セイジュ

伯岡 美沙

第1話

     1


 ここは人間界とは別の時を刻み、妖力を持つ者だけが住む妖魔界(ようまかい)。

 妖魔界に住むまだ十三歳の少年であるセイジュは、迷い込んでしまったら最後、二度と出られないと噂され、囚われの樹海とも呼ばれる妖魔の森に躊躇することもなく入っていった。

 けれど、あの好んで入る者などいない薄気味悪い妖魔の森からどうやって帰ったのかは覚えていなかった。

 目が覚めたのは、そこは見慣れた自宅ではなく、壁や窓、カーテン、天井にベッド。すべてが真っ白で清潔そうな部屋のベッドの上

に寝かされていた。

 体中が痛くて悲鳴をあげていて動けなかった。腕を見れば、両方とも包帯でグルグル巻きにされていた。起きられないセイジュには見えなかったが、この分だと両足も固定されていることだろうと予想がついた。

 病院か、と思った。

「お父さんとお母さんはどこにいるの?」

 病院ならば、両親が見守っているはずの見舞い者用のイスに座っていた見知らぬ男性にたずねた。

「私はウォルフェンデール家の当主です。セイジュ・カルヴァードくん。君の姉、エマ・カルヴァードは、人間界への不法侵入および、国家反逆罪で指名手配となった」

 とてもすぐに信じられることではない。嘘だと言われた方がよっぽどもっともらしい。思いもよらない事実を突きつけられ、セイジュは言葉にならない声を絞り出すようにして聞いた。

「……指名、手配……?」

「時空犯罪、という言葉は聞いたことがあるだろう? 人間界への逃亡は、中でも一番罪が重い」

「……」

 セイジュは何も言葉が出てこなかった。

「エマ・カルヴァード個人だけの問題ではなく、ご両親でもあるカルヴァード夫妻にも責任が問われる。国を捨てる行為は、国家反逆罪であり、王家に背く大罪。一族が皆で償わなければならないからだ。だがね、セイジュくん。君はまだ何もわからない、ほんの子どもだ。私は、君にまでも罪を背負わせる必要はないと考えている。だから、安心して眠りなさい。まだ君の傷は癒えていない。体も、心もね」

 そう言ってなぐさめてくれたウォルフェンデール卿の言葉に、セイジュはただまぶたを閉じ、涙をこぼした。


 ――三年後。

 まだ、少しだけ可愛らしさの残る小顔が年相応の印象を与えるけれど、セイジュはその顔に似合わないくらい、心身ともに大きく成長していた。

 成長途中のため線は細いが、一八〇センチに届く長身。手足も長く、颯爽と歩く姿はさまになっていた。そして、その体の動きに合わせて、肩先でサラサラと揺れる絹糸のように輝くの金色の髪も、セイジュの美しさを更に際だたせていた。

「セイジュ様……」

一目で見惚れてしまいそうなその容姿に、通りかかる女性は皆、その場で足を止める。そして、彼の胸元にある薔薇を模ったラペルピンを目にすると、深々と頭を下げた。

さり気なく胸に付けられた薔薇は、小さくとも華麗で、威厳の光を放つのには十分な存在感を出している。

なぜならそのラペルピンは、王室直属の近衛隊『インペリアルローズ』の証だからだ。

だが、こうしてセイジュを心から認める者は、多分ごく少数であろう。もしかしたら、頬を赤めていた女性達のように、容姿の美しさにだけ注目をされているのかもしれない。

「ルーク・サージェント様」

カツカツと、見た目通りの高級素材で仕上げられたブーツの踵を鳴らし、向こうから歩いてきた男にセイジュはうやうやしく一礼をして挨拶をする。身に纏うものに違いはあるが、彼の胸にも同じ薔薇の証が輝いている。インペリアルローズの仲間だ。

だが、ルークはセイジュに一瞥をくれることもなく通り過ぎる。完全に無視したかのようにも思えた。

けれど、存在すら無いものとし平静を装っていても、視界に入ってしまったセイジュの姿に片眉だけが嫌悪するかのように反応していた。

「フン。調子に乗るなよ。貴様のなどがなぜインペリアルローズに選ばれたのか、理解に苦しむ。早く返上しろよ」

「そうだ。おまえなんかがいると品位が失墜する。不相応なんだよ!」

 先を行くルークを追いかけるのは、同じインペリアルローズの『仲間』である、アレン・フォールとエリック・デュラン。 

 出会いがしらになじられ、エリックには掴まれた肩をぐいと押された。ルークのようなインペリアローズとして選ばれし者の気品は感じられない。ギラつくような鋭い目つきでいつも格下の者、とくにセイジュを威嚇している。茶化すだけのものとは違い、心の底からの嫌悪は強い力として伝えられる。気を張っていても、セイジュはよろけるように壁へと追いやられた。冷たい石造りが頬にあたると、床に押さえつけられているような屈辱感で胸が締めつけられた。

 インペリアルローズに選ばれたとはいえ、皆がすべて対等なわけではない。選抜基準に家柄を重視しないのも、また問題を起こす原因となる。

中流階級出身のアレンとエリックが、腰巾着のように妖魔界で影響力のある名門貴族のルークに付き従っているのも、妖魔界全体が絶対的な貴族制度であることを物語っている。この階級制度がある以上、いくら能力が高くとも身分が逆転したりはしないからだ。

 身分がピラミッド式で表されるとならば、姉が指名手配を受けているセイジュは、底辺よりも下。ピラミッドの中にすら入れない。

それが、妖魔界すべてにおいて反映されるセイジュの身分だった。

「セイジュ、あんなの気にしちゃダメよ。あの人達は、セイジュの事を妬んでるだけなんだから。セイジュがインペリアルローズの中でも一番優秀だからって。それにアレよ。セイジュが美人でルックスも抜群だってこともあるのよ。自分たちがセイジュみたいに周りの女性からキャアキャア言われないもんだからってひがんでるんだわ。ホント、嫌よね。男の嫉妬って!」

「エリザ様」

 ルークたちが去って行ったのをみはからったようにセイジュの前に現れたのは、エリザ・ウォルフェンデール。セイジュと同じ年で、この妖魔界で唯一セイジュと対等に話しをしてくる女の子だ。

 エリザは色白で顔はかわいらしく、腰まである、くせのないストレートな金髪はキラキラと輝いていてとても魅力的だ。かといってそれを自慢したりしないし、傲慢でもない。明るくて優しく、性格のいいエリザは、妖魔界の中でも一番美しい少女だと、男の子たちから毎日のように熱いラブコールを受けている。 

「彼らも必死なのでしょう。あなたの婚約者候補として」

「もう、やめてよ。今どき、家柄だけで婚約者なんてありえないわ。しかも、性格の不一致がわかりきってる相手なんかと! それに第一、顔がタイプじゃないもの。やっぱり、男性は美しい人がいいわ」

 ルークも、見た目は悪くない。一八〇センチを超える身長で、スラリとしている。むしろ、かっこいい部類に入る男性なのだが、女性よりも美しいのではないかと思われるセイジュと比べると、エリザの中では断然、セイジュの方が上なのだ。

エリザはセイジュの腕に絡み付き、わざと甘えるような仕草をしてみせた。直球の口説き文句と小悪魔的な誘いには、ドキッとさせられ、男ならば誰でもたった一度で陥落させられるだろう。

 けれど、セイジュは何も言わず、やんわりと腕を引き抜いてしまう。

 なぜなら、こうした過剰のようなスキンシップも、日常的になっているからだった。 

「ちょっとー。もうっ、聞こえないフリしないでよ!」

 空振りに終わり、エリザがむくれるのもいつものパターン。そうして、先を歩くセイジュを、エリザがじゃれつくようにして追いかける。

 エリザも名門貴族のご令嬢という立場上、年々大人になるにつれて義務やしきたりに縛られて忙しくなる。叶うなら、子どものころのようにただセイジュとずっと一緒にいたいのだけれど、それはもうできない。いくらエリザが想っても、押し付けすぎるのもセイジュの立場をより悪くしてしまう。だから、こうして甘えるのは、ルークなどほかの権力者の目がない時をみはからう。

 だけど、さっきのように悲しそうに歪んだセイジュの顔を見てしまっては、どうすることもできなくても、そばにいたい。そんなことを頭の片隅で考えていたら、今日はいつもよりもしつこく追い回してしまった。気づけは、インペリアルローズが詰める宮殿の別邸からも外へ出ていた。

「エリザ様、貴女はもう戻って下さい。いつまでも私の近くにいてはいけません。本来なら、私はこの場には居てはいけない存在なのだから」

「そんなことないわ!」

「それがエリザ様のためなのです」

 この押し問答もいつものことだ。

「セイジュ……。だから、早くあんな所から出られるようにお父様にお願いするって言ってるのに!」

「無理を言ってはいけません。私は逆に感謝しています。死んだ両親のように処刑されるか幽閉されるべきなのに、恩赦を受けている。それだけではなく、私はこうして勉学の機会まで与えて戴いている。これ以上望むものはありません」

 ルークにした時と同じく、エリザに深々と頭を下げると、セイジュは踵をかえし、空中に腕を伸ばした。唱える呪文はなかったが、長い指先で何かの術式を施すように操る。すると、セイジュの目の前には人が一人、出入りできるような別の空間が現れた。

 空間のトンネルの向こうには、有刺鉄線の張り巡らされたゲートが見える。

 セイジュは、自らそのゲートをくぐり抜けた。

 ゲートの内側は、高くそびえ建つコンクリートの塀が敷地内を取り囲んでいる。『外』に暮らすエリザには見知ることができないが、荒れ果てた土地に今にも崩れ落ちそうな建物が点在するだけの何もない場所。

通称、『D居住区』

 国家反逆罪を起こした者の一族が、戸籍からも抹消され、追われるように隔離される地域。死してその身が朽ち果て骨だけになったともしてもなお、未来永劫この場から二度と『外』へ出ることは許されない。

 セイジュは、姉であるエマ・カルヴァードが三年前に犯した大罪の償いを、今も自らに課してここに身を置いていた。

徹底した管理システムが敷かれている中、自由に出入りを許されているのは、セイジュの後見人を申し出ているエリザの父、彼が当主を務めているウォルフェンデール家の強い影響力からだった。

『識別番号八六二三、セイジュ・カルヴァード』

 機械的な音声により、堅く閉されていた鋼鉄の扉が開かれる。ギギギギギィという耳障りな金具の音が、サビだらけの粗末で手入れの行き届いていない内部を様子をうかがわせる。 

「セイジュっ!」

 エリザは引きとめようと叫ぶように呼んだが、その呼び声にセイジュは振り返ることもなかった。

『収監完了』

 ガシャンと閉ざされた扉とともに、セイジュが開いた異空間トンネルも消滅してしまった。お互いの身分の違いを否応なく思い知らされる。いくら想いを寄せても、振り向いて欲しくてどんなにがんばってみても、ふられるのはセイジュにではなく、ただの扉。

「どうしてなの? セイジュは何も関係ないのに……」

 もう、何度口にしたかわからない呟きをもらす。

エリザはもう何もない空間に涙した。

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