第40話 青春時代と後悔について

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

中年男性……不惑を越えた男性。



中年男性「ああ、いったいわたしの人生というのは何なのだろうか。夢も希望もありはしない。ただ家と会社を往復して、家族を食わせるだけの人生なんて。こんなことなら、若い頃にもっとやりたいことをやっておけばよかった。過ぎ去りし青春時代よ。『時よ止まれ、お前は美しい』と言ったのは、誰だったか……いや、誰でもいい、それが今のわたしの真情である限りは」


クマ「随分と悲観しているね」


中年男性「悲観したくもなるでしょうよ。毎日毎日やりたくもないことを続けているわけで、そうして、死んでいくわけだから。もちろん、今現にこうなっているのが自分のせいだってことは分かっているんですよ。若い頃に、やるべきことをやっておかなかったからね。だからこそ、若い頃にやっておけばよかったと思うわけです」


クマ「今からやればいいじゃないか」


中年男性「今からやってどうするんです? いや、もちろん、わたしのような年から始めて成功した人もいると思いますよ。でも、仮に今からやって社会的成功を収めたとしても、若い頃はもう戻らないじゃないですか」


クマ「それじゃあ、キミは、今現にそうあるキミの状態について不満があるというよりは、昔若い頃になすべきことをしなかったそのことに不満があるということだね?」


中年男性「そうですよ。今から考えれば、どうしてやっておかなかったのか、もしもその頃の自分自身にアドバイスできれば、是非ともやっておけと言いたいことがたくさんあるんですよ」


クマ「気持ちは分からないでもないけどね、それはやっぱり無理なんじゃないかな」


中年男性「そりゃ無理ですよ。タイムマシンでも無い限りは」


クマ「いや、ボクが言っているのはそういうことじゃなくてね、構造的な話なんだ」


中年男性「なんです。構造的って?」


クマ「キミは、若い頃にやっておけばよかったということを今考えているわけだよね。青春時代の価値というものを、それが過ぎ去ったあとに感じているわけだ」


中年男性「そうですよ。失って初めて気がつく、というヤツですよ」


クマ「うん。だとしたら、失ってみないと気がつかないわけだから、青春時代において、青春時代のその時の価値が分かるということは、絶対に無いということにならないかな? もしもタイムマシンがあって、キミが若い頃のキミにアドバイスできたとしても、若い頃のキミはやっぱり青春時代の価値に気がつけないんじゃないかな。若い頃のキミは、まだ青春時代を失っていないわけだから」


中年男性「そんなのは詭弁ですよ」


クマ「そうだろうか、じゃあ、たとえば、これから40年後の世界から、タイムマシンで80歳を越したキミがやってきてね、キミに中年時代の価値を説いたらどうする? 『中年時代は重要だぞ』って」


中年男性「なんで中年時代が重要なんです? 青春時代で人生が決まるのに」


クマ「ホラ、それと全く同じ考え方で、若い頃のキミだって、今のキミがいくらアドバイスしても、『なんで青春時代が重要なんだよ、生まれで人生は決まっているのに』と答えるんじゃないかな?」


中年男性「………はあ、じゃあ、いったいわたしはどうすればいいんですか。後悔することさえ封じられてしまうなんて」


アイチ「具体的には、若いときにどういうことがやりたかったの?」


中年男性「色々あるよ……たとえば、よくある話だろうけど、好きな子に告白しておけばよかったとかね。もちろん、振られたかもしれないよ。でも、今後悔しているのであれば、やっておけばよかったなと思うわけだよ」


アイチ「でもさあ、もしかしたらだよ、告白していた場合に、今になって告白したことを後悔していた可能性もあるんじゃないの?」


中年男性「……何だって?」


アイチ「もしも告白していたとするよね。それで、振られたにしても、上手くいったにしても、そのあとに、後悔していた可能性はあるでしょ? 告白して振られたことで自分に自信がなくなっちゃったり、上手くいったけどいざ付き合ってみるとあんまり気の合わない人だったりして、告白しなければよかったなあって」


中年男性「そんなこと言ったらキリがないじゃないか」


アイチ「でも、そのキリがないことを言い出したのは、おじさんだよ。わたし、後悔する人っていうのは、何をしようとしまいと、結局は後悔するんだと思う」


中年男性「……じゃあ、きみはこれまでの人生の中で全く後悔したことがないのか? きみはまだ若いけれど、それにしたって、あのときこうしていればよかった、こうしなければよかったと思うことが、一つや二つあるだろう?」


アイチ「無いよ。だって、わたしは、昔のわたしのことを、今のわたしと同じだと思ってないから」


中年男性「どういうことかな?」


アイチ「一年前のわたしと今のわたしは別のわたしなんだってそう思ってるの。言ってみれば、一年前のわたしは、今のわたしからすると他人だね。他人がしたことをとやかく言うことはできないでしょ? だから、後悔なんて無いの」


中年男性「…………」


クマ「青春時代のことに関してこれ以上後悔したくないなら、アイチのように考えてみることだね。青春時代のキミは、今のキミとは別人なんだってね。まあ、ただ、後悔している人の中には、その後悔すること自体を楽しむ人もいるからね。ああもできた、こうもできたって、苦しんでいる振りをして、本当は当時の自分に絶対にできなかったことを考えて、妄想の楽しみにふける人がね」


中年男性「わ、わたしはそんなんじゃありませんよ!」


クマ「だったら、後悔なんてものとはすっぱりと縁を切ることだね。そもそも、過去を後悔するということは、現在を認めないということだ。それは、キミの現在、キミを取り巻く現状に対して失礼なことじゃないかな。キミは結婚しているようだけど、学生時代に好きだったその子に告白しなかったからこそ、今の人と出会えて結婚できたとも考えられるわけだから、あの時告白しておけばよかったというのは、今の人と結婚しなければよかったということと同じじゃないか」


中年男性「そんなつもりはないんですが……確かにそうなりますね」


クマ「アイチのように考えられなくても、今を大事にすれば、少なくともこれから後悔することはなくなるだろう。過ぎ去った青春時代を考えてクヨクヨするよりも、そうやって生きていくことをお勧めするよ」

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