ここにいる

藤光

第1話 ここにいる

 ぼくたちは記録され続けている。


 この世界で起こるあらゆることは映像に記録されている。畳表は剥げ、壁のあちこちに染みの浮いたこの二一〇号室からしてそうだ。ここで起こることは二十四時間、常に監視カメラによって撮影されている。


 確認することは容易だ。


 ◯◯県警生活安全部人身安全対策課は、都心から外れたこの下町の一角に別室を設けている。間口の狭い家の並ぶ小さな路地に面した築五十年の文化住宅、その名も『昭和荘』がそれだ。全室2Kの昭和荘十室すべてが――人身安全対策課第三係に割り当てられている。人身安全対策課における、ここがぼくの職場だ。




 常にブラインドの下された部屋。照明の取り払われた六畳間を埋め尽くす、数台のPCと十数台の液晶モニター、AVケーブル。モニターの明かりに照らされるわずかな領域がぼくの作業スペースとなる。


 ほとんどそんなことはないが、ここにやってきた人は皆、この部屋を見て驚く。「よくこんなところで仕事ができるな」と。そうだろうか。ぼくの作業には集中が必要だ。集中を途切れさせないためには、部屋は暗い方がいい、狭い方がいい、気をそらせる何ものもない方がいい。モニターの映像に敏感になれる。


 いくつもあるモニターは全て別々の画像を映し出している。空港、病院、スーパーマーケット、高速道路、銀行――の監視カメラの映像だ。カメラはそこにきた人たちを狙っている。モニターはそこをゆく人たちを映し出している。始まりがあるわけでなく、終わりがあるわけでもない。そのうち、左下C-1モニターの中で若い男が身じろぎした。


 ぼくだ。


 C-1には常にこの部屋の映像を表示させている。ぼくたちが記録されている存在だということを忘れないためだ。


 ぶるぶる――ポケットの中で携帯電話が震えるので見ると、稲爪からの連絡だった。

『いつもの場所 20時 データ726』

 それだけで十分だった。ぼくは行かなくてはならない。


 いくつか挿さっているもののうち、「726」と書かれたUSBメモリをPCから抜くと立ち上がった。C-1の中のぼくは上着を羽織りモニターの外へ出て行く。二一〇号室のドアが外から閉じられた。


 外は雨で、世界は無数の水滴が、屋根や地面を打つ音に満ちていた。


 通路の手すり越しに、遠くに街灯や古びたネオンサインの明かりが滲んで見える。こんな日はカメラの映像も滲んで歪むだろう。安物のビニール傘を手に路地を地下鉄の駅へ向かう。いつもの場所は二駅向こうなだけだ。


 地下鉄の入り口から階段を小走りに駆け下りる。確かここは監視カメラがあったはずだ。E7855SR――だと思う。駅の改札、もちろんここにもカメラがあって乗降客を狙っている。ここはMT R0007だ。ホームに滑り込んできた列車に乗る。するとMT R1007から、303QP6Eに切り替わる。日曜日の夜にしては、車内は混雑している。


 ものの数分もすると目的の駅に着いた。列車を降り、改札を抜けて、地上へ出ると、そこはもう夜の公園だった。雨の公園に人影はまばらだ。傘を差していつもの場所へ向かう。木に囲まれた小さな広場。向かい合わせになるよう、四つベンチが並べられている。広場にはだれもいなかった。


「505GAB1」


 ビニール傘の水滴に滲んだ右手の街灯がそうだ。


「505GA――」

「覚えているのか? シリアルコードを」


 背後から声をかけられた。雨の気配に紛れて気づかなかった。そばに立たれると、傘を打つ雨音が聞き取れる。


「――B7。そうです」

「お前は、本当に変わったやつだな」


 ぼくのと同じような安物のビニール傘を差した中年男が、ぼくをここに呼び出した稲爪だった。よれよれの背広に手入れのされていない靴を履いている。それが今夜は雨に濡れて一層貧乏くさい。


 いまこの瞬間もシリアルコード505GAB1と505GAB7、ふたつの監視カメラが公園に立つぼくと稲爪を記録しているはずだ。


 ぼくは黙ったままポケットからUSBメモリを差し出す。それを受け取った稲爪は、背広の内ポケットから取り出した携帯端末に差し込んだ。すべての通信機能が外された映像確認用端末だ。


 すぐさま、いくつもの編集映像が再生される。色付きのものもあれば、モノクロのものもある。動画もあれば静止画もある。上から、下から、真正面から。全身、上半身、顔だけ――とその映像はさまざまあるが、ある一人の人物の映像を集めたものだ。


「確かに。行方不明者――木崎夏菜に間違いない。早いな、いい仕事だ」


 稲爪の端末の中で、ショートカットの女がカメラの方を振り返って笑った。十七、八歳か、片八重歯の可愛い女の子だ。


 動画は長いものでも五秒程度。駅の改札を通る木崎夏菜、コンビニエンスストアで支払いを済ませる木崎夏菜、ぼんやりとデパートのエスカレーターに揺られる木崎夏菜、マンションのエントランスを入ってくる木崎夏菜、 郵便局のATMを覗き込む木崎夏菜……。


 次々と端末のなかで木崎夏菜の記録が再生されてゆく。


「このマンションか」


 画面では、男と腕を組んだ木崎夏菜が早足にマンションのエントランスに入ってきた。日付は昨日、十月二十五日だ。


「E3378A A」


 映像のマンションに設置されている監視カメラのシリアルコードだ。聞かれれば、コンビニのだって、デパートのだって、郵便局のだって答えられる。


「それだけ分かれば十分だ。ご苦労だったな」


 パッとしない外見からは想像もつかないが、稲爪は人身安全対策課第三係の係長――ぼくの上司ということになる。臨時雇いのぼくとは違い、れっきとした警察官、人身安全対策課の刑事だ。


 県警に新設された人身安全対策課は、行方不明者の捜査にあたる部署である。ひとくちに行方不明者といっても、実際はふたつに区分するのが普通だ。ひとつは自らの意思で行方をくらます人。もうひとつは何者かによって連れ去られた人だ。前者は家出人と呼ばれ、その行為は犯罪ではないが、後者は誘拐や逮捕監禁といった犯罪の被害者となる。


「家出人?」

「うん……。しばらく連絡が取れなくてな。悪い仲間と付き合っていたようだし、監禁されてるんじゃないかと家族が騒ぎ出したのさ」


 映像を見たところピンピンしてるようだし、大方、新しくできた彼氏のところにでも転がり込んでるんだろうというのが稲爪の見立てだ。


「一課も動かそうかと言ってたんだが……。お陰で無駄な借りを抱えなくて済んだ、ありがとう」


 事案が誘拐や逮捕監禁事件であれば、刑事部の捜査第一課が出張ってくるものらしい。警察内部の縄張りがどうなっているか知らないが、我が人身安全対策課と捜査第一課は仲が良くないようだ。

 用件は済んだ。


「ああ、そうだ」


 別れ際、上着のポケットを探ったかと思うと、思い出したように稲爪が一本のUSBメモリをぼくに差し出した。街灯にぴかりと光るそれは「778」と書かれていた。


「次の仕事だ」




 505GAB1――雨に滲む夜の公園。さっきまで並んで開いていた二つのビニール傘がゆっくりと離れてゆく。ひとりの男は街へ。505GAB7――もうひとりの男は地下鉄へ。


 ぼくたちは記録されている。

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