第4章 闇の瞳を持つ男:呪われた血①
キノが目を開けると、自分の部屋だった。
あれ? 私…何してたんだっけ。仕事終わって、涼醒と、湶樹ちゃんの家に…そこで、コウはラシャの者じゃなくて、浩司だって聞いて…。
キノは、勢い良く身体を起こす。
そうだ…洞窟みたいな部屋に、コウがいて、でも、あれはコウじゃなくて…。
「気がついたのか」
「浩司!」
開いたドアの前に、浩司が立っている。
「浩司…なんでしょう?」
キノがつぶやくように
「そうだ。おまえがコウと呼んでいた俺は、もういない」
「…いつから?」
「今朝、夜明けにラシャの暗示が
「どうして、初めから浩司のまま来なかったの? ラシャが、そうさせたの?」
浩司が目を伏せる。
「ああ。ラシャは、おまえが…いや、おまえの中の希由香の記憶が、俺を思い出すのを拒否する可能性があると思っていたからな。力の護りと希由香について説明し、おまえが自分の意思で護りを探す気になるまでは、俺じゃない方がいいと。だが、使いが俺である必要は、ラシャも認めた。だから、暗示をかけて俺を寄越したんだ」
浩司の視線がキノに向けられる。キノはしばらくの間、無言のままその
二人の間の距離が30センチ足らずになったところで、キノは足を止めた。
「浩司である必要…希由香なら浩司のために何でもするから、私もってこと? 今でもそうだって、言い切れるの?」
「…何があっても、あいつは俺を愛し続ける。おまえにはわかるはずだ」
二人の視線が絡む。先に逸らしたのは、キノの方だった。深い
「聞きたいことが、いっぱいあるの」
「わかってる。向こうで話そう」
キッチンに入ると、浩司はドアの近くの椅子に腰を下ろした。
「コウの時の記憶はあるのね」
「一応は、俺だからな」
キノがコーヒーを煎れる。その間、浩司はぼんやりと宙を見ていた。その
キノは浩司の
キノの置いたカップを手に取り、浩司が微笑む。
「お互い、本当の自分で会うのは初めてか。コウとして見てたかぎり、おまえはいい女だな。俺は…ろくでもないが」
浩司と向かい合って座ったキノが、眉をひそめる。
「どうしてそんなこと言うの?」
「夢で見て、俺を知ってるだろう。希由香を散々傷つけた。何であいつが俺を嫌いにならないのか、不思議に思わなかったか?」
「
「おまえには悪いが、思い出してくれ。どうしても護りを見つけたい」
「ラシャのため? リシールだから? 希由香は、浩司が何者か知ってたの?」
浩司の表情が暗くなる。
「俺さえ知らなかったのに、希由香が知るはずないだろう。あいつといる頃は、ラシャもリシールもほとんど知らずにいたんだ」
「でも、今は知ってる。それに、浩司は継承者なんでしょう? その力に、気づかないでいられるものなの?」
「ラシャで
「希由香は…リシールの家にいるの?」
「むこうの世界のな」
「ちょっと待って。頭が混乱する。よくわからないよ。どうして、浩司は自分がリシールだって知らなかったの? どうして、今頃知ることになったの? それは、希由香が護りを発動したことと関係あるの?」
「おまえには知る権利があるな。
キノは煙草に火を点けた。浩司が伸ばした手を見つめ、それを渡す。
「煙草、吸うのね」
「…たまにはな」
浩司は、深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。
「131年前、力の護りを持ち出したのは、ラシャの者の一人だった。彼は護りを手に、無の空間へと身を投げた。無の空間とは、ラシャと地上それぞれの世界を繋ぐ道のことを言う。そこを開く際、ラシャの者が地上から戻るには夜明けであるだけでいいが、ラシャから降りる時には、出口となるリシールの中空の間に継承者の力が必要だ。どっちから行くにしろ、道が完全に開いていない時に入るのは危険だ」
「もし入ったらどうなるの?」
「どこにも出られない。戻ることさえもな。何かの弾みで道が開けば抜け出せるかもしれないが…無の空間は、文字通り何もないところだ。道の通じていない時に入り込んだら、人間ならすぐに死ぬ。ラシャの者であれば、力の
「死んじゃうの?」
「ラシャの者の感覚でいうと、『消える」だな。飛び込んだその者は知っていたはずだ。自分を無に
「でも、護りは…」
「そうだ。ヴァイに存在する。しかも、しばらくの間、鏡は彼の姿を映していた。つまり、祈りを与え発動させていたことになる。無の空間でだ。今はもういないが、かなりの力を持つ者だったんだろう」
「どうして、護りはヴァイに?」
「そのラシャの者が護りとともに無の空間にいる間に、ヴァイの出口がほんの短い時間だけ開いた。恐らくその一瞬の
「誰かが開けたの?」
キノのその質問に、浩司の
「当時、ヴァイのリシールでシェラという女がいた。継承者だったシェラは、その時10人ほどの一族の者とともに中空の間にいた。さっき見ただろう。どの世界の、どこの中空の間もほとんど同じだ。部屋の中央に石の
キノは、湶樹のところで見た洞窟を思い浮かべる。
「ラシャからの要請、あるいは許可なしに道を開くことは禁じられている。もちろん、片側だけの力じゃ道は正常に通じない。だが、シェラは、無の空間に落ちたそのラシャの者の意識を感じ取り、開けちまった。どうなるか考える前に、反射的にな」
「どうなったの?」
浩司の
「その時中空の間にいたシェラを除く全ての者が、無の空間に吸い込まれ亡くなった。その中には、シェラの母親と妹もいた」
キノが息を飲む。
「何で、彼女だけ無事に?」
「…わからない。本人にもわからなかった。わかったのは、自分の
「…それで?」
「自分の存在を消そうとした。継承者としての使命より、ラシャへの忠誠より、良心の
「それは…信仰として?」
「実際にもだ。命を奪う可能性のあるその行動を起こす一瞬前に、一時的に意識が失われる。何度繰り返そうとな。飢えや呼吸困難なんかにも、自分から
キノは黙って先を待つ。
「自分の命を断つ代わりにシェラが選んだのは…愚かなものだった。継承者である者のすることじゃない。その時のシェラの精神状態は、普通じゃなかったんだろう」
浩司は乱暴に煙草を揉み消し、新たに火を点ける。
「シェラは一族から、ラシャから、姿を消した。そして、持てる力の全てで自分に呪いをかけた。誰も愛さず独りで生を終え、自分の血を絶やす、その苦しみをと」
「それが呪いなの?」
「時が来るまで死ねないシェラが、自分に与えた罰だ。リシールの、特に継承者の生命力は強く、寿命以外で死ぬことは少ない。肉体的な限界はあるが、身体に損傷を受けても、高まる治癒力がそれを治す。頭をぶち抜かれたり、首を落とされたりすれば別だがな。そして、普通の人間より数倍強い種の保存本能を持つ。簡単に言えば、自分の子孫を残すための欲求が強い。だが…その血は女にしか残せない」
「…少しだけ聞いたよ。男は…子孫を残せないって」
「そうだ。男にも本能はあるが、その能力はない。理由は知らないがな。女も、必ずリシールの子を生むわけじゃない。種を絶やさないための本能を持ちながらも、増え過ぎはしないようにリシールとして生まれる者は制限される。矛盾してるがそういうことだ。そのリシールの本能を無視したシェラの呪いは、効いたと思うか?」
「継承者の力とリシールの本能…どっちが強いの?」
「結果からすると、両方だな。シェラの呪いは、誰も愛さずその血を絶やすこと。リシールの本能はそれを
キノが
「シェラはある男に出会い…彼を愛しちまった。あれから5年後、23歳の時だ。力の全てを使ってまでかけた呪いは効かなかったのか。そんなはずはない。けれども、腹に子供まで宿した。そして、彼が死んだ。原因らしい原因もなく、突然な」
「どうして…?」
浩司がキノの
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