第6章  竜に支配される人々

第52話   春の民ミリア①

「まだねないもん! おとーしゃんにあうまで、おきてるんだもん!」


 寝台に運んでも、手足をばたばた、大声で泣き続ける息子に、ミリアは困ってしまった。何度寝るよう説得しても、泣き止まない。


「仕方ないわね。それじゃあ、ちょっとだけ会いに行きましょうか」


「わーい!」


 起き上がった息子の小さな手とつないで、部屋を出ると、屋上へ向かって廊下を歩いていった。竜の巣の階段は急角度なので、歩幅の小さい息子がつまずかないように、一歩一歩上るのを、ミリアは下から見守る。


「おかーしゃん、のぼったよ!」


「はい、よくできました。お父さんはそこにいる?」


「うん!」


 ネイル王子は屋上の真ん中あたりで、黒い座布団ざぶとん胡座あぐらをかき、部下と妻たちに囲まれて、カードゲームと手品を応用した詐欺のやり方について、いろいろと話し合っているところだった。


 最近、ネイルが構成していた「資金調達部隊」が、カモにしていた客たちにカードのイカサマを見破られてしまい、一時撤退。また新たなルールとイカサマの手口を考えて、以前とは別人に変装し、またカモたちに勝負を吹っ掛けようという算段だった。


 ゲームのルールが以前と同じだと、またすぐに見破られるので、ゲームの種類を増やす計画は、以前から立っていた。そして、今日がその日。異国から仕入れた詐欺の方法や、自分たちで考慮したルールを持ち寄り、会合している。


(ここのところ、ネイルが一人でいるのを、見たことがありません……)


 一夫多妻制の竜の巣では、一人の男性に親しい女性が寄り添っている光景は珍しくない。けど、やっぱり少しやきもちを焼いてしまうミリアである。


 忙しそうだから、息子をさとして帰ろうとしたが、


「おとーしゃーん!」


 息子が片手をほっぺにあてて、ネイル王子を呼んでしまった。


 振り向いてくれた彼の、驚いた顔が、すぐに優しげな微笑に変わる。


 ミリアの手を離れ、幼子はおぼつかない歩き方で、ネイルの腕の中にすっぽり収まった。


「おとーしゃん、あそぼーよぉ……」


「おお、よくしゃべるようになったな。えらいぞ」


 よしよしと背中をさすられても、遊んでくれる約束をすっぽかされた子供はだまされない。涙を目にいっぱい浮かべて、ぺしぺしとネイルの胸をたたく。


「ハハハ、悪かった。明日遊ぼうな」


「ぜったい! ぜったいっていって!」


「わかった、絶対な」


 まだ幼い息子のその願いが、多忙な彼の負担の一部になることを、ミリアは知っている。申し訳ない気持ちを抱えたまま、集団の端っこに、そっと歩み寄った。静かに膝をつき、皆と同じ目線になる。ネイルだけ異様に背が高いので、ミリアも彼を見上げる姿勢になった。


 周囲とずっとしゃべっていたネイルが、胡座の膝横に置いたコップのお茶を飲むと、皆も静かになっていた。


 息子がそのコップを両手で掴んで、ごくごく飲みだすので、ミリアは居たたまれなくなって、話の口火を切った。


「今日の王様は、どうでした?」


「ここのところ、さらに気が短くなっている。歳は取りたくないものだな」


 今や彼しか王の機嫌が取れない状況だった。以前まではヒメに会うときも上機嫌だったが、そのヒメは今、エメロ国にいる。


「ヒメがエメロから良い知らせを、持って帰るといいがな」


「はい……」


 ミリアは座ったまま、茜色に染まってゆく遠方の森を、ぼんやりと眺めた。あそこまで行くには、道中の断崖絶壁だんがいぜっぺきを下りてゆかねばならない。


 彼のとなりに座っている別の妻が、口を開いた。


「ヒメ様は昨日、エメロ王の体調が優れないために、任務を遂行できなかったと伺っています。我々の部隊も、様子を見に行ったほうが」


「ふふ、本当に失敗しているのは、弟たちだろう。特にガビィは、大事なモノが増えてしまったからな……。後々、己の首を絞めることに繋がらなければいいが」


「心配ですわ」


「あれでも部隊長だ。絞まった首は、自力でほどくだろ。信じるしかないさ」


 肩をすくめたついでに、腕の中の子を抱え直す。その横顔は柔らかく、それでいて誰かの身を案じている憂いを秘めていた。


 その誰かとは、弟王子のことではないと、ミリアは思う。


(あなたも、ヒメ様が心配、ですよね……)


 初めての異国への遠征、そしてヒメは未だ外出した回数が五回とないのである。世間知らずどころの話ではなかった。


(ヒメ様はきっと、今頃は次男の王子様の手助けを、自ら買って出ていらっしゃいますね……。前向きで、いつも誰かの役に立つことばかり考えてしまうお人ですから。厄介事に、巻き込まれやすい性格だとも言えます)


 ミリア自身も、他の妻のようにネイルに寄り添い、胸内の不安を吐き出してしまいたかった。


 でも、できない。ネイルの負担になる自分はイヤだった。しかし不安な気持ちは、消えてくれない。


(もしもヒメ様が任務を成功されて、また竜の巣にお戻りになった際は……次男の王子様がご執心されているエメロ国の行く末は、どうなってしまうのでしょう……。ヒメ様もその後、幸せになれるのでしょうか)


 次男の王子の奮闘虚しく、エメロは崩れて、ヒメはエメロ国民を見捨ててここに帰ってくる……きっとエメロ国の誰しもが、マリーベル姫を許さないだろう。多くに恨まれながら、ヒメは生き続けてゆくのだろうか。


 ミリアはヒメの性格が、そのような悲劇に耐えられるはずがないことを懸念けねんしていた。


「おかーしゃん、ほし! いっぱいあるよ!」


 ネイルの腕に収まったまま、息子が星を一つ一つ数えだす。でもまだ十しか数えられないので、その先がうまく言えずに、歯がゆそうにしながら無言で数え続ける。


 ネイルそっくりの青い色した両目で、真剣に星と向き合う小さな横顔に、ネイルが話しかけた。


「星はいくつある?」


「んっとぉ、んーっと……こーんだけ!」


 息子が両手をいっぱいに広げた。がら空きになった小さな胸に、ネイルが軽く頭突きした。


「うきゃああああ!」


 耳が痛くなるような笑い声をあげて、息子がネイルの頭部を抱きしめる。二人して笑い合う姿に、ミリアも吹き出してしまった。


 笑った拍子ひょうしににじんだ涙で、視界が揺らいだ。薄暗くなってゆく空と、大勢の黒装束がまじりあい、黒一色の世界となって、自分もそのうちの一つであることを、ミリアは思い出した。


(心配ばかりしてはいけませんね。ヒメ様の強さと、人柄の良さを信じております。きっと弟王子様といっしょに、がんばっていらっしゃるでしょう。私も、母として、竜の巣の民として、ここを守っていかねば)


 ミリアは立ち上がり、大勢の座る座布団を踏まないようにしながら、ネイルのすぐそばまで歩み寄った。


「今日は忙しいのに、この子を連れてきてごめんなさい。どうしてもあなたに会うんだって、ぐずっちゃって」


 ミリアが息子を抱き上げようと腕を近づけたら、息子はネイルの脇腹にひしっと抱きついた。


「やだ! まだいるもん! おかーしゃんもいっしょにいよ!」


 小さな手に、ミリアの服のそでも掴まれてしまった。


「こら! はなしてちょうだい!」


「ミリアも、ゲームを練習してゆくか? 同じカードを二枚隠し持って遊ぶ。客の勝負運を、こちらで管理できるぞ」


 ネイルがとなりの空いている座布団をぽんぽんと叩いて、座るよう促した。頭髪が少し乱れて、青い双眸に黒い前髪が乱雑にかかっている。さっき息子が彼の頭を抱きしめたせいだった。

 春の夜風に、彼の黒髪と、ゆったりとまとった黒い外套がいとうがなびく。風のある野外でもカードを落とさないように、こんな場所で練習するのだから、手先の器用さも鍛えられる。


 大勢の視線を浴びて、ぎょっとするミリアだったが、


「は、はいっ」


 本当はいつも旦那様のそばにいたいと想っていたから、思い切って、正座してしまった。


 息子と目が合い、嬉しそうな顔をされた。


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