コンビニのコーヒー
「あー、もー……」
今日も今日とて私は仕事。
しかし窓の外は既に真っ暗。
部署の上司は外出の後直帰だし、先輩は帰ってしまった。
つまるところ、残業である。
私の部署は
会社全体が残業低減に動き出す前から、8時間働いたらとっとと帰ることが部署に習慣づいている。
開発部門からのヘルプは昼だろうが夜だろうが来るときには来るが、向こうも定時が過ぎたら対応できないことは分かっているし、余程緊急性の高いトラブルでない限りせっつかれることは無い。
フレックスタイムを利用して出勤を遅らせた時など、定時を過ぎた後まで残っていることはあるが、これは定められた勤務時間内の話なので残業ではない。
で、そんな超ホワイトなうちの部署が時間外労働をする数少ないパターンは三つ。
一つは毎月行っている、社内の基幹部分のサーバーメンテナンス。
一つは入居しているビルの全館停電時の対応。
一つは突発的に舞い込んでくる緊急性のトラブルへの対応。
現在私が残業している理由は、最後の一つ。
フレックスタイムで定時後まで会社に残っていたら、休憩時間が開けたタイミングでどでかい奴が飛び込んできたのだ。
私が相手をしているのは拠点間でテレビ会議をするのに使用するための、共用のPCだ。
今時、業務用のSky○eはOfficeクライアントに付属しているし、殆どの社員のPCに入っている。
だから、わざわざ会議室までやってきてテレビ会議を繋ぐ必要性というのは、本当は無いのかもしれないが、それでもやはり人間は、会議室で会議をしたいようで。
弊社はこれでも日本各地に事業所を展開している会社なので、それぞれの拠点で働いている人がいて、拠点間で連携して仕事をすることもよくある。他拠点の部長さんや課長さんが本社に出張に来ることも珍しくない。
そんな具合で、各会議室にはTV会議を行えるように専用のPCを設置しているのだ。昔は本当にテレビ会議用の専用機器を設置していたけれど、今ではPC版に取って代わられている。
そのPCの一台、10階に置いてあるやつが、突然不調になったのだ。
電源を入れてログインするまでは普通なのに、ログインすると途端にマウスポインタを残して画面が真っ暗になるPC。
ネットワークサービスが起動しておらず、傍目には繋がっていないように見えるのに、何故かインターネットに接続できるWebブラウザ。
手動で無理やりプロセスを動かすと画面は出てくるものの、まともに操作が出来ないデスクトップ画面。
スタートボタンが押せないので表示させられないWind○wsの設定画面。
ネットワークが不通のせいか、OSのライセンス認証も解除されている旨の表示が出ている。
本当に、一体何をどうしたらこんな現象が発生するというのか。
トラブルを報告してきた社員から「類似の現象でこんな情報がありました」と教えてもらったページはあるが、それを試しても現象は改善しなかった。
ぶっちゃけた話、お手上げである。
「どうしよ……もうマシンを交換した方が早いかなぁ、これ」
そう独り言ちながら、会議室のチェアの背もたれにもたれかかった私に。
「秋島さん、どうしたの?」
「……あ、
怪訝そうな表情で会議室を覗き込みながら、声をかけてくる壮年の男性社員がいた。
この10階を仕事場にしている、第一開発部部長の関口さんだ。
私がこの会社に入社してすぐの時は、第一開発部に所属していたこともあって、部長の関口さんとは関わりが深い。
困ったときは真摯に相談に乗ってくれたし、部署移動した今も何かと気にかけてくれる、頼りになる人だ。
私はチェアを回転させてちゃんと姿勢を整えると、真っ暗な中にぽつんとタスクマネージャーが浮かび上がるディスプレイを指さした。
「いや、第三の
「あー、そういえばさっき会議室に入ったと思ったらすぐに出ていったなぁ。
いつも大変だね、秋島さん」
「まぁ、これが私の仕事ですし」
細目で垂れ目な関口さんの目が、ますます垂れ下がる。私は小さく肩をすくめて、力なく笑った。
そうしてタスクマネージャーを閉じ、PCをシャットダウンしにかかる。
「もうこれダメそうなんで、うちで引き取ります。新しいPCをすぐにセットアップして持ってきますんで」
「わかった、ありがとう。よろしくね」
そう言って関口さんは私に頭を下げると、会議室から出ていった。
そうこうするうちにシャットダウンが完了するPC。私はケーブル類を引っこ抜くと、PCを片手で抱えて立ち上がった。
所変わって1階、情報システム部。
件のPCのリフレッシュは明日に回すとして、私は入れ替え用のPCのセットアップに当たっていた。
今現在、情報システム部のフロアには中古のPCが山のように積まれている。
そろそろWind○ws7のサポート期限が近付いているから、大々的にPCの入れ替えを行おうと準備しているのだが、それに伴って部署内の使わないPCを引き取っているのだ。
使わないPC、壊れたPCの中で、最新のOSをそのまま載せられそうなものは載せて、部品が壊れているものは使える部品を取り出して使えそうなPCを組み立ててOSを載せて、もうどうにもならないものは潔く廃棄する、というチェックと振り分けの仕事が、最近の私の主な業務だ。
そういう、使わなくなったPCでそのまま流用できるものには、最新のWind○ws10とセキュリティソフト、情報漏洩対策ソフトをインストールした状態で置いてある。
今回はその、置いてあるPCの一台を、TV会議システム用に流用することにした。
専用のTV会議ソフトウェアをインストールして、共用PCにインストールするために調整したOfficeクライアントもインストール。
それらのインストールを行いつつ、TV会議ソフトウェアの設定を行っているところに、関口さんがやってきた。
「秋島さん、お疲れ様。コーヒー買って来たけど、飲む?」
「あっ、ありがとうございますー。助かります」
関口さんが差し出したコーヒーの紙コップを、笑顔で受け取る私だ。正直、脳味噌のエネルギーを使いまくった後だからすごく嬉しい。
コーヒーは近所のコンビニで売られているドリップコーヒーだ。Sサイズで1杯税込み100円のやつ。スリーブと紙コップが特徴的だから、すぐに分かる。
最近のコンビニのドリップコーヒーは、美味しくなってきているからすごく有り難い。100円やそこらでなかなか美味なコーヒーが飲めるというのだから、日本のコンビニってすごいと思う。
日本のコンビニはドリップコーヒー以外にもおにぎりやらパンやらお弁当やら、安くて美味しいものがいっぱいあるので、外国人観光客は目をキラキラさせて入っていくそうだが。気持ちはとても分かる。
「砂糖とミルクは要る?」
「大丈夫です、私ブラック派なんで」
関口さんが差し出してきたミルクポーションとスティックシュガーは、やんわりと断る。ブラック派なのもそうだが、今は頭を冴え渡らせたいのだ。
真っ黒くて湯気を立てるコーヒーを、何でもない顔をして飲む私を見て、関口さんの唇がちょっとだけ持ち上がる。
「秋島さんすごいよね、会社で買っているインスタントコーヒーも、ブラックでガンガン飲んでいるでしょ」
「飲んでますねー、毎日二杯は、ブラックで」
「管理の
「あははは、ちょっとは抑えた方がいいですかねー」
へらりと笑う私だったが、勿論コーヒーの量を抑えるつもりは無かったりする。浜宮さんには悪いが、また買い足してもらうとしよう。
そうこうするうちに完了するOfficeのインストール。コーヒー片手にマウスを動かす私を見て。
「秋島さん、いつもありがとうね」
関口さんは再び、私にお礼を述べるのであった。
そして私はそれに、にこりと笑みを返して口を開く。
「いいえ、どういたしまして」
そうして私は、紙コップの中のコーヒーをすする。
程よく苦くて飲みやすく、香り立つコンビニのコーヒーで頭をスッキリさせながら、私は夜が更ける中、パソコンに向かうのであった。
作業完了まで、もう少しだ。
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