第34話

再び、俺たちの間に長い沈黙が流れる。



その沈黙の中で、俺は考えた。


今まで、誰かに聞いてもらうことすら許されなかった天才の弱音。白月蒼子の本音。


それら全てを吐き出した白月に、なんと言葉を返せばいいかを。



そうして、1分にも2分にも感じられる長い長い沈黙の中で、白月に対して言うべき言葉を模索していたが、俺は途中で考えることをやめた。


どんなに真面目に考えたところで、所詮『凡人』の俺には『天才』の考えることなんて分かるはずもないのだから。


それに、いくらそれらしい言葉を並べたとしても、白月にとっては中身のない空虚な言葉にしかならないだろう。


だから俺は、俺が思ったことをそのまま口にするだけだ。


深呼吸して息を整え、今度は俺が沈黙を破る。



「知るかよ、そんな事」


「……は?」


未だに苛立ちが抜け切らない、棘のある声で白月が返す。



「凡人の俺に、お前らみたいな天才の気持ちが分かるわけねぇだろって言ってんだ」


「……何を言ってるの?」


俺は続ける。



「俺が聞いてるのは『お前自身がどうありたいか』それだけなんだよ。それなのに、周りの目がどうこう、期待がどうこうって……何でもかんでも人のせいにしてんじゃねぇよ」


「……っ! 別に人のせいになんか——!」


「いいか、よく聞け。お前は確かに天才だ。それも、いくつもの分野で才能を開花させちまった天才の中の天才だ。そりゃあ、周りから注目も期待もされるだろうさ」


「…………」


言いかけた言葉を途中で遮られた白月は、心底嫌そうな顔をしながらも、黙って俺の言葉に耳を傾ける。



「でもな、天才だから失敗しちゃいけないなんてルールはどこにも存在しねぇんだよ。歴史を遡ってみろよ。アインシュタインもモーツァルトもレオナルド・ダ・ヴィンチも、偉業だけが広く広まってはいるが、その人生は失敗の連続だった」


「だから何よ……」


弱々しく震える白月の声を打ち消すように、俺は白月に最も伝えたいと思っている言葉を口にする。


「つまり、俺が言いたいのは『天才=完璧』ってわけじゃねぇってことだ。どんなに優れた才能を持っているやつでも、いつか必ず失敗はする。『一度も失敗したことない』なんて奴がいるなら、そいつは恐らく神か何かなんだろ」


「…………」


「それに、お前が天才を辞めるなんてことは絶対に出来ない。それは一種の呪いみたいなもんなんだからな。死ぬまで一生、お前はその『才能』と付き合っていかなくちゃいけねぇんだ。……だけど、それを理由にして周りからの期待やプレッシャーを全部受け止めようなんて考えるのは馬鹿のすることだぜ」


「じゃあ、どうしろって言うのよ……。私は今まで周りからの期待もプレッシャーも全て受け止めてきた! 私はこれしか方法を知らないのにっ……!」


綺麗に整えられた白月の相貌が、とめどなくあふれる涙でぐしゃぐしゃに崩れていく。


そんな白月を瞳に映しながら、最後に1つだけ、『凡人』の俺から『天才』の白月にアドバイスらしいアドバイスを送る。



「だからさ、白月。……まずは自分の言葉で、両親にその想いをぶつけてみることから始めてみろよ」



それは、白月の抱える不安やプレッシャーがたちまち消えてなくなるような魔法の言葉でも、白月がどこにでもいる普通の女子高生になれるようなまじないの言葉でもない。


きっとそれは、俺じゃなくても言えたはずの言葉。


それくらいに当たり前で、至って普通のアドバイス。



白月は、そんな俺からのありきたりなアドバイスを受けて少し間を置いたのちに、普段は絶対に見せることはない、どこか間の抜けたような顔をしてクスクスと笑いだした。



「……呆れた。結局、そんな当たり前のことしか言えないのね、皇くんは」


「そんな当たり前ことを、今までしようとすら思わなかったお前は一体なんなんだよ」


「神様かもしれないわね」


「お前みたいな神がいてたまるか」


そんな、いつものくだらない会話を繰り広げる中で、いつの間にか白月の瞳から止めどなく溢れ出ていた涙はすっかりおさまっていた。


それからふと窓の外に目をやると、まるで白月の感情に同調するかのように、今まで降り頻っていた雨はピタリと止み、代わりに雲の切れ間から夕陽に照らされた茜色の空が顔を出していた。


カーテンの開いた窓から優しい光がゆっくりと入ってきて、薄暗かった室内をほんのりと紅く染めていく。



「雨、止んだな」


「止んだわね」


微かに涙の痕が残る白月の顔に、優しい光が触れる。


熱がこもっていないようなその冷ややかな瞳にも、一瞬だけ、包み込むような暖かい熱が宿ったように見えた。



俺は、そんな白月の横顔から視線を外してポツリと呟く。



「……帰るか」


「そうね……」


そう小さく答える白月の声は、長い間開くことのなかった鳥籠から解き放たれた小鳥が、初めて青い空へ向かって羽ばたいていくような、そんな軽やかで美しい声だった。


***


時間にして、1時間も経ってはいないだろう。


けれど俺たちの間には、それぞれが決して口に出さないようにしてきた6年分の想い詰め込まれていた。


だからといってお互いをより理解するようになったわけでも、心理的距離がグッと縮まったわけでもないが、気分だけは清々しいものに変わっていた。



まるで、長い間降り続いていた灰色の雨がようやく止み、世界が再び鮮やかな色を取り戻したかのような、そんな晴れ晴れとした、心地のいい気分だった。

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