第20話 古代アンデス文明の謎

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。



アイチ「ああ、面白かった、古代アンデス文明展」


クマ「うん、実に興味深かったね。紀元前3,000年から紀元後16世紀までのおよそ5,000年に渡る、今は失われてしまった南アメリカ大陸の文明か。こういう大きな謎に思いを馳せると、ボクらの気持ちも大きくなるね」


アイチ「古代アンデス文明の謎が解かれることって、あるのかな」


クマ「さあねえ、もしかしたら無いかもしれないね。考古学者のみなさんが頑張っているけど、たとえば、ナスカの地上絵なんてさ、あんなものを作るなんてことがだよ、そもそも、ボクらの尺度で測れることなのかどうか」


アイチ「同じ人間のしたことだけど、同じ人間のしたことだなんて思えないよね」


クマ「そうなんだよ。宇宙船の滑走路だったとか、暦だったとか、宗教上の儀式をするためのものだったとかさ、いろいろ説があるけど、それらの説っていうのは、あくまで現代人の考え方なんだ。古代人は、現代人とはまったく考えが違っていたのかもしれない」


アイチ「だとしたら、それはもう、もともと解けない謎ってことになるね」


クマ「同じ人間のしたことだから、きっと理解できるっていう、その点についての信頼が無いと、考古学はそもそも成立しない。でも、そういう信頼は、本当にそんなに簡単にできるものなのかな。たとえば、古代アンデス文明では、太陽や星が信仰されていたと言うよね?」


アイチ「うん」


クマ「でも、その信仰っていうのは、ボクら側の考えなんだ。ボクらは、信仰というのは、大方の所、まず『する』か『しない』かという選択があって、その上で、する場合には、『何を』するのかという、さらなる選択がある。彼らの場合には、そういう選択の余地なんて無かったわけだよ。そのような選択の余地なく為される信仰なんて、ボクたちに本当に想像できるんだろうか」


アイチ「難しいかもしれないけど、なんとなくできるような気もするんだよなあ。だってさ、冬の寒い日なんかにお日様が出ると心底ホッとしたり、何となく寂しいときに夜空の星を見上げると安心したり、そういうことを感じることはさ、古代の人も変わらなかったと思うから」


クマ「ああ、それはその通りだ。きっと古代人もそうであったろうね。もしもそうじゃなかったとしたら、それこそ、もう何を理解していいのかっていうことが分からなくなるからね」


アイチ「信仰について選択の話じゃないって、クマは言ったけどさ、でも、ひょっとしたら中には、信仰していなかった人もいたかもしれないよ」


クマ「確かに。不信心者がいたかもしれないな。『みんな星の神を信じているようだけれど、そんなもん信じられないな』とかね」


アイチ「でも、周りはみんな信じているから、口にできないの」


クマ「うん。口にしないけど、心の奥深くでは信じてなくて、だからといって、じゃあ、あれはなんなんだって疑問に思っても、答えが出ることはない。それでも、考え続ける。夜空の星をじっと見つめながら、みんなが神で満足しているときに、彼もしくは彼女の考えは、さらにその先まで進むんだ。やがてそれは存在の謎にまで至っただろうね」


アイチ「そう考えると、わたしも古代アンデス文明の人も、あんまり変わらないような気がするなあ」


クマ「それが過去を考えるというそのことだよ。過去を考えるというのは、現代の視点からあれこれ分析することじゃ、決してない。その過去を自分のこととして思い出すように努めることなんだ」


アイチ「それが数千年前のことでも、だね?」


クマ「そうさ。数千年の時を超えて、ボクらは自分自身を見つめるんだよ。かつてのボクらをね。かつてボクらはいた。今は失われてしまった文明のただ中に。いずれ、ボクらの文明も滅ぶだろう。それから、数千年だか、数万年だかしたあとに、今のボクらと同じように、ボクらの文明に想いを馳せる人が現われる。それを今考えられるというそのことにおいて、ボクらはまたその数千年、数万年後の未来にもいるわけだ」


アイチ「16世紀に、スペイン人がインカ帝国を征服して、アンデス文明が滅んだっていうことになっているけど、でも、スペイン人が征服しなくたって、いつかアンデス文明は滅んだよね?」


クマ「そうだね。スペイン人が征服しなくたって、アンデス文明は滅んだ。もちろん、だからと言って、スペイン人の征服行為が正当化されるわけじゃない。でも、アンデス文明が滅んだのは、起こったものが滅んだというだけであって、スペイン人の征服行為が原因というわけじゃないんだ」


アイチ「起こったものが滅んだというだけなのに、どうしてかそれは、悲しいような気がするんだ」


クマ「うん、どうしてかそれは悲しい気がするね。それは、もうそこにいた彼らと語り合うことができない悲しみなのかもしれない。かつてのボクらとね。滅びは悲しいからこそ美しいと言う人もいる。でも、それは話が逆だと思うな。ボクらは、悲しみをごまかすためにそれを美しいと感じるんじゃないだろうか」


アイチ「もしもアンデス文明の謎が解けたとしても、それは変わらないよね」


クマ「変わらないね。アンデス文明が何であったかということが分かっても、どうしてそれが起こり滅んだのかということだけは、決して分からない。この『決して分からない』という感覚は、生きる上で本当に大切なものだと思うな。今の人たちは、何でもかんでも分かりすぎるよ」


アイチ「古代文明の場合は、『分からない』を感じやすいよね。ナスカの地上絵って、インパクトがあるもん」


クマ「あるね。あれは一体何なんだって、度肝を抜かれるよね。説がいろいろあってもさ、どの説もあんまりうまくなくて、なかなか納得ができない。納得ができなくても、そこにあるという事実は変わらない。納得できないものがそれでもなお存在するっていうことを、衝撃とともに示してくれるっていう点で、本当に貴重なものだね」


アイチ「もしかしたらさ、そのために古代人が作ってくれたって考えるのはどうかな? 存在の謎に気づかせるために」


クマ「謎を謎として感じる感受性を失ってしまうであろう子孫に向けた、古代人からの壮大なメッセージか。なるほど、いいかもしれないね。でも、だとしたら、彼らは、ボクら以上にボクらのことを知っていたことになるな」


アイチ「知っていたのかもしれないよ。同じ自分のことならね」


クマ「そうだね。そうかもしれない。それだって、ボクらには、もう分からないことだからね」

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