第34話 審査の正当性はどこにある?

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

〈時〉

2018年12月上旬



アイチ「漫才コンテストの『M-1グランプリ2018』決勝の審査を巡って、去年決勝に出た芸人と、今年出場した芸人が、審査員の一人を批判したことで、問題になっているみたい」


クマ「打ち上げ時に酒に酔ってSNSに上げたみたいだね。酔っ払った上での暴言ということで、よっぽど品位が問われるところではあるけれど、その点はちょっと置いておいて、この審査員の審査を批判するということの意味について考えてみようか。審査員の審査を批判するということは、その審査について間違っていると思うから、そうするわけだろうけど、そもそも、審査員の審査が正しいとか間違っているとかって、どうやって判断されるんだろうか」


アイチ「うーん……スポーツや武道だと試合を撮ったビデオと見比べてみることで、ジャッジが正しいか間違っているかっていうことが言えそうだけど、漫才に関しては……どうなんだろう?」


クマ「漫才に関しては判断の基準なんか無いさ。そもそも、漫才の面白さなんてものに、客観的でみんなが納得する基準なんかありようがない」


アイチ「そうかなあ。たとえば、より多くの人が笑ったら面白い、ってことにすれば、それでもまあ客観的な基準とは言えないかもしれないけど、少なくともみんなが納得するような基準とは言えるんじゃないかな」


クマ「それは確かにそうかもしれないけど、その場合は審査員なんて要らなくなるよね。インターネットで視聴者に採点させればいいわけだから」


アイチ「まあ、そうだね。でも、仮に、客観的な基準が無いとすると、漫才の審査員の審査っていうのは、常に間違っている可能性があることにならない?」


クマ「いや、逆だよ。客観的な基準が無いからこそ、その審査が間違っている可能性は無いんだ」


アイチ「どういうこと?」


クマ「審査員の審査の正当性は、彼もしくは彼女が現に審査員であるというところに求められる。それ以外の所に無いとすれば、彼らの審査は常に正しいことになる」


アイチ「うーん……たとえそうだとしても、その審査員の審査能力が低いっていうことも考えられるよね。その場合は、やっぱり、間違っていることにならないかな」


クマ「審査員というのは、審査能力が高いから、審査員になっているわけであって、審査能力が低いってことはありえないことじゃないかな」


アイチ「審査員に選ばれている時点で確かにそう言えるかもしれないけど、審査員を選ぶ人の、審査員を選ぶ能力が低ければ、その結果選ばれた審査員の能力も低いということもありうるよね」


クマ「そういう風にどこまでもさかのぼっていくとね、結局、審査員による審査はできないってことになるよ。だからこそ、審査員というのは、ただ審査員であるだけで審査能力があって、その審査は適正だという擬制が必要になるんだよ。そうじゃなきゃ、審査をする意味自体がなくなってしまう。現になされたその審査を批判したって構いやしないけど、そんなことをしてみてもあまり意味が無いのは、審査結果が覆らないからなんてことじゃなくて、審査に客観的な基準なんてものが無いから、いくら批判したってただの文句にしかならないからなのさ」


アイチ「そうすると、漫才だけじゃなくて、芸術作品の審査っていうのも、全部そうなのかな?」


クマ「そうなるだろうね」


アイチ「芸術分野の審査員ていうのは、普通はその芸術分野に関して見る目がある人だよね。その人たちに認められた人っていうのは確かに才能があるのかもしれないけれど、審査員の審査に客観的な基準が無いっていうことになると、彼らに認められなかった人たちの中にも実はすごい才能を持つ人というのがいることにならない?」


クマ「必ずそうなるね」


アイチ「それでも、その審査が間違っている可能性は無いっていうことになるの?」


クマ「そう言わざるを得ないな」


アイチ「なんか納得いかないなあ。だまされてる気がする」


クマ「どうしてそういう気がするのかって言うとね、まず、芸術作品の審査というものは主観的なものに過ぎないわけだよ。これは認めてくれるよね?」


アイチ「うん」


クマ「くだんの審査員に対して、『自分の感情で審査するな』っていう批判があったようだけど、芸術作品の判断なんか、自分の感情や好き嫌いでしか本来できるはずがないんだ。じゃあ、どうして、そんな個人の感情や好き嫌いが尊重されるのかと言えば、その個人の感情や好き嫌いから来る判断に公共性があると思われているからだ。さっき、アイチが言った、『見る目がある』ってヤツだね。この公共性への信頼が崩れると、その審査は間違っているという判断がなされることになるんだよ」


アイチ「なるほど」


クマ「審査員にはね、この公共性への信頼を崩さないように振る舞うことが求められる。そのためにはどうすればいいか分かるかい?」


アイチ「自分の感情や好き嫌いに過ぎないものを、ちゃんと他人に伝わるように言語化するってことじゃない?」


クマ「その通り。審査においては、主観をあたかも客観であるかのように見せかける必要があるわけだ。今回は、それがうまくいかなかったんじゃないかな。この漫才は好き、この漫才は嫌い、って言うことはね、審査員には本来は封じられているんだ。好き嫌いでしか判断ができないものにそれ以外の適切な理屈をつけるのが、審査員の仕事なんだからね」


アイチ「そうするとさ、その仕事を怠ったとしたら、なすべきことをしていないわけだから、やっぱりその審査が間違っているっていうことが言えるような気がするなあ」


クマ「審査結果の言語化というのが審査の本質を為しているんだとしたら、そう言ってもいいかもしれないね。まあ、何にしても、芸術作品の審査基準に客観性があるっていうのは、ただの思い込みなんじゃないかな。その思い込みを事実だとみなしてしまうから、今回みたいな騒動が起こるんだと思うよ」

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