柳生十兵衛 秘剣・八寸の延矩

かんにょ

石舟斎一刀石異聞。

 永禄八年――柳生石舟斎がまだ新左衛門と名乗っていた頃、新左衛門は柳生ノ庄を訪れた剣聖・上泉伊勢守とその高弟・疋田豊五郎との勝負に敗れ、柳生新陰流に入門した。

 上泉伊勢守はこの柳生ノ庄がいたく気に入り、この土地でら新左衛門らに剣を教えたが、息子・秀胤の討ち死にの報を聞いて、この地を跡にすることとなった。

 そしてその上泉伊勢守は去り際に新左衛門に「無刀の太刀」の公案を課した。

 新左衛門は師から受けたこの課題に三年ものあいだ呻吟して、天之石立神社の北側にある巨石の上で座禅を組み、瞑想した。

 すると、俄かに山が騒めいて、新左衛門の前に翼の生えた天狗が現れた。

「なっ――」

 新左衛門は驚愕の叫び声をあげる。

 天狗は次から次へと現れて、「無刀の太刀」の公案に苦しむ新左衛門を嘲笑い、翼を拡げて木と木の間を飛び違った。


『その手は悪しゅうござる――』

『その手は悪しゅうござる――』


 それは三年前――まだ新陰流に入門する前の新左衛門が、疋田豊五郎に三度の敗北を喫した際に豊五郎から投げかけられた言葉であった。

 天狗たちは新左衛門の屈辱の瞬間ね記憶を呼び覚ませることで、新左衛門を挑発しようとしたのである。

 だが、もはやそのような罵倒に心惑わされる新左衛門ではない。


「おのれ、妖怪めっ!」


 新左衛門は天狗の一匹が地面に降りたところを、袈裟切りにばっさりと両断した。天狗は断末魔の叫びをあげて絶命し、それに気づいた仲間の天狗たちが一斉に新左衛門に襲い掛かった。

 甲高き声で嘶き、血走った目で迫り来る天狗たちの相貌――その一匹一匹を、無我夢中で新左衛門は斬り伏せる――。


「――ッ」


 ……新左衛門が夢中の状態から醒めると、あれだけ居たはずの天狗の姿はどこにもなく、死体すら落ちていなかった。


(――夢か?)


 だが、確かに新左衛門の両手には何ものかを斬った手ごたえが残っていた。

 新左衛門が背後を振り返ると、先ほど新左衛門が座っていた巨石が、その中心の辺りで真二つに両断されているのが目に入った。


(俺が、斬ったのか?)


 新左衛門は握っていた刀を岩に振り下ろす。しかし刀を弾くのみで巨石には瑕ひとつ付かなかった。

 いわゆる「岩の目」を偶然にも新左衛門の刀が打ったのか。それとも剣技が無念無想に至ったことで、思いもよらぬ力を発揮したのか。


 その瞬間、新左衛門の脳裏に不意に閃くものがあった。


「無刀……取り……」


 柳生新左衛門が「無刀取り」の奥儀に達したのは、まさにこの時の時であった。

 そして上泉伊勢守が柳生ノ庄を離れてから三年目、上泉伊勢守は高弟の疋田豊五郎、神後伊豆、賀井掃部といった弟子を引き連れて再びこの地にやってきた。

 上泉伊勢守は先ず賀井掃部と柳生新左衛門に立ち合いをさせ、新左衛門の三年間の修業の成果を見極めんとした。

 賀井は討太刀にて新左衛門に対した。

 新左衛門は木刀を持ち、身を放れ上段より木刀を打下ろす。

 賀井はこれを受けんとしたが、新左衛門はそれにいち早く勝ちをおさめた。

「……」

 賀井を瞬く間に倒した新左衛門に、上泉伊勢守は粛然と立ち上がった。

「では、私があの時に出した公案を、今こそあなたに問おう」

 弟子たちの間に緊張が走った。

 遂に師弟が立ち合って無刀取りの真価が試される刻が来たのだ。

「柳生どの――無刀とは如何に」

 柳生屋敷八畳の間で、二人は立ち合う。

 上泉伊勢守の木剣に対峙して、新左衛門は無刀――だが、それにもかかわらず新左衛門の肉体からは真剣を持つかのごとき凄まじい気が立ち昇っていた。

 その気迫に圧されたかのごとく、伊勢守はじりじりと後ろへ退がる。それと寸分違わぬ歩数で、新左衛門は間合いを固持する。

 そうして伊勢守は二三回して、遂に炬燵に腰を打ちかけた。


不及術じゅつにおよばず


 上泉伊勢守が呟く。

 彼の木剣の柄は、既に新左衛門の手によって握られていた。

「柳生どの、よくぞ師を越えられなさった」

 もはや、立ち合いは無用。

 まさに柳生石舟斎の兵法が上泉伊勢守の兵法を越えた瞬間であった。



 ***



 上泉伊勢守はこの一件を以って新左衛門に新陰流印可状を与え、新陰流二世の正統を継がせたのであった。

 だが、むろんのこと上泉伊勢守の門弟はなにも柳生石舟斎だけではない。


 タイ捨流・丸目蔵人佐長恵まるめくらんどのすけながよし

 神後流・神後伊豆守宗治じんごいずのかみむねはる

 宝蔵院流槍術・宝蔵院覚禅坊胤栄ほうぞういんかくぜんぼういんえい

 疋田陰流・疋田豊五郎景兼ひきたぶんごろうかげとも

 松田方新陰流・松田織部之助清栄まつだおりべのすけせいえい

 神影流・奥山休賀斎公重おくやまきゅうがさいきみしげ


 彼らはいずれも一流派の開祖となった剣聖であり、彼らの興した流派のなかには同門として柳生一族と親しくしている流派もある一方、いつのまにか新陰流の正統を名乗っていた柳生一族に対して憎しみを抱いている者も少なくない。

 特に疋田陰流の系譜に属する山田浮月斎やまだふげつさい、松田方新陰流から発した新陰幕屋流の系譜に属する幕屋大休まくやだいきゅうと柳生一族との長年の因縁は、広く巷間に知れ渡っている。


 そして――奥山休賀斎の神影流から独立した小笠原源信斎長治おがさわらげんしんさいながはるの真新陰流もまた、そうした柳生新陰流と対立している流派のうちの一つであった


 真新陰流の奥儀に、八寸の延矩、あるいは八寸の延金と呼ばれる刀法があるという。だが、その技が果たして如何なる技であったのかは、現在の古武術研究においても大きな謎の一つとされている。

 源信斎の孫弟子にあたる無住夕雲流・小田切一雲に『剣法夕雲先生相伝』(『夕雲流剣術書』)なる書物があり、この中で八寸の延矩は次のように述べられている。


『小笠原は入唐して異国の武士に交て日本流の神陰流兵法を指南して居住する中に、不慮に張良が末孫なりと云ふ者弟子のうちに有つて、委く尋れば、紛れもなき彼の者先祖張良より以来嫡々伝来の戈の術を習ひ、師を互に芸がへしにして修業する中に、玄信は戈の術の八寸の延べかねと云ことを神陰に用ひて、以ての外に勝理の益なる事を自得す。

 帰朝の後上泉伝の古き相弟子共に立合ひ、八寸の延べかねを試るに、一人も手に障るものなく、恐らくは先師上泉が存生にて立向ふと云とも、上泉に勝は取せまじき物をと思ふ程の道理を発明して、広く世間に教ふ』


 このように小田切一雲は八寸の延矩を用いれば、たとえ剣聖・上泉伊勢守が存命であったとしても太刀打ちはできぬであろうとのみ記して、その具体的な刀法には触れてはいない。

 だが、これだけは間違いなく言うことができるであろう。


 即ち、小笠原源信斎は八寸の延矩を以って上泉伊勢守の兵法をのだ、と。

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