第1話

自分が「凡人である」と明確に理解したのは、俺が11歳の頃だ。


それまで俺は『天才』と呼ばれる者に出会ったことがなかった。



【天才】:天性の才能、生まれつき備わった優れた才能を持つ者。人の努力では至らないレベルの才能を秘めた者の事。



辞書なんかで意味は知っていたけれど、実際に出会ったことはなかったので、仕方なく図書室に置いてある『世界の偉人シリーズ』を読んでは、天才がどういう者なのかを理解しようと試みたりした。



優秀な奴らはクラスや学年に少なからず存在したが、それでも良くて秀才止まり。


だから、そんな秀才たちを見ても「きっと、ものすごい努力をしたんだろうな」くらいにしか思わなかった。


努力を続けた先の終着点が『秀才』であるという事を俺は知っていたから。




そんな俺の前にあいつが現れた時、俺は初めて『天才』を実感した。


それと同時に、自分は決して天才にはなれない。一生凡人のままであるということを理解してしまった。


新任して間もない担任の女性教師が「新しい仲間が加わる」と言って彼女を紹介するまでは——



「初めまして。白月蒼子しらつきあおこです。よろしくお願いします」



まるで、その中に夜を封じ込めたかのように黒く静かな長い髪。


ほのおさえ凍てつくような冷ややかな双眸そうぼう


髪とは対照的に、人形かと思うほどに真っ白な素肌。


そして、一言一言がしっかりとした形を模して伝わってくるような強い声。



一目見ただけで、こいつは他の奴らとは何かが違う……そう感じた。


そして、その予感は見事に的中した。



—— 彼女は『天才』だった。



沢山の努力を積み重ねてきた秀才たちをあっという間に追い抜き、あらゆる分野のあらゆる賞を総ナメにし、いくつもの大会で記録を塗り替えていった。


そんな天才に出会った俺が最初に思ったことは、感嘆でも驚愕でもなければ、羨望でもなかった。



天才を目の当たりにした俺にあったのは『嫌悪』だった。




血の滲むような努力を積み重ねてきた秀才たちが、嗚咽を堪えるように唇を噛み締めて悔し涙を流し、自分と天才との圧倒的な差に絶望する様子を見て、俺は「天才とは『悪』である」と認識するようになった。



天才は『才能』という、努力では決して手に入れることができない力で勝利を手にする。


天才と凡人が同じ努力をしたところで、最終的には才能の差で勝敗が決まってしまうという理不尽な世界に対し、不快感を覚えた。



しかし正直なところ、俺にとってそれは対した問題ではなかった。



俺は優等生でもなければ、秀才でもない。


努力だって、誰かに自慢できるほどしたことがなかったし、誰かに負けたからといって涙を流したこともなかった。



そんな凡人の中の凡人である俺と、天才である白月 蒼子が関わることなど一生無いと、そう思っていたから。



けれどそんな俺の考えとは裏腹に、どういうわけか彼女は俺に付き纏うようになった。



「ねぇ。一緒に帰りましょう」


「……は?」


「聞こえなかった?一緒に帰ろうって言ったんだけど」


「いや、それは聞こえてる。……なんで俺なの?」


「なんで?あなた馬鹿なの?私があなたと一緒に下校したいからに決まってるじゃない」


「それ、理由になってないんだが」


「いいから早くしなさい。天才である私の貴重な時間を、凡人であるあなたと共有してあげるって言ってるのよ。感謝しなさい」



自分のことを恥ずかしげもなく「天才」と言い、俺のことを微塵も悪く思っていない様子で「凡人」と罵るこいつに腹が立ったのを今でも覚えている。



***



あれから6年経った現在、高校2年生の春を迎えたばかりの俺、皇晴人すめらぎはるとは、未だにその天才少女に訳もわからずに付き纏われていた。



「ねぇ——」


「うるせぇ。話しかけんじゃねぇ。天才が感染うつる」




あの頃から一つだけ変わったことがある。


それは、俺が『凡人』から『秀才』にグレードアップしたこと。


努力とは無縁だった俺が、死にものぐるいで努力して秀才にまで登り詰めた理由は、「凡人」と罵ってくるこいつに一度でいいから勝利したいと思ったから。


心の底から嫌悪する『天才』に一泡吹かせるために、俺は努力をすることにした。



そうして長い時間をかけて、努力の行き着く先の『秀才』にたどり着いたものの、天才であるこいつにしてみれば俺はいつまでたっても凡人のままだった。



「凡人の分際でよくそんな口の利き方が出来るわね。感心するわ」


こいつはあれから6年一切変わることなく、口を開けば「凡人 凡人」と俺のことを罵ってくる。


そもそもどうして6年間もこの俺に付きまとうのか、全く訳がわからない。


中学は全員が同じ地区の学校に通うことが決まっていたため疑問を覚えることはなかったが、まさか高校まで同じところに進むとは考えもしなかった。


だから去年、この学校の入学式でこいつを見かけた時は驚きを通り越して、まるでどこまでもついてくる影法師みたいなやつだなと恐怖した。



今までに何度か俺に付き纏う理由を尋ねたことがあるが、全て必要のない罵倒をこれでもかと浴びせられながら、上手い具合にはぐらかされた。



今でも、どうしてこいつがしつこく俺に纏わりつくのかは謎のまま。

だから俺もいつものようにこいつに尋ねる。


「大体お前なんなんだよ。小学生の頃からずっと付き纏いやがって。もしかしてあれか?お前俺のことが好きなのか?」


「寝言は寝て言うものよ。そんなことも知らないなんて、一から義務教育をやり直した方がいいんじゃない?それとも、私があなたのことを好きだというのは、あなたの願望なのかしら?それなら申し訳ないことをしてしまったわね。あなたが心の内に隠している、私に対しての熱い想いに気づいてあげられなくて」


白月は眉ひとつ動かさず、息を吐くかのように淡々と罵倒する。



天才は嫌いだが、それ以前にこいつは人として嫌いだ。


法律さえなければ、その整った綺麗な顔面に拳をめり込ませるくらいのことはしてやろうといつも思う。


「そんなクソみたいな性格してるから友達の1人も出来ねぇんだろ。もしかして自覚してないのか?」


「天才である私と釣り合う友達なんていないわよ。人間と猿が意思疎通出来ないように、天才と凡人では価値観も、思考も何もかもが違うの。だから私に友達が出来ないのは性格のせいじゃなく、才能の差のせいよ。わかったかしら?凡人くん」



こいつ、俺が殴らなくてもいつか他の誰かにボコボコにされそうだな。



「そうですね。凡人の僕には天才様のお考えなどこれっぽっちもわかりません。それじゃあ凡人の僕は凡人らしくこれからお友達と放課後の憩いの時間を楽しんできますので、それではまた」



このままこいつに付き合ってるとそれこそ馬鹿を見る。


俺はそう言って適当に罵倒を受け流すと、早々に茜色の夕陽が差し込む放課後の教室を出て、俺と同じ『凡人』である友人が待つ校門前に向かって足を急がせた。

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