霊界観光シャトルステーション

桜木 玲音

序 章 アナタは誰?

遭 遇

   「夢喰いの夢」  

                               桜木 玲音


   

 真っ黒なぶ厚い緞帳の様な雲が垂れ下がり、それが切れた水平線辺りだけがやけに明るく、不気味な程赤い夕陽が海に沈もうとしている。

  ぬるい風が波間から吹いて来る。

 紅い漆を垂らした様な水面は凪ぎ、海を見詰める彼女の足元に静かな波が寄せている。

 今まで全然違う場所にいなかっただろうかと思いながら、それでも焦燥感も無く、彼女は髪を撫でる風に、不意に夢から覚めたように目の前の光景をもう一度見た。

 ……どこ、ここ?

 彼女の名前は 天音あまね 彩季さつき、高校2年生、17歳。

 肩までより少し長い黒く真っ直ぐな髪を一つに縛ったポニーテイルの紺色のサテンのリボンが、不意に解けて風に流されて行った。

 突然、耳を劈く爆雷の様な咆哮が空間を埋めた。感覚がおかしくなりそうな音量である。

 しかし彩季は両手で耳を塞いでただ音のする方向を振り返った。そこには大型バス二台分程も有ろうかと言う巨大な亀が、尻尾をこちらに向け首を蛇の様に持ち上げていた。

 目の前で亀がでかい口を開けて再び吼えた。

「今の……亀が鳴いたって事? 嘘でしょ。現実ならテレビ出演間違いなしだわ。」

 何年も声を忘れていた様な妙な感覚が彩季を襲ったがすぐに消え、彼女は一瞬の違和感も無かった様に髪を掻き上げ、亀をじっくり見上げた。

 隠れたり逃げたりと言う選択肢は始めから無い。

 彼女の根本には、この亀が決して自分を襲わないと言う根拠の無い自信が有るらしい。

 奴は……何かを探している最中なのか、いきなり身体を反転させて動き出した。

 まるで特撮番組の一場面の様な光景だが、違うのは、亀が足を少し動かす度に砂粒が彩季の所まで飛んで来る事だ。それだけでもテレビの前、お茶の間ではない事は確かだ。

 後足立ちになった亀の甲羅の年季の入った擦り切れ具合と、剥げた白いペンキが彩季の目に留まった。

「あれ? お前ウチの亀、だよね?」

 彩季は確信と共に大声で叫んだ。

「コラ、サンドラー! お前、家出して何処行ったのかと思ったら、生きてたんだね! この薄情者の恩知らずがぁ!」

 逃げればいいのに、彼女は更に付け足した。

「でかい図体して、のろいわよ、カメ!」

 亀がその声に気付いてとうとう振り返った。陽が落ちる前の暗い闇の様な曇天を背景に、盥程も有る奴の金色に縁取られた目が、夕陽を受け明らかにジロリと彼女を中心に捉えてた。彩季はたじろぐどころかニヤリと笑って一歩前へ出た。

「ねえ、お前、私の事忘れたの? 役立たずのお前に七年間も身銭を切って高いタダ飯食わせてやったご主人様だよ。何処のモノ好きが拾った瀕死の亀を、可愛い子猫でもない、ばっちくてそれ程可愛くも無いアンタみたいな亀をだよ、渋い顔する母さんに頼んで獣医さんに連れて行って上げたと思う? 私はアンタの命の恩人だよ。」

 巨大亀が今まで対峙していた敵もそっちのけで彩季の顔を覗き込むと、やつの鼻息が降り掛かって来て彼女は思わず手であおいだ。

「まあ、甲羅に白い模様が出て、ボロボロになって行く件は、真菌の仕業って言われて、先生に毎日イソジン塗っては乾かして、水換えしたのよ。でもアンタの甲羅は直んなかった。カビで穴が空いちゃうのを見てるこっちも辛かったんだからね。小5で自分の無力さを痛感させられたわ。」

 亀は彼女の言葉をじっと聞いているのか、動きを止めているが、いつ襲い掛かって来ても不思議ではなかった。

「ご飯を変えても、水がダメなのかと思ってカルキ抜き使っても改善にはならなかった。途中で逃げたのはアンタだからね。その時点で、もう私には責任が無くなったと思う。」

 彼女は亀の目を見て鼻先を指差した。

「でも最悪、臭ぁ! 何を食べたらこんなに息が臭うの? ちょっと聞いてんの?」

 そう言った時だ。亀が彼女に向かって大きく口を開け襲い掛かって来たのだ。竹竿が有れば口に突っかえ棒でもしてやるのに、などと彩季が亀の口の中を見た瞬間、

「何をしている。避けろ!」

 彼女を横っ飛びに抱きかかえ、その場から救った者がいた。

 枯れススキの上に殆ど投げ出された格好で呆気に取られながらも、彼女がその人物を見上げると、細工を施した鞘に収まる長剣を腰に下げた和装の青年が、張り詰めた表情で制止を掛けていた。

「一体どこから迷い込んだのだ。」

 背後に回され青年の顔は彼女からはほぼ見えなかった。

「もっと頭を低く。見付かるぞ。」

 彼が状態を把握しないまま、後ろ手に彼女の頭を押さえ付けたせいで、彩季の顔は地面に直撃寸前である。

 彼が着ている黒革で縁取りがしてある白い陣羽織の背中には、一見見覚えの無い複雑な紋章が刺繍され、その下に着ている濃い紫の着物の袖口には黒い手甲が見え、金銀の彫金のある胸当てと、胴は黒革で出来たプロテクター、そして黒い袴。しかし何故か履物は革の黒いロングブーツだ。長い真っ直ぐな金色の髪を高く後ろで一つに束ね、白い額当てにも背中と同じ紋章が入っている。

「これって、やっぱり夢、だよね?」

 彩季は初めて見るはずの彼に、少しの不自然さも感じず、何故かむしろ任せておけば安心出来る見慣れた人を見るような感覚を味わっていた。

 それでも、何だか分からないが、長い間必死に探して、どこもかしこも手当り次第探しても見付けられなくて、諦め切れずにいる自分に踏ん切りを付けさせて、忘れた振りをしていたモノがちょっとした事で目の前に現れた様な懐かしいと言う矛盾した感覚も交ざっていた。

(この人は誰?)

 相反する辻褄の合わない波が、彩季の中で出口も無くぐるぐる回り始めていた。

「ねえ、ここは何処なの?」

 袖を引っ張りそう問い掛けても、彼は隙の無い様子で大亀の様子を伺い、振り返りもしせずに独り言のように呟いていた。

「何故いきなりこんな大きな異空間の裂け目が開いた。何が原因だ。センサーが反応せぬとは。」

 彼女は初対面である筈なのに、目の前の青年に対して肉親よりもっと身近な、もっと近くにいた者だと感じながら首を傾げた。

「ねぇ、あなた……誰?」

 こんな場面で彼から答えなど返って来る訳が無い。

「この潟も暫くは平穏であったのに。よりにもよってあの化け物の封印が解かれるとは、一体何が有ったのだ。」

 自分の問いに応えを返さない青年に、彩季は段々ムッとして声が大きくなった。

「あの亀、私のペットなの。化け物なんかじゃないんだから。」

「あれだけデカければ、立派に化け物と言うのだ。」

 勝手に呟くだけなのかと思えば、ちゃんと聞いているではないか。

 押さえ付けてくる彼の手を振り払って、スクッと顔を上げた彩季に彼は唖然としている。

 こんな夢ぐらい何時も見ている気がした。

 彼女は、夢の中の自分が普段よりも図々しくて、恥知らずで、行動は大胆に向こう見ずになってしまう事も知っている。しかし、同時に言い様のない胸騒ぎにも襲われていたが、彼の訝しげな表情に少し怒った表情になった。

「私は天音彩季。あなたは?」

 勢いよく名乗ったものの、それこそが違和感の様な気がした。

(何が違うのよ? 言葉遣い? 名前?)

 彼は何故か半ば呆然と彼女を見ている。 

「天音彩季・か。私の名は…… 如月 雪貴きさらぎ ゆきたかだ。」

(やっぱり私、この人、絶対知ってる。何で?)

 見失った獲物を探す亀の咆哮が再び響いた。

 しかし、この場で最優先すべき問題は、明らかにあの目の前の いかれる亀だった。

「如月さん。あいつ、サンドラって言うのよ。ウチにずっといたのに逃げちゃって。もちろんもっと標準的な大きさの亀だったのよ。あんなにデカくなって、生意気にも私に噛み付こうなんて百年早いわよ。」

 如月は彩季が話す様子をじっと見ていたが、

「サンドラ? やつは多分その亀ではない。あれはこの放生津潟の主で、平安の頃から住み続ける大亀で、名は三太夫と言うのだ。」

「名前も書いてあるんだけど、って。」

 彼は、どうしても目の前の亀と彩季の飼い亀が同一であると認めたくないらしい。一方彩季は放生津潟と言う地名は聞き覚え有るが何処だろうとなどと考えていた。

 彼は自分達を囲む様に、地面に素早く指で丸く大きな魔法陣のようなモノを書き始めた。

「とにかく君を一旦外に出す。私から離れるな。君には少し聞きたい事がある。」

 言うが早いか、聞き慣れない呪文を口の中で唱える如月。

 すると円陣の中が輝き出した。

「それは何?」

 いきなり腕を捕まれて驚いている彩季に構わず如月は、彼女を片腕で抱き寄せた。

「開陣印だ。目を閉じていろ。」

 彼がそう言った瞬間、体が浮き上がったような感覚に思わず彼女は目を瞑った。



「彩季、学校が終ったらまた寄り給えよ。」

 ハッとして親友 山本 絵里エリの声に目を上げる彩季。友は二・三m離れた所で自転車から足を降ろして停まり、こちらを振り返っていた。

 何時もの通学路。何時もの制服。何時ものエナメルバック。

 しかし、今まで確かに全然違う景色を見ていなかっただろうか。

 彩季はエリに戸惑いを見せまいと口を一文字に結んだ。そうだ、そんな筈はない。この足も地を踏んだままなのに有り得ない。

 彩季は気を取り直し、自転車で先を走り始めた友の後を何事も無かった様に追った。



                             つづく




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