第69話   姫を手に入れたい男

 ヒメは廊下で待つジョージに声をかけるため、自室の扉を細く細く開けて、様子をうかがった。


「ジョージさん、さっきのメイドさんとの話、聞こえてた?」


「いいえ。最近は耳が遠くなりましてな」


 じつはメイドと口論しているらしき声が聞こえていたジョージであったが、内容までは聞き取れていなかった。


 先ほどまで姫と部屋にいた、金髪ポニーテールのメイドだが、本物の彼女は、王子とマデリンの関係を邪推し、嫉妬のあまりこの仕事を辞めてしまっていた。


 さっきまで姫の部屋にいたのは、竜の巣の民が化けたメイドである。


(姫様がメイドと争っていた内容は、きっと竜の巣の民同士でしか、わからない内容だったのでしょう……。この爺には、姫様がエメロを想ってくれると信じることしか、できません……)


 ジョージは椅子から立ち上がり、扉の前までやってきた。ヒメは細く開けた扉の隙間から、数枚の紙の束を二つ折りにした状態で、ジョージに差し出した。


「マデリンさんからは十枚書けって言われてるけど、内容で勘弁してもらうよ。ジョージさん、届けておいてくれないかな。私は今日一日、謹慎になっちゃったから」


「はい、お預かりいたします」


 ジョージは丁寧に受け取ると、背広の内ポケットにしまい込んだ。



 一人、廊下を歩きだすジョージに、声をかける者がいた。ジョージが振り向くと、そこには、かつて世話になったことのあるグラム伯爵が、付き人を何人か連れて、歩いてくるところだった。


 身分の高位な者の正面を歩くわけにはいかない。ジョージは廊下の壁際まで下がり、お辞儀する。


「これはこれはグラム伯爵、お声がけいただけるとは――」


「マリーベル姫の様子はどうだ?」


 ジョージが挨拶を全て言い切る前に、グラム伯爵がしゃべり始めた。

 稽古時に着ていた白銀の鎧ではなく、黒に近い緑色のジャケットをまとい、同色のスカーフを首に巻いている。きらめくエメラルドが、老眼鏡の随所を飾っていた。


 なんとなーく不穏な気配を感じたジョージは、返答に悩んだ。元気だ、と答えると、厄介なことが起きる予感がした。


「姫様は街での喧噪に驚いているご様子でした。今日は一日、お部屋でお過ごしになられるそうです」


「では都合が良い。お転婆な姫君がおとなしくしていると言うのならば、グラム家に嫁ぐ心得を説明しやすいからな」


 ジョージは緑色の目が泳がないように、顔に力を入れて微笑みを絶やさないよう努めた。


「はて、嫁ぐとは? この爺、初耳でございます」


「そうだったな、お前には話していなかった。今朝、私が話しかけた姫は、本物の姫ではなかった。影武者だったのだ。今度こそ本物の姫に、良い返事をもらいたい。否、己が生き延びる道が、一つしかないことを自覚してもらいたいのだ」


「グ、グラム伯爵、姫様は街で恐ろしい目に遭ったのです。今日はお部屋でお休みいただいて、ご結婚の話は、しばらく先にいたしましょう」


「街で起きたことは知っているとも。シグマが街で武勇を上げたとかなんとか。それなのに、ほんの数人ほど通行人を巻き込んだだけで謹慎など、大げさな処罰だと思わないか。誰の予定にも支障をきたすほどの事件ではなかったというのに、うちの娘ときたら……」


 饒舌じょうぜつに愚痴りだすグラム伯爵は、我に返ると、うほんと咳払いした。


「ともかくだ、この程度の騒ぎなど、姫と息子の間にはなんの支障にもならぬ。さっそく姫の部屋に伺おう。姫のお付きの執事の許可も、出たことだしな」


 ジョージは許可するなんて、言っていない。


 まるで目下の者の意見など気にしないのが当然の権利だとばかりの伯爵に、ジョージの穏やかな笑みが消えた。ずっと下げていた頭を、上げる。


「お待ちくださいませ、伯爵。街での喧噪に巻き込まれて、平常でいられる女性はおりません。結婚を急かすよりも他に、かけるべきお言葉があるはずです」


 だが、グラム伯爵はそうは思わなかった。


「あの姫は、男ばかりの騎士団の稽古場にも、臆せず侵入してきたのだ。この私にも盾突いてきたぞ。そんな娘が、街の騒ぎ程度で弱るようなタマではないはず。お前の嘘など簡単に見破れるぞ!」


 しかし、ヒメという女性が大変な目に遭ったのは事実である。気遣いのできない伯爵に、執事ジョージは反論する。


「以前の貴方様は、そんなお人柄ではなかった。奥様をはじめ、女性に優しい紳士でありましたのに。ご自分の都合を優先することしか考えられないのですか。姫様は今日は一日、謹慎の身、部屋から出られない女性に難題を押し付けて困らせるなど、亡き奥方が知ったらお嘆きになりますぞ!」


「だあー! もういい、わかったわかった! そこまで言うのならば、今日は会うのはよそう。引き留めて悪かったな!」


 ぐるりと背を向けて、肩を怒らせて去ってゆく後ろ姿に、ジョージはまだ何か言おうとしたが、ため息をつき、やめてしまった。


(……時の流れとは、かように残酷なものなのでしょうか)


 あんな強引なやり方を通そうとする伯爵は、ジョージは初めて見た。否、見たくなかった。


(引退される前の、騎士団長の頃から、姫様のことを話題に出しもしなかったのに、なぜ急にあんなことを……)


 それも今、姫の誕生日が近づいてきた、この忙しい時期に。ジョージはエメロ王に仕えて長いが、エメロ王の口からも、姫の婚約者の話題が出たことはなかった。


 グラム伯爵が姫を身内に迎えたいのならば、エメロ王の許可が絶対に必要である。そしてエメロ王の許可さえ取ることができれば、姫に拒否権はない。シグマと結婚したも同然となろう。


(姫様の婚約者が決まれば、当然この執事わたくしにも、報せが入るはず。それなのに、なんの報告も……。ハッ! まさかグラム伯爵は、エメロ王の許可なしに、姫様とシグマ様を結婚させるおつもりなのですか? それは、つまり……余命短いエメロ王の許可など、取る必要がないとでもおっしゃりたいのですか!?)


 ぞっとする憶測だが、エメロ王の許可をすっ飛ばす理由として、ありえた。


 ではなぜ、今なのだろう。こんな忙しい時期に、姫を早く手に入れなければならない事情とは、いったいなんなのだろうか。


 こんなときに、隣国の竜が上機嫌で鳴いている。ここのところ、連日頻繁に鳴いているのだ。ジョージは薄くなった頭を、片手で抱えた。


(グラム伯爵、元騎士団長の貴方様なら、お気づきになっているはずです。最近、竜の様子がおかしくなっていることを。そのことで、焦っておられるのですか? 竜に何か異変が起きれば、調査隊隊長のシグマ様が出動なさいます。シグマ様に何かあれば、婚姻話を進めるどころではなくなってしまいますから……)


 グラム伯爵が息子に騎士団長の座をゆずったのは、竜が何もしてこないと思っていたからだろう。現に、竜は何百年と、おとなしくしていた。シグマが調査隊の隊長に選ばれたって、植物の観察日記のように、竜の様子を報告書にまとめればいいのだから、楽である。


 剣技ではシグマに並ぶ者はおらず、騎士団長の座を脅かす者は、エメロ国にはいないわけで、グラム一家は安泰だ、安泰であるはずだったのだ……竜が何度も、咆哮を上げるまでは。


(竜が怖いから息子を調査隊から外す、なんて言い出せませんよね。もらった勲章の数もありますし、かっこ悪いですものね。だから姫様との結婚を機会に、シグマ様を引退させるおつもりなのでしょう。調査隊は、独身の男性で構成されておりますから……)


 ところが、ここでまた一つ疑問が浮かぶ。

 今すぐシグマを結婚させたいのならば、マリーベル姫でなくても良いはずなのだ。貴族の女性は他にもいるのだから。伯爵家に嫁げると聞けば、娘を差し出す家もあるはず。なのに、マリーベル姫を選ぶのはなぜなのか。


 伯爵の自尊心の高さ故か、それとも、別の理由か。


(あ、シグマ様の、名誉をお守りするため……?)


 竜が倒せると期待されていたシグマが、背負っていた黒の剣を紛失したあげく、竜と友達になってしまった。極端に言い換えるならば、負けて帰ってきたのだ。


(竜に負けたあげく、身分の低い女性を正妻にして、調査隊隊長の任を引退するなんて、とてもかっこ悪いです。ですが、お相手が王女ならば、格好がつきますね)


 勝てなかったシグマが、もう一度、しかも活性化した竜のもとへ派遣されるなんて、グラム伯爵には耐えられないのだろう。つ、息子が後ろ指さされる人生を歩むのも、嫌なのだ。


 頼みの綱は、王女マリーベルとの結婚のみ。それがグラム伯爵の価値観であり、親心なのだった。


(わたくしにも、子供がおります。孫も大勢おります。貴方様のお気持ちは、とてもよくわかります。何一つ、失いたくないのは当然のお気持ちです)


 長く生きてきたジョージは、いろいろな人々が抱える様々な悩みを、知っていた。できることなら手助けしたい気持ちもある。


 だが今は、エメロ王に忠義を尽くし、マリーベル姫を支える執事である。誰の味方だと問われれば、その二人であるのが答えであった。


 ジョージは貴族の出身ではない。だから、貴族が背負う責務には携われない。


 どうすることもできない。今は姫と王を支えることしか、できない。


 この胸に預かった、姫からの始末書が、存在を主張し始める。姫の無防備な警戒心を、そしてジョージを信用している、そのあどけなさを感じる。


 ジョージは胸に手を当てた。


「ああ姫様、どうか……エメロ国にも竜の巣にも捕らわれず、姫様の納得できる道が、歩めますように」


 この紙の束には、ヒメらしい言葉で彼女の想いが、つづられていることを祈った。


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