う意味がどうしてもわからない。それなら貯金するなり、趣味に金を使うなりもっと有効な使い道があると思う。まぁ、偉そうに言ってるわりに誇れるような趣味もないんだけども。


「……はぁ、なんか虚(むな)しくなってきたな。37歳ってもっと大人というか威厳があるというか、高級セダンとか乗ってるイメージだったけど、俺全然よくわかんない歳の取り方してるわ。今日の昼飯も普通に牛丼屋だったし」


「まぁ、言いたいことはわかるけどそういう生き方もあるって。出世だけが全てじゃないっていうか、浅川みたいに後輩とか部下からの人望があるってすごいことだよ」


「けど、その部下たちも俺を追い越していくんだろうな……ううっ……やばい泣けてきた」


 カウンターの端に置かれた箱ティッシュをこちらに差し出した端野が俺の顔を心配そうに覗(のぞ)き込(こ)んだ。俺はティッシュを数枚引き出し、勢いよく鼻をかむ。


「もー泣くな、浅川〜。わっ! てかお前、顔真っ白だぞ!? 大丈夫か」


「ああ、そういえば、今日で25連勤目だからな……最近頭痛も酷(ひど)いし」


「ええ!? ちゃんと寝てるのか?」


「ああ、毎日3、4時間くらいかな……。ほら、うちブラックだから……」


「えー! 3、4時間はやばくないですかぁ?」


 カウンターに立つリナが、甲高い声で笑いながら話に割り込んできた。3、4時間睡眠がやばいことくらい俺もわかっている。けどなんだか軽い感じで笑われると、とても耐えきれない虚しさがこみ上げてきた。

 きっと酒のせいもあったのだろう。その瞬間、俺の中でいままで長年溜(た)まっていたネガティブな感情が一気に溢(あふ)れ出(で)てしまった。


「俺だって……こんな無理な働き方したくないよ。けどそうじゃないと生活できないから耐えてるんだよ。だから、そんな風に笑われると……うっううっ……女の人はいいですよ」


「浅川、大丈夫か?」


「ちょっと顔がよければ、テキトーに笑って話を合わせてれば金になってさ。俺だって適当に相(あい)槌(づち)うって金もらえるならそっちがいいよ。もっとイージーモードで生きたかったよ、こっちだって‼」


 不満をぶつけた後、仕事の疲れや睡眠不足で必要以上に不満が溜まっていたのかもしれないが、頭だけが妙に冴(さ)えているように思えた。

 そして、冴えた頭で浮かんできた言葉をそのままリナにぶつけてしまった。その言葉に、リナが顔を歪(ゆが)め、目に涙を溜めるまではほんの一瞬だった。


「あ、ごめん……ちょっと言いす……」


「いいの、ごめんね浅川さん」


 リナは俺の謝罪を遮るようにそう言うと、目も合わさずに周りの客に申し訳なさそうに小さく頭を下げる。


「リナちゃんごめん、お会計。ほら浅川いくぞ」


 大人げない反応をしてしまった、と思ったが時すでに遅し。リナはカウンターの奥に引っ込んでしまった。

 端野に腕を引っ張られ、立ち上がった瞬間─視界が真っ白になり、俺は床に倒れ込んだ。

 床から見えたのは驚いたような客の顔。すぐさま駆け寄る端野。そして後頭部を襲う激しい頭痛。


「どうした!? 大丈夫か!?」


「あ、うん……なんか頭がすっごく痛い」


「起き上がれるか!?」


「いや、無理かも。ごめん端野、これ病院行ったほうがいいかも」


「救急車呼んだほうがいいか?」


「ああ、ちょっとまじでやばいかも……」


「リナちゃん! 救急車呼ぶからここの住所教えて!」


 店内にぼんやり響き渡る声が、どこか他人事のように思える。

 ああ、俺は倒れているのか。そして胸が圧迫されているかのように息さえできない。全身から大量の汗が溢れては、寒気が襲う。絶え絶えとなった呼吸と歪んだ視界の中で、俺は「ああ、死んでしまうんだ」と本能的に感じた。

 人生の意味とか、やり残しとか、後悔が浮かぶ隙もなく、ただ呆(あっ)気(け)なく幕を閉じる自分の命の、おそらく残り数分を呼吸荒く激痛に耐えているだけのみじめな生き物と化した。

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