第65話   春を告げる花たち②

 急に次男の名前を出されて、なんとなく家族をばかにされたように感じた三男は、今はエメラルド色の目じりを吊り上げた。


「なんでそんなこと訊くんだよ」


竜の巣の民おまえたちだ。鎮痛剤が欲しいんなら分けてやろうか?」


 春の民の男は、腰ベルトに下げた革袋から、筒状に巻いた小さな紙切れを取り出した。広げることなく、見せるだけだったが、紙面にどす黒い血のシミが広がっている。


 三男が作った物ではないが、見覚えのある物だった。


(伝書鳩の手紙を読んだのか。暗号使ってたのに、解読したのかよ)


 ガビィを治療するために必要だった鎮痛剤が、昨日で底をついてしまった。ガビィは頑固だから、竜の巣の仲間から分けてもらうのを嫌がった。自分よりも重傷の者たちに、使わせたいと言って。


 だから、三男の部下がこっそりと手紙を出していたのだ。それが春の民に、伝書鳩ごと落とされてしまった。


「鳥はいい的になってくれた。おかげで弓だけでも食っていけそうだ」


「一羽に百発くらい、ち込んだんだろ? 大赤字だな」


 三男の挑発に、男は緑色の眉毛を片方だけ上げたけれど涼しい顔は崩さなかった。虹色の虹彩が特徴的な両目が、今度はヒメに向けられる。


「マリーベル姫」


「な、なに!? 訊かれたって、何も答えないよ!」


「せいぜい良い誕生日を迎えるがいい」


「え? あ、どうも……」


 ヒメはてっきりひどいことを言われるのかと身構えていたから、拍子抜けして、返事してしまった。


「今日は騒いで悪かったな」


 男は最寄りの建物の陰にひょいと隠れてしまった。三男が走って追いかけたが、「あれ?」と一言、しばらくして戻ってきた。


「いないや」


「私も捜すよ。まだこの辺にいると思う」


「あいつらは姿を消すのが大得意なんだ。警戒は怠るなよ」


 三男は、春の民特有の花のような体臭を頼りに、辺りを見回す。早く見つけないと、風でにおいが薄らいでしまう。


 そこへシグマが、ナターシャとともに歩いてきた。ナターシャは周囲にただよう花の香に表情をこわばらせ、シグマに何か耳打ちした。


 シグマの兜がうなずいて、さっきテントが倒壊した際に転がってきた売り物のオレンジを片手に掴むと、友人に忘れ物を投げ渡すかのような雰囲気で「よっ」とブン投げた。


 オレンジは流れ星のように一直線を描いて、数件ほど離れた洗濯物の多い二階のベランダに、ドムッと当たった。


 さっきまで誰もいなかったはずのベランダに、おでこを押さえてよろける、あの男が現れた。絶対に気づくはずがないと思っていたのか、びっくり顔で左右を見回して、ヒメたちの視線に気が付くと、もっとびっくりした顔になった。「なぜわかった!」と叫んだと思わしき口の動きをしている。


 男はまた不敵な顔に戻ると、まとっているマントをひるがえして、また姿を消した。日当たりの良い場所で、姿だけが、忽然と消えたのである。洗濯物だけが、ひらひらと揺れていた。


「ヒメさん、きっとあのマントに秘密があるんだよ。これはまた調査するのに骨が折れるな~。あいつらどうやって捕まえよう」


「街の兵士さんが、白い仮面の人を何人か捕まえてたよ。これで事情が聴けるかも」


「うえ~、エメロ人の兵に頼るのか……。でも、親父も言ってたっけ、兄さんみたいに事態の収拾に動くのも隊長の務めだーって。よし! ちょっくら行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 ヒメが見送りがてら眺める中、三男は兵士の二人組に話しかけた。そして手持無沙汰てもちぶさたな顔して戻ってきた。


「捕まえたヤツらに春の民はいなかったってさ。仮面を取り上げて顔を見たら、見覚えのあるエメロ人ばかりだったって」


 兵士に顔を覚えられるほど、問題を起こしてきた人たちだったらしい。


「ちぇ。俺の出る幕は無さそうだな。兵士の兄ちゃんたち、しっかりしてるや」


 頭の後ろに両手を当てて、そのまま寝ころんでしまいそうな姿勢で三男は辺りを見回した。歩く人はほとんどおらず、倒れたテントと散乱した品を、悲しそうな顔で拾い集める店員の姿が、まばらに見える。


 手伝おうと言い出すヒメに、三男は首を振った。マリーベル姫は今、こんな格好してここにいるはずのない存在だからと。


 ヒメは不便だと思った。自分はなんでもできるのに、マリーベル姫の面目めんもくのために、なんにもしてあげないだなんて。


(こんなひどいお姫様、聞いたことがないよ……でも、影武者がお城で過ごしてるのに、私がここで手伝いしてたなんて知られたら、めちゃくちゃな事態になっちゃうか……)


 自分が自分として動けたらなぁ、とヒメは己の素顔をなでた。この顔がマリーベル姫に瓜二つでなければ、歩いているだけで騒ぎになんてならなかったと思う。


「あーあ、ヒメさんの誕生日が近づいてて、みんなにぎわってたのに。雰囲気が台無しだよ」


「さっきの緑の髪の人も、春の民なんだよね。本で読んだことがあるよ。あんまり信用しちゃいけないんだってね」


「んー、春の民にもいろいろいるけどな。どういった連中なのか、俺もよくわかんねーんだ。とにかく姿を消すのがうまくて、追跡できないんだよな。匂いはするんだけど」


 匂いと聞いて、ヒメはくんくんと空気を嗅いでみるが、お香の匂いしかわからなかった。


「あんまし嗅ぐなよ。あのおこう、何が入ってるかわからないからさ」


 三男があごで差した方向には、一軒の民家があった。白い小皿の上にのった円柱状のお香が、民家のかどの植木鉢の陰にひっそりと隠されて、煙を上げていた


「え? え!? ……もしかして薬物ってこと!?」


「そういうのを使う連中もいるから、もしかしたらな」


「そんなものを、公共の場でくなんて」


 そうだと決まったわけではなくとも、こんな話を聞いてしまっては、ヒメはお香に駆け寄って、小皿ごとぐりぐりと踏みつけて火を消した。


 三男がため息をついて肩をすくめる。子供がシミターなんて持っていては目立つので、たまたま近くにいた部下に預けた。


「帰ろう、ヒメさん」


「うん。あ、シグマさんを捜さないと。お城に連れて帰らなきゃ」


 ヒメと三男は、ずっと後ろを見ないようにしてここまで来たから、シグマが何をしていたのかは物音でしか知らなかった。

 石畳に散乱する、人、人、人。


「うわあ……」


 一般人まで巻き込まれていた。ヒメはナターシャを見つけて、駆けつけた。山と積まれた暴漢の中から、巻き込まれたのだろう無関係な人たちを、ナターシャと他の仲間が救出しているところだった。彼女は乱雑に積み上げられていた人々を壁際まで運んで、介抱していた。


「ん? わあ! 果物屋さんまで! 大丈夫ですか、しっかりしてください!」


「うぅ……メイド服姿の、マリーベル姫様が見える、俺はもうダメだ……」


 そう言い残して、果物屋の店員はガクリと気絶してしまった。


「果物屋さーん!」


「シグマ様は、しばらくお城で謹慎きんしんでしょうね……」


 苦笑するナターシャの近くで、テントが主柱ごと、ふわりと持ち上がる。シグマが一人で、テントを立て直していたのだった。


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