第29話

「家にいる間はね、お父さんがプロの先生を雇って一日中稽古をさせられるの。高校から大学レベルの勉強、その他にも芸術分野やスポーツ。朝から晩まで休むことなく、みっちりとね」


そう話し始めた白月の口からは、疲労を感じさせるため息が洩れる。



「だから私にとって学校は楽園なのよ。唯一、両親の目から離れられる場所だからね」


「楽園は言い過ぎだろ……」


まぁ、確かに学校には楽しいことは沢山ある。友人同士でくだらない話をして盛り上がったり、部活動で目一杯汗を流したり、学校帰りには暇つぶしにどこかへ遊びに出掛けたり。


けれど、それと同じくらいに辛いことも沢山ある。


テストだったり、テストだったり、テストだったり……



一般的な高校生にとってそれは、高校生活唯一の苦行と言っても過言ではない。

しかしそんなことですら、白月にとっては楽しい楽しいイベントに他ならないのだろう。



「だから長期休暇なんてほんと最悪よ。稽古以外の用事で家から出ることすら許されないんだから」


「想像するだけで吐き気がするな」


「確かに、凡人の皇くんには到底耐えられることではないでしょうね」


そう言って白月がクスクスと鼻で笑ってから、


「でもまぁ、私だってたまには息抜きくらいさせて貰いたくもなるけれどね」


と呟いたところで、俺の中に2つの疑問が生じた。


まずは、そのうちの1つについて尋ねる。



「なぁ……お前、昨日どうやって外に出たんだ? もしかして、親に何も言わずに出てきたのか?」


そう尋ねると白月は、悪戯な笑みを浮かべて俺の質問に答えた。




「許可なんて貰えるわけがないでしょ? 家族がまだ寝ている間にこっそり家を抜け出してきたのよ」


「寝ている間って、お前一体何時に家を出てきたんだよ」


「5時」


「は?」


「だから5時。……いえ、駅に着いたのが5時だったかしらね」


昨日、白月が指定した待ち合わせの時刻は確か8時だったはず。俺もその時刻に間に合うように家を出た。

しかし、その3時間前には既に待ち合わせ場所に到着してたって言ってるのか、こいつは……。


この時期の5時なんて、まだ陽も昇っていない暗い時間帯だ。始発だってまだ走ってない。白月はそんな時間帯から、俺が来るのをずっと待っていたと言うのか。


そこまで考えてから俺は昨日、白月が駅で俺に言った言葉を思い出した。



『待ったわ。3時間も待った』



あの時白月は嘘でも冗談でもなく、ただ本当のことを口にしただけだったのだ。


たかが街へ出かけるというだけのことで、3時間も前から待ち合わせ場所に1人で待機するなんて、どう考えても異常だ。普通じゃない。

社会人ですら5分前行動、10分前行動がやっとだと言うのに。


誰が残したかは知らないが『馬鹿と天才は紙一重』とはよく言ったものだと、俺は呆れを通り越して感心した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る