第161話
俺と白月の間を黄昏時の弱い陽の光と微風が遮る。まるで、目に見えない壁がそこに立っていて、俺たちの間に確かな境界線を引いているようだ。
俺はそんな見えない壁を無理やり壊すかのように、白月に向かって言葉を投げかける。
「理由を話してくれなきゃ、納得できるものも出来ねぇだろうが! 言いたいことがあんなら、しっかり言葉で伝えろ! お前のその口は一体何のために付いてんだ?なぁ!!」
「私が理由を話したら、あなたは納得するっていうの?」
「しねぇよ。するわけがねぇだろ。それでもとにかく話せ」
自分でも無茶苦茶なことを言っていると自覚はしている。けれど、例えどんな理由があったところで俺の考えが変わることはない。
それはこいつも同じだろう。
それなら、どちらが先に折れるかの我慢比べをするしかない。
正直、これから先は長期戦になると予想していた。こいつが頑なに帰ろうとしない理由を自分の口から話し出すまで、あと何時間だって粘れる自信もあった。
しかし、そんな俺の考えとは裏腹に、白月は呆れたというように深く溜息を吐くと、視線を街の方へ向けながら静かに語り出した。
「……私はもうこれ以上、あなたたちに迷惑をかけたくないのよ」
「は?」
思わず困惑の声が
しかし、白月はそんな俺には目を向けず、ただひたすらに日が暮れていく街を眺める。
「あなたたちは、私がこれまで出会ってきた人たちの中の誰よりも優しくて、その優しさは私の冷え切った心をいつも温めてくれた。けれどそれは時として、毒にもなり得る。……私はね、あなたたちのその優しさに触れるたびに、人として段々弱くなっていってしまっている気がするの。知らず識らずのうちに、あなたたちのその優しさに依存してしまっているようで、とても怖い。
そして、あなたたちは私に対して優しいからこそ、私に気を使わせまいと本音を隠してしまう。
……やっぱり、柏城くんの言っていたことは全部正しいかった。私はあなたたちの傍にいるだけで、あなたたちを不幸にしてしまう」
声に出した瞬間、空気に溶けて消えてしまいそうな弱々しい白月の言葉に、静かに耳を傾けながら思考を巡らせる。
……そういうことだったのか。
白月の話を聞いて、柏城が呟いたあの言葉の意味をようやく理解した。
そして、どうして突然白月が俺たちの前から姿を消したのかについてもよく分かった。
俺はそうして集まったピースを1つずつ丁寧に繋ぎ合わせていく途中で、白月はさらに言葉を続ける。
「皇くん、前に言ったわよね? 私の才能は、呪いのようなものだって。……本当にその通りよ。私は誰もが妬み、羨むような才能を得た代わりに、人として大切な何かを失ってしまうような気がするの。そして、その『何か』とは恐らく、私が唯一手放したくないと思っているもの。自分の全てを投げ打ってでも守りたいと思っている、 “大切な誰かと共に過ごす時間” そのもの」
白月の声に、言葉に、感情が宿る。
「けれど、今更この才能を神様に返すわけにも、他の誰かに分け与えることもできない。私は一生『天才』として、呪いを背負って生きていかなければならない。……そう運命が定まっているのなら、何者かに奪われてしまう前に、他の誰でもない私の意思でそれを手放そうと、そう決めたのよ」
心の奥底から絞り出すような、苦しくて切なくて熱い想いが、真っ直ぐと俺に向かってやってくる。
そして、白月は長い髪で顔を隠しながら、今にも泣き出しそうな震える声で小さく呟く。
「……私は葉原さんが好き。皇くんが好き。だから、もうあなたたちと一緒にはいられない……」
今まで胸につっかえっていた想いを、言葉を、全て吐き出したからだろう。
それっきり白月が言葉を続けることはなく、オルゴールが回転を止めたかのように、再び口を閉ざした。
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