第26話 自由と会社勤めの関係

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

会社員……会社勤めが嫌で自由に生きたいと思っている。



会社員「ああ、嫌だ、嫌だ。毎日やりたくもない仕事をして、このまま一生を終えるなんて。世の中には、好きなことをして自由に生きている人もいるというのに、わたしはどうしてこうなんだ」


クマ「会社員というのは大変だね」


会社員「ええ、そうですよ。会社で働くということは、組織の歯車となるということです。ある程度の生活は保障されますが、その代わりに自由を全く失うんです」


クマ「ボクが大変だと言ったのは、会社勤めをしている人がそのような考え方をしやすいというそのことなんだけどね」


会社員「どういうことですか?」


クマ「会社勤めをしている人が、現に会社勤めをしているというそのことだけで自由を失うとか何とか騒ぐから、それが大変だと言っているのさ」


会社員「しかし、確かに自由を失っているじゃないですか。……まあ、ヌイグルミには分からないことかもしれませんがね」


クマ「キミは自由を失っていると言うけれど、強制的に労働させられているわけではないよね?」


会社員「何ですか?」


クマ「毎日、無理やり強制収容所のようなところに連れて行かれて、働かないと殺されるっていうわけじゃないんだろ?」


会社員「そりゃそうですよ」


クマ「だったら、キミの自由は保障されているじゃないか。会社に行きたくなけりゃ、行かなきゃいいんだから」


会社員「会社に行かなくて、どうやって食べていくんです?」


クマ「そんなのボクは知らないよ」


会社員「これだから……ええ、もちろん、その通りですよ。別に会社に行くように強制されているわけじゃないんだ。行かなけりゃ生活できなくなるだけで、いつでもやめようと思えばやめられる。だから、わたしは本当は自由だって言いたいんでしょう?」


クマ「よく分かっているじゃないか」


会社員「お説ごもっともですよ。ですがね、そんなことを言われたって、他に生活の手段が無いんだから、どうしようもないじゃないですか。生活できなくてもいいなんていう考えを持っていたら、もともと仕事になんて行きやしませんよ。のたれ死にすればいいんだから」


クマ「なるほど。ボクとしては、その『のたれ死にすればいい』っていう考え方は、生きていく上で非常に重要なものだと思うけれど、まあ、それは今は置いておいて、生活することは重要だというキミの考えを前提にした上で、話を進めていこう」


会社員「何かこれ以上話すことがあるっていうんですか?」


クマ「大ありだよ。自由について、これ以上知りたくないって言うなら、話は別だけどね」


会社員「伺いましょう」


クマ「仮にキミが会社から独立して自分の好きなことをして暮らせるようになったとしよう」


会社員「夢のようですね」


クマ「そのとき、キミは自由を得たことになるかな?」


会社員「なると思いますね」


クマ「そうかな? もしも、自分の好きなことをして暮らせるようになったとしても、たとえば、病気になったらどうだろうか?」


会社員「どういうことですか?」


クマ「好きなことをして暮らしていたら、大病に冒されたとする。それでも自由だと言えるかい?」


会社員「……まあ、その場合は、自由だとは言えないでしょうね」


クマ「仮に、好きなことをして暮らすことができて、健康でいられていたとして、愛する人がいなかったとしたらどうだろうか?」


会社員「……その場合も不自由だと感じるかもしれません」


クマ「そうすると、キミは、会社から独立できたとしても、必ずしも自由になれるとは限らないことにならないかな?」


会社員「いや、ちょっと待ってください。会社勤めをしている状態と、好きなことをして暮らしている状態を比較すれば、後者の方がより自由なのは明らかじゃないですか」


クマ「そうすると、自由というのは、絶対的なものではなくて、相対的なものだということなのかな?」


会社員「そうですよ」


クマ「じゃあ、会社勤めをせずに毎日の生活に窮する状態と、会社勤めをして生計を立てている状態では、どちらが自由ということになるかな?」


会社員「それは……後者です」


クマ「だとしたら、会社勤めをして生計を立てているキミはすでにして自由ということになるじゃないか」


会社員「……何だか頭がこんがらがってきた……あのですね、わたしは、そんなしちめんどくさい理屈を知りたいわけじゃないんですよ。会社勤めをするのがもう嫌なんだ。嫌なことはやりたくない。ただ、それだけなんです」


クマ「おや、そうだったのかい。自由について一家言あると思って、話していたんだけど、じゃあ、キミは、嫌いなことをやりたくないというただそれだけの気持ちを正当化するために、『自由』なんてことを言い出したんだね?」


会社員「……そういう言われ方は心外ですが……まあ、その通りかもしれない。会社勤めなんてうんざりなんですよ。できれば辞めてしまいたいんです」


アイチ「自分であることにもうんざりしているの?」


会社員「何だって?」


アイチ「自分であることにもうんざりしているのかなって。自分をやめたいと思うことはある?」


会社員「自分をやめたいというのが、別人になることを言っているんだとしたら、まあ、そんなことを夢想することもあるよ。無理だと分かっているけどね」


アイチ「でも、そうだとしたら、今の自分であることについても、そんな風に考えたらどうかな。今の自分をやめることは無理だって」


会社員「…………今の自分もやめられないって言いたいのかい?」


アイチ「うん」


会社員「じゃあ、わたしは一生、会社勤めをしなければいけないのか……」


アイチ「しなければいけないって思っているうちは、どうしてもしなければいけないことになっちゃうんじゃないの? それが今の自分自身なんだから」


会社員「ふう…………若さというのは残酷なものだ。きみは組織の歯車になったことがないから、そういうことが言えるんだよ」


アイチ「確かに、わたしは働いたことが無いから、正確にはあなたの気持ちは分からないかもしれないけど、でも、会社勤めをしても、ただそれだけで自分の自由が奪われているなんて、絶対に感じないと思う」


会社員「どうしてそう言い切れるんだ?」


アイチ「だって、生計を立てるために嫌なことでもしなければいけないことがあるなんて、当たり前のことだもん。当たり前のことをすることで自由が奪われるっていうのは、おかしいよ。それって、たとえばさ、わたしは学校に行くのに自転車を使っているんだけど、ヘリコプターで行けないから不自由だって言っているのと同じじゃないかな」


会社員「仕事の辛さが分からない高校生が知った風な口を利くんじゃない!」


アイチ「でも、生きることって、もともと辛いことじゃない? だって、一日何も食べていないだけでお腹が空いてたまらなくなるし、一週間誰とも話さないだけで寂しくてたまらなくなるじゃん。辛くて苦しいことが、生きるってことじゃないの?」


会社員「……それじゃあ、辛くて苦しいままそれでも生きろと言うのか? それじゃあ、一体何のための人生なんだ」


クマ「そこでボクはね、さっき言っていた、『のたれ死にすればいい』という考え方を持つことをお勧めしたいんだ。生活しようと思うから生活のためのあれやこれやを考えなけりゃいけなくなる。いざとなれば、『のたれ死にすればいい』という覚悟さえあれば、会社をやめることなんて何ということもないし、逆に、会社勤めを続けることだって何ということもなくなるのさ。これこそが自由じゃないか。会社に束縛されるようなものはね、もともと自由でも何でもないんだよ」

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