ご落胤王子は異世界を楽しむと決めた!
るう/ファンタジア文庫
第1話
プロローグ
春の爽やかな朝、家族と朝食を取っていた。
給仕の配膳したスープを、いつものように口にして「あ」と小さく呟く。
毒、だ。
またか、というどこか諦めに似た昏い感情と共に椅子から転がり落ちていた。上座に座る父親が、慌てて駆け寄り水を持ってくるように指示している。
二才年上の兄と、二つ下の妹が取り巻くようにオロオロと泣きそうな顔をしていた。母は、気を失いかねない顔色で僕を心配そうに見ている。
うららかな食卓は、こうして上を下への大騒ぎになってしまった。
給仕をした実行犯の男は、部屋の外へと出ようとしていたところを捕まったらしい。ほとんど一瞬で意識を失ってしまったので、これら騒ぎは後で聞いたことだった。
僕は、王都から離れた田舎の領地を持つ伯爵家の三男、リュシアン・オービニュ。先日、八才の誕生パーティを、小規模ながら屋敷で開いたばかりである。
少し病気がちのせいか身体も小さく、年よりもかなり幼く見えるのが悩みの種だった。薄い色合いの金髪は直毛で、父譲りの碧色の瞳も少し灰色かかった色だ。
僕には、二人の兄と、一人の妹がいた。
今年十六才になる上の兄は、隣国の有名な学園都市に留学していて今は屋敷にいない。二つ違いの兄は、どちらかというと勉強は苦手だが、剣術に長けており将来は騎士になりたいと言っていた。妹はまだ六才で、金色に近い栗色の柔らかい巻き毛に青い瞳の愛らしい顔立ちで、三人の兄によく懐いていた。
両親はとても優しく、かつ領主としても公平で清廉な人となりだった。
家族には恵まれていると思う。
両親のことは尊敬しているし、兄妹は大好きだ。その点で不満など一つもない。
けれど、なぜか小さいころから何度かこうして命を狙われているのだ。
伯爵家のそれも三男を、何故?
お家騒動など考えられなかった。家族の誰もが伯爵家を継ぐのは長男のファビオだと思っているし、それを不満に思っている者は家臣たちをはじめいないと思う。
今回のこれで、一体何度目だろうか?
他の兄妹が外へ出るときも、僕が一緒に行くと大げさなまでに護衛がつく。それが嫌で、物心つく頃にはあまり外出もしなくなった。
そういう背景もあって、だんだん引っ込み思案な性格になっていった。両親や兄妹はそんな僕を心配してあれこれと気を遣うが、かえって意固地になってしまい、今となっては当たり障りなく、心配をかけないよう屋敷に閉じこもり気味になってしまったのだ。
そして、今日。
何度も命を狙われてきたが、今回のは流石に危なかったらしい。
生死の境を数日間彷徨った。
脱水症状が続き、高熱と朦朧とする意識の下――。
僕は、変な夢を見ていた。
見たこともないような光が瞬く明るい夜。
石造りのとんでもない高さの建物が所狭しと立ち並ぶさまは、まるで押しつぶされてしまうかのような圧迫感だ。
リュシアンとしての記憶がこれを知らないと判断し、もう一つの記憶がこれを懐かしいと感じていた。
――俺が生きてきた世界。
それは、前世の記憶のかけら。
ひとつ、またひとつ、と微塵に散っていたピースが、寄り集まって僕の記憶に上乗せされていく。どこか他人ごとのようでもあり、それでも、それが自分の記憶なのだと不思議と確信が持てた。
――ああ、懐かしい風景だ。
今度はストンと感想が落ちてきた。
あの場所を俺は知っている。かつて宮田斎として平凡に過ぎる人生を送って、そして終わった場所。
下手に仕事ができたがゆえに会社にいいように使われた。
恋愛においてもいい人で終わってしまうことろがあった。
飄々として人を引き寄せる魅力があり、周りにはいつもそれなりに人がいたものの、特に親しい相手を作ることはなかった。家族に恵まれなかった幼少期の境遇が、根本的なところで人との距離を置いてしまっていたのかもしれない。
天涯孤独で、四十半ばになっても恋人の一人おらず、その記憶は、ある日突然途切れている。おそらく急な病に倒れ、一人暮らしだったために、誰にも助けられず死んでしまったのだろう。
この記憶は、おそらく前世のもの。
とくに変わった人生を送るでもなく、無為に失った命の記憶。
だからこそ、と僕は思った。
今度は、訳も分からず死ぬのはごめんだと。
何としても生き延び、精いっぱい生きることを楽しんでやろう、と。
殺されてなどやらない。
それは誰に聞かせるでもない、見えない敵への宣戦布告。
幾度も暗殺の脅威に晒され、どこか諦めにも似た心境に陥っていた気持ちが、ここへきて逆に開き直ってしまった。達観したというか、どうして狙われているかなんて知らないが、それこそ知ったことか、と思った。
消極的で気弱なリュシアンである前に、俺は、生前飄々として人生を立ち回ったモーレツ(笑)会社員のイツキでもあるのだ。
そうして三日三晩の昏睡の末、僕はようやく目覚めたのである。
第一章 試行錯誤
「やはり……は、王都の……関係…らしい」
「まあ、では……もしかして、……の」
途切れがちな声が、部屋の隅から聞こえてくる。
「君の……からは、無理……か?」
「……様が、亡……の派……で……」
よく聞こえない。
両親の声だということは辛うじてわかった。
高い熱のせいで散漫になる意識の中、なんとなく彼らの話を聞いていた。すると、さわさわと意味をなさない話し声が、徐々に明瞭になっていく。
二人がベッドの方へと歩いてきたのだろう。
「どうして放っておいてくれないのかしら」
母の声が、掠れて涙ぐむ。
「泣くでない。辛いのはこの子なのだ。なんとか私たちで守ってやらねばな」
「もちろんですわ。たとえ王家にだってリュクは渡しません」
王……?
一体、何の話をしているのだろうか。
はっきりいって王都にも行ったことはないし、王族のことなど教科書の中のことだ。伯爵家の三男坊に、なんの用があるというのだ?
ここで腑に落ちた。
ああ、そうか。
熱に浮された頭が、すっと冷めていくのを感じた。
渡す、渡さないではない。排除したい、そういう話なのだ。
なんとなくわかってしまった。詳細など知らない、大人の事情という奴だろう。いずれは詳しく話してくれるかもしれないが、今はこれで十分だ。
おそらく僕……いや、僕の血を、邪魔だと思う奴がいるのだ。
驚きはあったものの、そのこと自体に大して動じることはなかった。なぜならそれ以上に衝撃的な事実がそこにはあったからだ。
彼らが……この優しい両親が、本当の親ではないかもしれないという事実だ。どんな秘密を明かされようと、おそらくそれ以上の驚きも、そして悲しみもなかっただろう。
俺は、また家族を失うのだろうか?
母の細い指が、僕の髪を優しく撫でている。
父は、おそらくそんな母の肩を抱いているだろう。
僕は、貴方たちの子供でいたい。
熱のせいではなく、殺される恐怖でもなく、その瞼からは涙がこぼれ落ちた。
ゆっくりと目を開けると、覗き込むいくつもの顔があった。
「ああ、よかった。リュク、わかりますか?」
青い瞳が、優しそうに微笑んだ。オービニュ伯爵の妻、アナスタジア。
決して華美ではないが、いつも笑顔を湛えた素朴で愛らしい女性だった。美しい金髪を結い上げているが、それでもかなり若く見える。
答えようと「母様」と呼ぼうとして、咽喉がつっかえて思わずせき込んだ。
妹のマノンが、慌ててベットサイドの水差しを母親に渡す。
「あ、俺は父上呼んでくる」
やり取りを見ていた兄のロドルクは、はっとなって慌てて部屋を出て行った。
水差しの水で喉を潤すと、僕はようやく落ち着いて息をついた。身体を起こそうとしたが、母はそれを許さず、肩を軽く押し返して首を振った。
「まだ起きてはいけませんよ。気分は悪くありませんか? 」
「にいさま、へいき? もうだいじょうぶ? 」
仕方がなくベッドに横になったまま母に頷いた僕は、掛け布団に縋りつく妹の頭を撫でてやって「大丈夫だよ」と笑って答えていた。
ふと母が少し驚いたように瞬きして口を開きかけたが、すぐに父が部屋に入ってきたので意識はそちらへ移った。
「リュクは大丈夫か? アニア、どうなのだ」
「きちんと診て頂かなくてはいけませんが、今のところは問題なさそうですわ」
「ご心配かけて申し訳ありませんでした、僕はもう平気です」
先ほどの母同様、僕のいつもとは違う様子に目を見張りはしたものの、父はすぐに一つ頷いて優しく笑いながら続けた。
「医者が来るまで横になってなさい、しっかり診てもらうのだぞ」
「はい、ありがとうございます」
こういう出来事の後は、いつもの僕なら、ひどく落ち込んでいるところだが、今の気分はむしろ爽快なので、その通りの表情で父親に答えた。
いささか不思議そうな顔をしている両親に苦笑しつつも、この期に及んで、わざわざ態度を改める気などない。
元のリュシアンは、もちろん自分ではあるけれど、たぶん今の僕とまったく同じ人物ではない。ただ、昨日の夜のことは、まだ父母には言わないでおこうと思った。
聞いてしまったこと。
僕の出生が、王家に関係していること。
確信が持てなかったのも確かだが、本当はまだ信じたくなかったのかもしれない。この人たちの息子ではないと、はっきり断言されてしまうことが……。
ともかく、ただ腐ってばかりいた今までとは違う。
自分を守ってくれている両親の為にも、そして巻き込まれてしまうかもしれない兄妹の為にも。これは、もはや自分のことだけではないのだ。
僕にとって、果てしなくどうでもいいことに、正直なところ巻き込まないでもらいたいが、たぶんそっとはしておいてくれないのだろう。
それなら力をつけるしかない。
――対抗する力を。
もちろん戦う事だけがすべての選択肢ではない。身を引くことで解決できるなら、国を出てもいいとさえ思っている。
むしろ家族を守るためには、それが一番いいのかもしれない。
逃げるみたいで恰好が良いとはいえないが、どうしても放っておいてくれないのならもう仕方がないではないか。そのためにも力をつけて、一人で生きていけるようにしなくてはいけないのだ。
それにこちらの本意ではないが、もし戦うとなった場合でも、無為に泣き寝入りだけはしたくはない。誰かの損得の為に、なぜ自分が不利益を被らねばならないのか。
今までのことは水に流してもいいが、これからも続けるというのなら、こちらだって黙ってやられっぱなしになる気などない。
まったく、これから忙しくなりそうだよ!
自分の生死がかかっているというのに、だんだん気分が高揚してくるのがわかった。
ブラック企業の元サラリーマンなめるなよ。年中無休、昼も夜もぶっ通しで働ける自信があるぜ。
まあ……たぶん、それで過労死したんだけども。
前世は過労で死んだ挙句、異世界に転生してみれば、今度は常に命を狙われるといういわく付き。まさに波乱万丈すぎる人生だが、ここまで来れば、もう楽しむしかないだろうとさえ思った。
要は考えようかもしれない。
これはどうして、やりがいのある人生だ。なにより自分のためである。せっかく異世界にまで来たんだし、楽しむための努力ってやつだね。
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