49、家族ごっこはおしまい
リュックサック、手さげ、ソフトのスーツケース。それぞれ一つずつ、最低限必要なものを詰め込みました。少しでも多く服を持っていくために、着ていたYシャツの上にパーカーを羽織りました。気分はさながら、オランダの隠れ家へ向かうアンネ・フランク。
私がせっせと荷物をまとめていても、父の聞こえよがしな電話は止んでいませんでした。
「あいつは本当に好き勝手食い散らかすだけだったから、さすがの俺もキレた」
「出てけって言ったら荷物まとめ始めた、あいつ俺が『出てけ』って言ったから当てつけなんだよ、俺の言ったことを言い訳に出て行くつもりだぜ」
「どうにかするんじゃねえの? あいつ馬鹿だから俺の力なしで一人で生きてけないのがわからないんだよ」
「遅れてきた反抗期ってやつじゃないすか?」
「あんな失敗作を社会に出すほうが世間様への迷惑だろ」
「お得意のバンドででも食ってくんじゃないですかね?」
私は終電の時間を確認しました。〇時三七分。その時、残りは三〇分ほど。家から駅までは徒歩で一〇分ほどかかります。
――これを逃したら、きっと逃げられない。
「もちろん俺が今まで払ってやった金だって全部返してくれるんだろ、出てくんだから」
別れ際に「お前に貢いだ金を返せ」って言う器の小さい男みたいな台詞だな、と思いながら、友達の家に行くためのLINEのやり取りを重ねます。
すると、突然父が乗り込んできました。
「おい、俺の払ってやった金で使う携帯は楽しいか?」
私は父を無視して友達にメッセージを打ち込みました。父は充血した目で私を凄んでいました。
母が話をしたいと言っていたらしく、突然電話を押し付けられました。耳元から母の声が聞こえてきます。父は再び部屋を出て行きました。
「あんたまた家事やらなかったの?」
母の呆れ声。
首絞められた、と小さく囁きました。都合の悪いことはひた隠しにする父の悪事を暴く心づもりでした。何度も言っているうちに涙が出てきました。
「本当に?」と、母も声を潜めます。
「俺と話してる時と態度違うじゃねえか、被害者面しやがって」
父がヤジを挟みます。
「本当に出て行くつもりなの? これからのことはどうするの? 大学の学費だって払ってもらっているんでしょう? まだ遅くはないからちゃんと頭下げなさい」
あくまで諭そうとする母に、「いいんだよ、もう」と私は返しました。
「いつかこうなることはわかってたから」
私の「出て行きたい」という気持ちは、いつあふれ出してもおかしくありませんでした。遠からず出て行く日が来るんだろうということは、常々思っていました。
「わかってたってどういうことだよ。いつか俺にキレられるとわかってて家のことをやらなかったってことか? はあ?」
うるせえよ。
母と私の会話に的外れなヤジを挟む父が不快でした。
目先のことでしか物事を図れない浅はかな父に、最近のことばかりでなく長年の積み重ねで「出て行きたい」と言ったことを少しも鑑みない父に、私は心底軽蔑の念を覚えました。
「ずっと出て行きたかったから丁度いいよ。お父さんもせいせいするでしょ」
私は笑みを浮かべながら、母にそう告げました。「とにかく落ち着いたらまた連絡してちょうだい」と言い、電話は切れました。母はあくまで父のもとに私を置いておきたいように見えました。
「お前本当にそれでいいのか? 俺は一切勘当するって言ってるんだぞ。大学も除籍届を出すからな」
強がりでなく、「別にいいよ」という言葉が口をつきました。気が済むまで好きにすればいいじゃん、と思いました。それにしても、子供の人生を潰すためにこんなに全力を注ぐなんて、なんて素敵な親なんでしょうか。
「私はもう家族ごっこに疲れたんだよ」
「家族ごっこだと?」父は声を荒げます。
私は不思議と落ち着いた気分でした。あの人がやろうとしていたのは紛れもなく、「理想の家族」ごっこです。その実家族を壊したのは自分だったのに、型通りの家族に必要以上に押し込め、当てはめ、都合のいい所だけ家長制を採用して、王様気取りだったのはあの人です。「うちには金がない」を連呼しながら、「自分の稼いだ金だから」と七十万円の自転車を買うような人です。
「お父さんが私た一文も使いたくないのはちゃんと伝わってきてるから。私もずっと嫌だったし、私が出て行けばお互いにwin-winじゃん。よかったね」
「お前それ本気で言ってんのか?」
私は何も答えず、再び荷物をまとめ始めました。
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