第122話 ヒメの今日の予定
昨日のヒメの活躍により、エメロ城に使用人が戻ってきた。一人残らずメイド長のマデリンから辛辣過ぎる説教を喰らい、中には泣きだした者もいたと、ヒメは噂で耳にしてしまっている。
(庭師さんがいなくなったとき、マデリンかなり怒ってたもんな〜。お仕事を辞めるんじゃなくてサボっちゃってたから、怒られるのは仕方ないかもだけど)
竜の巣だと絶対に殺されるだろうから、まだ説教で泣くくらいならマシだとヒメは思いながら、目の前の机の上にドンと置かれた
城に戻ったばかりの家庭教師の女性が、キリリと目尻を釣り上げる。レンズが逆三角形という変わった眼鏡をかけて、年齢を凌駕した量の髪を真上にくるくると巻き上げている、特徴的なおしゃれをしている。
「姫様。マデリン様からお聞きいたしましたよ、筋金入りの野生児であると」
「うう、そこまでじゃないと思うけど」
「なんですか、その言葉遣いは。ああ、影武者の姫様を教育する日々を嘆くあまりに、城を飛び出した自分の弱さが憎らしい。もっと早くに戻るべきだったのです、ああ憎らしい憎らしい」
では授業を始めます、とお辞儀され、ヒメもぺこりと頭を下げる。切り替えの早い人だな〜と思いながら、鈍器になりかねない厚さの本の表紙をめくった。
人手不足が解消されたエメロ城で、ヒメがメイド服を着て給仕に入る必要性はなくなった。これからは勉強がヒメを待つ。
教師に指定された頁をめくって、淑女の心得を音読してゆく。
そんなヒメの本日のお召し物は、パン屋から贈られたという、雲のようなふかふかドレス。カジュアルな部屋着にも見える。
「ふふ。この服の生地、なんだかとっても気持ちいいな。こんな形のドレス、見たことないよ」
「わたくしも初めてお目にかかりました。それは城下町のパン屋から贈られたお召し物です」
「この前は、花屋さんからドレスがきたんだよ。服屋さん以外のお店から、こういうのがくることがあるんだね〜」
「庶民が気軽に王族へ着衣を贈るなど、悪しき風習ですわ」
「え? そ、そう? 私は嬉しいけど」
突然の否定に、ヒメはささやかに抵抗する。
「ああ、まあ、確かに、ドレスかって言われたら、不思議な格好だよね」
「エメロ王に熊のセーターを贈った庶民もいました。絶対に着ないほうがよいと、私は猛反対しましたのに、あれが王の普段着と化した日々には絶望いたしましたわ」
「ハハハ」
セーター姿のエメロ王には、一度出会いたいヒメだった。自分もモコモコの服の感触を、抱きしめるようにして楽しむ。
「私もコレを普段着にしちゃおっと」
「なにをおっしゃいますか。わたくしは反対ですわ姫様」
「へへへ、だってこれ動きやすいし、気持ちいいんだもの。久々に体を締めつけない服に出会えたよ」
はしゃぐヒメに、家庭教師は厳しい顔で、とある頁を指定した。
ヒメがしぶしぶ本をめくると、一枚の紙が挟まっていた。
「その頁には、なぜ王族が堕落してはならないのかの理由と事例が、載っています。国を整えるには、まずご自分から。いつも凛として、身綺麗にしていなくては、周囲に示しがつきません」
挟まっていた紙には、なぜセーターを着て公務にあたってはならないかの説明と事例が、几帳面な文字で綴られていた。この女性が挟んだ物だと、ヒメは察する。
(ハハハ……お茶目なんだか、石頭なんだか、よくわかんない人だな)
一般常識大百科、上流階級編、第一巻。ちなみに十巻まであることを、ヒメはまだ知らない。
音読と、家庭教師からの質問に答える形式で授業が進む。
ヒメにとっては新常識を、けっこうな速さで詰め込まれて、ちょっと息抜きしたくなった。休憩を申し出ようとしたヒメは、ふと、家庭教師の女性の特徴的な眼鏡を見上げて、昨日のことを思い出した。老夫婦に踏まれて、粉々になった変装眼鏡を、変装屋で修理してもらわなければ。
「あのさ、私お昼休みに外出する用事があるんだよね。午後の授業の時間を、少し遅めに調整してもらえるかな」
「かしこまりました。いつ頃に、このお部屋へお戻りになりますか?」
「うーん、いつまでかかるかは、わからないや。城下町でお店をやってる人に会うんだけど、骨折してるし、機嫌も悪いだろうし、そもそも会えるのかもわからないんだ」
「それは困りましたわね。では、余裕を持って二時間のお昼休みを取りましょう」
「二時間なら、たぶん帰ってこられるよ。ありがとう」
「午後の授業を二時間ずらしただけですからね。一日の授業が減ったわけではありませんよ」
「う、は〜い」
扉がコンコンと鳴った。
「あ、どうぞ〜」
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
部屋に現れたのは、お茶とお菓子をサービングカートで三人分運んできた、ナターシャだった。
「ヒメ様、先生、お勉強は順調ですか?」
「ナターシャ〜、会いたかったよ〜」
「不調ですわね」
「せんせーひどい!」
ヒメにもエレガントな口調でいてほしい先生なのだった。
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