第16話 国家という幻想

〈登場人物〉

アイチ……高校2年生の女の子。

クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

〈時〉

2018年7月下旬



クマ「与党の議員が、子どもを作らない人は生産性が無いって発言を、オピニオン誌に掲載したことが問題になっているね」


アイチ「うん、わたしの周囲の人はみんな怒っているよ。お父さんもお母さんも、友だちも、学校の先生も。人間を生産性っていう基準で測るなんて、けしからんって」


クマ「アイチはどう思う?」


アイチ「わたしはね、そもそもその議員の発言がよく分からなかったの。人間の生産性ってなんなんだろうって。もともとそんなものが人間にあるなんて、どうして思えるんだろうって」


クマ「キミは、人間がこの世に存在することに格別の価値を認めていないから、そういう考えになるんだろうけど、普通は、みんな怒るよね。人間の価値は、子どもを作ることにあるんじゃないって」


アイチ「だったら、どういうところにあるの?」


クマ「まあ、自由な自己実現っていうところじゃないかな。その人がその人らしく生きることが、その人の価値であって、みんなに適用されるような一律の物差しじゃ、その人の価値は測れないっていうのが、一般的な考え方だと思う。ボクはキミと同じでそんな風には考えないけど、そのことに関してはいったん置いておくね。あと、この議員は、政治家としては三流もいいところだと思うんだけど、それも置いておくとして、この議員の言っていること、子どもを産まない人には生産性が無いということに関しては、一面の真実が含まれていると思うんだ」


アイチ「どういうこと?」


クマ「簡単な話さ。国家っていうのは、国民がいなければ成り立たない。国民っていうのはどこから現われるのかと言えば、移民の話を別にすればね、今の国民が子どもを産むことで現われるんだよ。子どもが新たな国民になるんだ。子どもを産まない人は、新たな国民を作り出さない。その意味で、子どもを産まない人っていうのは、国家からすると、国家の存立を危うくする存在なんだ。だから、国家体制側からすれば、そういう、子どもを産まない人を危険視するのは、ある意味では当然のことさ」


アイチ「うーん……新たな国民にするために子どもを産むっていうのは、あんまりピンと来ないなあ」


クマ「そんな風に言われることは無いし、国家のために子どもを産もうなんて考える人は、現代日本ではまずいないだろうね。でもね、それに類することなら、現に為されているんだよ。というか、ほとんどの人がしていることだと思う」


アイチ「どういうこと?」


クマ「たとえば、カップルだけじゃ寂しいから子どもを産むとか、老後のことを考えて子どもを産むとかね。こういう考え方は、ある目的のために子どもを産むっていう意味では、国家のために子どもを産むっていう考え方と同じなんだ」


アイチ「寂しさを紛らわすためにとか、老後の面倒を見てもらうためっていう目的を持つことが、国家のためにっていう目的を持つことと、現に目的を持っているっていう点では同じっていうことだね」


クマ「そうだよ。ボクはヌイグルミだからとりわけ分からないのかもしれないけど、そういう、自分たちのために子どもを産むっていう考え方は理解不能だね。それなら、まだ明日の主権者を作るために産むっていう方が理解できるよ」


アイチ「あのさ、クマ……わたし、こういう国家っていうものが絡んだときに、いつも思うことがあるんだけど」


クマ「なに?」


アイチ「国家ってそんなに大事なものなの?」


クマ「それは、大事ってことの意味にもよるけど、人が集団で暮らしていくためっていうことを考えれば、あった方が便利だろうね」


アイチ「でも、それってさ、そういう程度のことだよね。わたしがよく分からないのはね、たとえば、『このまま少子化が続くと日本が滅ぶ』って言われるときに、日本が滅んじゃどうしていけないんだろうってことなの。だって、日本っていう国は、そこに暮らす人が便利に生活するために作り出したものでしょ。もちろん、そうやって便利に暮らしていくためには必要だと思うけど、でも、どうしても守らなければいけないものだとは思えないの」


クマ「それはね、みんな、国っていうものが現に存在していると信じ込んでいるからだろうね。本当は国なんていうものはどこにも無いんだ。国家なんていうのは、一種の信仰だよ。信仰っていうのがピンと来なければ、虚構だって言い換えてもいい。そんなものはどこにもなくて、強いて言えば各人の頭の中にしかない。みんな、それが現実にあると思い込んで、その国のために尽くしたり、別の国と喧嘩したりしているんだね」


アイチ「わたしね、日本人として国際貢献しなくちゃいけないとかって言われても、どうしても、自分のこと日本人だって思えないの。もちろん、わたしは日本人よ。日本って国に生まれて、日本国籍があって、日本語をしゃべるっていう意味ではね。でもさ、わたしが日本人である前に、わたしがわたしであることの方が先でしょ。その『わたし』っていうのが一体何なのか分からないから、日本の話にまで行き着かないんだ」


クマ「みんながアイチのように考えることができれば、国家なんていう枠組みは綺麗になくなるだろうな。そうすればね、文化や宗教なんていうちっぽけなものじゃない、いわば、魂の連帯による、新しい結びつきが、この地球上に現われると思う。もちろん、某議員が言ったところの、国家の生産性なんてものも消し飛ぶだろうね」

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