第13章  城下町に潜む闇

第121話   リアン王子の外交手腕

 さて、ここに衝撃的な精神攻撃をもろに食らって、気落ちしている王子様がいる。


「はあ……僕そっくりの兄姉きょうだいがいたなんて……ネイル王子がそっくりな人を連れてきただけで、僕をからかったのかもしれないけれど、でも、セレンさんを無意味にこの国に潜伏させていたとも、考えにくいしな……」


 一人、湯船で膝を抱える。誰にも相談できず、ため息は水面に波紋を生んだ。


 いつも悩むときは、一人。のぼせるだけだとわかっているのに、つい、ここで考えこんでしまう。


 思えば、自分と風呂に入ってくれた人は、たった一度だけ、一人いた。


『ええ!? 嫌だよ、なに考えてんだよ!』


 彼がエメロ城の任務を外れると聞いて、最後になるかもしれないから、一緒に風呂に入ろうと誘ったら、案の定、断られた。


 王族専用の風呂場を使える最後の好機だと説得し続けて、それでも断られた。


 竜の巣の民は、伴侶以外に肌を見せない文化なのだと、知ってはいたけれど、どーしても一緒に入ってほしくて、生まれて初めて駄々をこねた。


『……ハァ、もう、わかったよ。親父には黙っとくんだぞ』


 どっちの親父だろうか。おそらく両方だろう。


 彼は湯船で掛け湯をし、不慣れに体の汚れを流していた。竜の巣では、お湯を体に流す習慣がなく、代わりに、湿った布で体の汚れを拭き取るからだろう。


 リアン王子は、なにも言わなかった。ただ小さなあごを、湯船のふちに乗せていた。


 ほとんど湯気で見えなかったけど、湿って黒光りする鱗と、短く刈った豪奢な輝きの金髪と、宝玉のような金色の双眸が、短い間だけだったけど肩を並べてくれた。


『王子、しっかりやるんだよ。あんたはうちの、お得意様になるんだからな』


『……うん』


 彼はのぼせたらしくて、湯船から立ち上がった。本当にただお湯に浸かっただけの時間。

 その小柄な背中を、リアン王子は見上げる。


『今まで守ってくれて、ありがとう』


 返事はなかった。彼はいつの間にか、風呂場から消えてしまっていた。



「よし」


 リアン王子は湯船から顔をあげ、決心した。翌日の朝食会に、兄と姉を招待すると。



 ネイル王子とその小さな息子にも、リアン王子は特別な提案を思いついた。

 お風呂から出てすぐに、朝食会への招待を家臣に頼んだ。返事はすぐに、もらうことができた。


 しかし、直前ですっぽかされる場合も考えられる。


 来てくれるかと不安だったリアン王子は、食堂の窓を眺めていたが、やがて聞こえたノックの音に、はっとして振り向いた。


 マデリンが扉を開き、二人の春の民が、丁寧なお辞儀とともに食堂へと現れた。


 春の民の女性の礼装は、露出の高い踊り子のようだった。だが彼女は嫁ぎ先である竜の巣の文化を重んじてか、暗色系のケープや包帯を巻いて、その麗しい美貌以外の全ての露出を控えていた。


「なーんだ、せっかくネイルにドレスを取り寄せてもらったのに、まるで重傷を負ったケガ人じゃないか」


 双子の弟セレンからの苦笑を受けても、彼女はそのままで朝食会に姿を現した。セレンも春の民の男性の礼装姿だった。ポンチョのような綺麗な布を幾重にもまとい、腰には色鮮やかなベルトを、足には木靴を履いている。


 彼らの衣服は全て植物由来。装飾品のたぐいも、化粧品まで、全てが大地の恵みでできていた。


 リアン王子は、今日は変装をしていなかった。そのままの姿で、彼らと今後の活動について、話をせねばと思ったからだ。


「わあ、俺そっくりだ……。ネイルが調べたとおり、本当にフローリアン王子は俺たちの弟なんだな」


 セレンが姉ミリアに耳打ちする。じつはミリアも昨日のうちにネイルから教えられたばかりで、内心では狼狽していたが、おくびにも出さずに、静かにうなずいていた。


 なにやら話している兄姉の姿に、リアンは口を出さず、堂々と立っていた。


「昨日まで存在すら知らなかった、僕の兄さんと姉さん。昨日は驚いてしまって、ろくに話すこともできず失礼いたしました。ぜひ、この時間に少しでも互いについて知ることができればと思います。どうか、お手柔らかに」


 三人は三角形に着席した。王子は上座に、兄と姉は向かい合うようにして座る。


 王子が厨房へ合図すると、サービングカートで運ばれてきたのは、春の民にとって馴染み深くも豪華に盛られた、芳しい草花。


「これ、うちの店で扱ってる花だ」


 各皿にサラダみたいに高く盛られているのは、すべて花。かかっているソースと、数種類のジュースは、柑橘系の果物。


 セレンがぽかーんとした顔をリアン王子に向けた。


「嬉しいけど、王子は俺たちと同じ物を食べられるの?」


「はい、僕はなんでも食べられますよ。植物以外は、消化できないんですけどね」


 三人兄姉弟きょうだいで、語り合いながら仲良く食事……するだけがリアン王子の狙いではなかった。本音を言えば、ネイル王子の忠実な部下である彼らから、本当に自分の兄姉きょうだいなのか口を割らせるすべもないし、そもそも彼らの詳細に、さほど興味はなかった。


 会話のタイミングを計り、王子が切り出す。


「じつは、兄さんたちに相談したいことがありまして。城下町に潜伏している、緑色の髪をした春の民のことなのですが――」



 一方、食堂とは別の一階の部屋に、ネイルとその息子が二人だけで朝食を待っていた。


「ねえ、おかーさんはー?」


 たくさん用意された椅子のどれにも座らず、父の膝の上でテーブルクロスをいじりながら尋ねる。


「お母さんは今、弟と話をしているんだ」


「え!? おかーさんに、おとーとがいるの!? ぼくもおとーとほしい」


 末っ子だから、妹も弟もいなかった。ちなみに竜の巣の子供たちは、全員がネイルの子供。ネイルは生殖能力が確認されている、唯一の竜の巣の民であった。


 ガビィだけは妻を娶っていないため、例外となっているが、ネイルはガビィも子ができないのではないかと、懸念している。

 自分たちは自然に生まれた種族ではなく、その生い立ちからして呪いのような民。けがれた血で仲間を増やせても、愛し愛されて子を授かる資格が、この世界のことわりから剥奪されているのかもしれない。


 ただの自論。誰にも話したことはない。


 扉がこんこんと鳴り、緊張した声が、朝食の完成を告げた。


 末っ子が父の膝から滑りおりて、扉を開けた。


「おにーちゃん、できたの!?」


 兄が扉から顔を出すなり、弟が飛びついてきた。兄は顔をエメロ人に変えてはいるが、その両腕は本人のままだった。


 フルーツとフルーツソースと生クリームがたっぷり盛り付けられたパンケーキが、ワゴンに何皿も載っている。

 さらにこれを運んできた人数も、五人と多かった。彼らは全員エメロ人に変装した、ネイルの子供たち。まだ修行中の身の上、昼間は城での雑用を、夜は鍛錬に励んでいる。


 エメロ城にいる子供たち全員に召集をかけたのも、リアン王子の提案だった。束の間の時間を、親子で過ごしてほしいと。


「わああ!! これがパンケーキなの!? すごーい!!」


 ワゴンのふちに手をかけてガシャガシャ揺らす末っ子。パンケーキが崩れそうになり、さすがにネイルが注意した。


「皆が席についてから食べような」


「はーい」


 末っ子の席は、父の膝の上だった。


 テーブルに並んだパンケーキにお茶、それとカテゴラリー。子供たちは、あまり話す機会のない父を前に、ギクシャクしながら用意してくれた。どう接していいのか、わからないようだ。席についても、何も言わない……。


「ねえ、なまえはー? ぼく、ベルギアっていうんだ!」


 一人無邪気な末っ子の自己紹介により、端の席から、自己紹介が始まった。


 末っ子ベルギアは口の周りをソースでべたべたにしながら聞いている。ときおり立て板に水のごとく質問攻めにしてくるので、口数の少ない兄姉たちも、ベルギア無双の対処に追われた。


 ひとしきり攻防を繰り広げたベルギアは、飽きたのか父を見上げた。


 じつは甘い物が苦手なことを誰にも話していなかったネイル。子供たちが作ってくれた特大パンケーキを、お茶五杯目でようやく完食したところだった。


「ねー、おとーさーん」


「ん……? 何か言ったか?」


「おかーさんねー、おとーさんと、もっといっしょにいたいんだよ」


「ああ、知っている」


「じゃあなんで、ときどきしか会ってくれないのー?」


「そうだな、お前が仕事を手伝ってくれるようになったら、お母さんと会える時間が、増やせるかもな」


「じゃあ、お手つだいするー」


 お手つだい、お手つだい、と連呼してフォークをいちごにぷすっと刺し、それを父に差し出した。


「はい、いちごあげる」


「ハハハ、ありがとな」


 まだまだ悪党の仕事を手伝えるようになるまでには、時間がかかりそうだった。


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