第25話 人はなぜ行動するのか
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
〈時〉
2019年1月下旬
アイチ「スーパーボランティアの尾畠春夫さんが、東京の中学校で講演したあと、今、大分の自宅まで徒歩で帰ろうとしているところなんだって」
クマ「昨年の8月に山口で行方不明になった男児を救出した人だね」
アイチ「すごいよね。どうしてあそこまでできるんだろう」
クマ「どうしてなんだろうね」
アイチ「普通じゃないよね」
クマ「うん、普通じゃない。普通じゃないということは、普通の人にはそれが何なのか分からないということだ。ボクたちは、どうしても、ある人の行動をボクたちの範疇でとらえてしまって、あれこれ解釈してしまうわけだけれど、本当はそんなことはできないのかもしれない」
アイチ「もしかしたらさ、尾畠さん自身にも、自分がどうしてあそこまでしてしまうのか、分かってないなんてことあるかな」
クマ「あるかもしれないね。もちろん、ボランティアをするという通り一遍の理由やモチベーションは語ることができるだろうし、現にインタビューにも答えてくれているようだけどね。そういう理由やモチベーションをもった人が、みんな尾畠さんのようにするわけじゃないだろうからね」
アイチ「あそこまで極端な人の極端な行動じゃなくても、もしかしたら、わたしたちの普通の行動でも同じことなのかな。あることを行ったときに自分がどうしてそれをしてしまうのか、分からないっていうのはさ」
クマ「あるいはそうかもね。ボクたちには自由意志があることになっているから、ボクたちの行動はすべからく自由意志によって為されたということになる。でも、もしかしたら、それは単なる擬制なのかもしれない。実際ね、ある人のことを好きになるときのことを考えてみたらいいけれど、好きになろうという意志を持って好きになることなんて無いじゃないか。気がついたら、好きだったわけでさ。その他のことも、本当は全てそうなのかもしれない。気がついたらそうしていたってね」
アイチ「でも、そうすると色々と面倒なことになるよね。いいことをする場合ならいいけど、悪いことをしたときにも、気がついたらやっちゃってただけってことになると、罪に問いにくくなっちゃうから」
クマ「まあ、そうだね。罪に対する責任を問うためにも、自由意志が必要になる。でも、やっぱり、だからこその擬制なのかもしれないな。自由意志があるから人を罪に問えるんじゃなくて、人を罪に問うために自由意志を認めているのかもね」
アイチ「意志については、もう一つ気になっていることがあるんだけどさ」
クマ「どんなこと?」
アイチ「普通は、人間には自由意志があるっていうことになっていて、尾畠さんみたいにいいことをしている人っていうのは、その意志が強いってことになりがちでしょ。それに対して、悪いことをした人っていうのは、その意志が弱かったっていうことになりがちだよね。これって、どうしてだろう」
クマ「うん。確かに、自由意志を認めた場合でも、あるときは、その意志が強くて、あるときは、その意志が弱いっていう言い方がされるよね。そうして、社会的にいいことをした人は意志が強くて、社会的に悪いことをした人は意志が弱いと言われることが多いね。尾畠さんみたいにボランティアをしている人は意志が強くて、社会的によろしくないこと、たとえば、万引きをした人に対しては、意志が弱いからそうしたんだという言い方がなされる」
アイチ「それって、どうしてかな。わたし、社会的に悪いことでも、確固とした意志を持って行うこともできると思うけど」
クマ「それはできるだろうね。万引きにしたって、それをすることで得る利益と、それをすることで失う利益、成功と失敗の可能性を、十二分に考慮して、しっかりとした意志の下で行うってこともできると思うし、現に万引きのプロなんていうのは、そういうことをしているんじゃないかな」
アイチ「万引きのプロなんているの!?」
クマ「いるんじゃない。ただ、プロなら決して捕まらないから、いるかどうかは分からないけどね」
アイチ「逆の場合もあるかな。社会的にいいことを、意志が弱いために、ついしてしまうというような人」
クマ「そういう人もいると思うよ。ただし、社会的にいいことを行うときには、それを意志の弱さゆえにという風には見られないだろうけどね。逆に言えば、社会的に悪いことを行うときには、それを意志の強さゆえとは見られないということだけどね。『いい』ことを『弱さ』ゆえにするとか、『悪い』ことを『強さ』ゆえにするとか考えないことが、『いい』とか『悪い』とかの意味の内容になっているんだ。アイチの問いの答えが、これだね」
アイチ「そもそも意志が強いとか弱いとかって、どういうことなんだろう」
クマ「それは今の話と関係してくるけど、難しいことを行うために必要とされるものが強い意志で、たやすいことをやってしまうのが弱い意志ということだね。社会的にいいことというのは行うことが困難なことで、社会的に悪いことというのは行うのがたやすいことだから、それぞれのことを行うのに、強い意志と弱い意志が割り振られるということになる」
アイチ「わたし、意志を強く持って何かを行おうとしたことがないからかもしれないけど、イマイチそういうのに実感が持てないんだよなあ。意志があったからそれをしたっていうよりは、それをしたから、それをしたいという意志があったんだって、どうしてもそう思っちゃう」
クマ「まあ、それは実感の問題だからね。手を挙げようと思って手を挙げたとき、確かに、手を挙げようと思って手を挙げたのかもしれないけど、そうだと分かるのは、実際に手を挙げてからでしかない。意志があったから行動したのか、行動したから意志が分かるのか。そんなものは好みで決めてもいいと思うんだ。ただ、ボクは、あんまり人間が合理的な存在なんだって考えることには、反対したいけどね。なんでもかんでも分かると思うのは、確実に視野を狭くするからさ。尾畠さんがなぜあそこまでボランティア活動をするのか、それは、ボクらには分からないし、アイチが言った通り、尾畠さん自身にも分からないと思った方が、そこから開けてくる世界というものがあると思うよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます