第64話   春を告げる花たち①

 来た道を戻るだけ、来た道を――不安で早なる胸の鼓動を押さえたくて、自分に言い聞かせるも、周囲からぞくぞくと、白い仮面をかぶった不審者が現れる。


「うわああ何人もいる!」


「姫様、騒いではなりません。目立つ前に急いで、この場を離れましょう」


 街中でマリーベル姫がメイドの格好をして不審者と戦闘などという前代未聞の大事件を、起こすわけにはいかなかった。


(姫様がここに来ることが、外部に漏れていたなんて……。服装まで変えたのに)


 怪しい集団の存在に気づいたのか、にわかに通行人たちが騒ぎだした。白い仮面の不審者は、どこかへ向かうでもなく右往左往する者や、ヒメたちめがけて走ってくる者がいる。追いかけてくるのは、当然後者だった。


「ナターシャさん、走ってくる仮面の人は、動きが洗練されてるよ。うろうろしてる仮面の人は、そうでもないっぽい」


「では、後者は金で雇われた浮浪者かもしれません。仮面をかぶるだけでお金がもらえるのなら、喜んで引き受けるでしょう」


 しかし正体の予想がついたとしても、不審者に悲鳴をあげて逃げ回る大勢を、かきわけて逃げるのは至難しなんわざだった。

 通りを守る兵士たちが駆けつけて、白仮面を取り押さえるが、大暴れする白仮面を一人捕まえるだけで人手が割かれている。


「英雄さん助けてくれよー! 変なのがいっぱいいるんだよー!」


 なんと、ヒメたちの後ろを走っていたシグマに、問題の解決を求める一般人が数人しがみついてきた。びっくりしたシグマの腕が、背中の剣にのびる。


「シグマ様いけません!」


 ナターシャがヒメの手首を掴んだまま、シグマのもとへ引き返した。興奮するシグマに声をかけて、手を下げるように説得する。


 そうこうしている間に、白仮面にすっかり囲まれてしまった。逃げ遅れた一般人ともども、背中合わせに真ん中に集まるヒメたち。


 一緒にいるシグマにも警戒しなきゃいけないし、ヒメはもうどこにいちばん集中していいやら頭が錯乱し始めた。


 そのとき、白仮面の何人かが斜め上を見上げて後ろに飛びのき、飛びのかなかった者が、降ってきた樽に直撃してよろけた。


 屋根から一斉に顔を出したのは、ぱっと見は一般のエメロ人だが、それは変装屋に顔をほどこされた竜の巣の仲間だった。


「ヒメさん!? なにやってるの!? お城でおとなしくしてるって聞いてたのに」


「三男さん!!」


 これには事情が、と話している場合ではない。


 白仮面はポンチョのような全身を覆うマントを羽織っていた。それをばさりとひるがえして、現れたのは、白い甲冑。


「え……?」


 シグマとは違う、装甲の薄い軽量型の鎧だったが、その材質は、白銀色に輝くその光沢は、そして胸に彫られた大きな竜の顔は――


 ヒメが竜の彫り物に意識を持っていかれた、そのわずかな間に、白い仮面に大接近されて今にも腕を掴まれそうになった。


 仮面に空いた二つの穴から、虹のように綺麗な色をした両目が。その目がぎょろりと真横を向き、三男のシミターの切っ先を、飛びのいて交わした。

 その際、白銀色のガントレットでシミターを殴りつけており、大きな金属音に驚いてヒメが我に返った。


「ぼさっとすんな!」


「ご、ごめん! ありがとう!」


 ヒメはナイフを体中に隠し持ってはいるのだが、鎧越しの相手に投げたところで良い音が鳴るだけだ。


 ここは剣を持った仲間に頼りつつ、敵の接近を許さないよう警戒して、身構えているしかない。あちこちで始まる剣戟けんげき。ヒメは背後から近づいてくる一人に気づいて、油断している素振そぶりをしてわざと腕を掴ませた。


「そりゃ!」


 ヒメの足払いに、あっけなくすっころんで背中を強打する、一般人。どうやら、どさくさに紛れてヒメの体に触ろうとしていたらしい。この緊迫した状況で。世の中にはいろんな人がいるものである。


 白仮面たちは攻撃をかわして、後退するだけだった。その鎧は打撃を何度受けても、大破しない。


(あれ? 三回しか防げないんじゃないの?)


 ヒメが周りから聞いていた情報と違う。あの薄い軽量型の鎧のほうが、性能が良いのだろうか。などと思っていたら、白仮面たちはテントの支柱を蹴倒し、付近の店の表装にも強烈な回し蹴りを放って、砕いてしまった。


 テントがテントに倒れ掛かり、そのまた隣のテントにも。ヒメの最寄りの果物屋のテントも倒れてきた。


 チカンが下敷きになったが、生きているようなので放置して、三男とともに走りだした。戦えないヒメがここにいると、足手まといとなる上に、メイド服姿のマリーベル姫が暴漢に襲われて怪我をするというトンデモな話題を作ってしまう。


 遠くで弦楽器が場違いな陽気さで歌い続けている。


「こんなときでも音楽が鳴ってる。奏者さん自由だなぁ」


「気づいてねーんじゃねーの? セレンはのんびりしてるからな」


「知り合いなんだ。セレンさんって言うんだね」


 大勢の阿鼻叫喚とシグマの雄たけびが聞こえるが、ヒメは後ろを振り向く勇気がなかった。


「シグマさん、大丈夫かな。今のところ血の臭いはしないけど」


「あのメイドがいるなら大丈夫だろ。たぶん」


 ナターシャと、はぐれていないだろうか。ヒメは心配だったが、自分よりも経験豊かで仲間も大勢いる状態で、彼女が負けるとは思えなかったので、迷いなく三男に続いて走った。


 買い物手伝いの子供に化けている三男の見た目を舐めているのか、やたら前方に、ガタイの良い男たちが立ちはだかってくる。


 しかし、彼らの拳を片手で受け流しては、ふところにもぐりこんでシミターのつか鳩尾みぞおちを強打する三男を、止められる者はいなかった。うずくまる大男の股下をくぐりぬけて、三男は次々と相手を変える。


「ほらほら、こうなりたくなきゃ道あけな!」


 ひぃ~、と悲鳴をあげて、あっけなく逃げてゆく者は、お金で雇われた者だろう。逃げなかった者が――一人だけいた。


 ヒメの剣技の師匠である三男の構えは、ヒメとほとんど同じだった。足を前後に開いて重心を下半身へ、胴体部はやや力を抜いた猫背に。ひじを曲げて肩に刀身を乗せた。


こうでごまかしたってダメだぜ。この肌の匂いは、よーく知ってる。お前ら、春の民だな!」


 春の民のことは、ヒメも少しだが書物でかじっていた。大家族で移動しながら生活する遊牧民で、音楽を含む遊芸や、美術的な分野に長けており、一緒にいると楽しい人々だが、絶対に長居をさせてはならない。彼らの文化や生態系が、他国に甚大な被害を生み出し、さらに彼らはその責任を一切取らずに逃げてゆく。


 竜の巣でも、同盟を結んだ春の民以外は信用してはならないと言われていた。


 目の前にいるこの人物は、おそらく同盟外の民。かぶっている白い仮面を外して、金髪のかつらも、石畳に放り捨てた。


 春風になぶられる、緑色の長い髪の毛はところどころ紐で結ばれて束になっていて、髪のあちこちから色鮮やかな草花が、雑草みたいにぼさぼさ生えている。


 緑色の肌には、薄い濡れ落ち葉のような緑色の鱗がしっとりと貼りつき、まるで濡れているように光っていた。


 羽の付いた耳飾りを付けたその人物は、虹色の両目を細めて、意地悪げに口角を吊り上げる若い男性だった。


「一国の姫を洗脳し、監視する……そうしてこのエメロ国を陰で操ってきたか。狡猾さだけは評価してやろう」


 見た目は若いが、声が野太く低くて、中年男性を思わせる。


 三男は、長男ネイルの嫁であるミリアを思い出した。彼女も春の民だが、彼女の家族は竜の巣と同盟を結んでいるから、襲ってくることはない。春の民は家族同士のつながりだけはとても強く、ミリアを残して全員が裏切るなんてことは、無いに等しかった。


(兄さんの嫁さんとは、違う一家だな。春の民っていろんなヤバいヤツいるから、信用なんねーんだよな)


 三男の警戒心が伝わったのか、男は乾いた笑いをこぼした。


「ガブリエル王子は、元気にしているか?」


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