二階で転がる魔王様は気付かない
「制服、乾いたわよ~」
部屋の外からノックと共に返事を待たず入ってくる美幸。
「あ、ありがとうございます」
由梨はちらりと、壁に掛かっている時計に目をやって、「そろそろ、帰ります」と、言った。
時計の短針は6を指そうとしている。思っているよりも話し込んでいたのか、確かに夕闇は我の部屋にひっそりと近付いていた。
「あ、じゃあ僕たちもそろそろ」
「うん、そうだネ」
沙羅は最後にシュヴァリエッタの顎を撫でて、階段から降りていく。別れを知りながら足に纏わりついているシュヴァリエッタに注意して。
ぐ、ぐぎぃぃいいいぃいぃ!! なんでそんなにシュヴァリエッタがべたつくのだぁあ!!
うぐぐぐぐ、
靴を履こうとしていた沙羅を、美幸が呼び留める。
「あ、沙羅ちゃん。少しだけ、おばさんに時間くれない?」
「? はい」
我らが玄関の外まで三人を見送ると、三人は手を振りながら夜の
「真央、少し上にいっててちょうだい」
「あ、ああ……」
我に聞かせたくない話か?
我は美幸に促されるまま二階の部屋に戻って、散らかっている部屋に舌打ちをしてごろりとベッドに寝転がる。
右へ、左へゴロゴロと。
二人は下で、どんな話をしているのだろうか……。
だが、盗み聞きなど……魔王らしくはないなと堪えて、悶々としていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
リビングのL字型のソファに促されて、沙羅は体をふっかりと沈めた。足元にはシュヴァリエッタがちょこんと利口に座っている。
美幸は斜め向かいに座って、じっと沙羅を見つめていた。
「……? あの……」
「沙羅ちゃん、朝、真央がにやにやしてたのと、沙羅ちゃんが迎えに来たのって、関係があるわよね……?」
沙羅は、ぐっと嫌な顔をしそうになるのを堪えて、努めて冷静に答える。
「昨日から、真央と……付き合っています」
その言葉を聞いた瞬間、美幸の顔がぱぁあああと華のようにほころぶ。目をキラキラさせて、ずいっ、と体を沙羅の方に寄せる。
昔から、綺麗な人ではあった。
沙羅の母も美人だとよく言われるが、美幸のそれは綺麗で可愛い人という印象で、ふんわりとした雰囲気を持っていた。沙羅が勇者であった頃の母親に、どことなく似ていると時折思っていた。
ソファの上にあった沙羅の左手を取って、頬を
「付き合うって、あの恋人同士の付き合うよね!? そうよね!?」
「は、はい」
鼻息が荒い。
あまりの興奮具合に、沙羅も若干引き気味だったが、そんなことはお構いなしに、嬉しそうにする美幸。
「あの子ね、朝、最近しなかった高笑いなんかしちゃって、本当にごきげんだったのよ。別に必要ないからって言ってたスマホが欲しいって言い出したりして。それって、沙羅ちゃんはもちろん今日来ていた子達と連絡が取りたいからってことよね」
「はい、恐らくそうですね」
「はあ~、スマホが欲しいと真央が言ったから、今日は友達記念日」
「??? は、はぁ……」
唐突に、サラダ記念日のようなことを言い出す美幸。
「ねぇ、恵子ちゃんには私が言っておくから、今日は一緒にご飯食べない?」
にっこりと、しかしどこか有無を言わさぬ様子だった。
最初は、子供たちを通して付き合っていた
よそよそしく苗字で呼びあっていたのは最初だけで、今では二人だけでショッピングに行ったり映画に行ったりしている。
今日、沙羅の父と母はどちらも仕事で帰りが遅いと言っていた。
沙羅が真央の家でご飯を食べて帰ると言っても、多少驚きはするだろうが反対はされないだろう。
じんわりと、暖かくなっていく左手を振りほどけず、沙羅は頷いた。
「え、ええと……は、はい……」
「うふふ、良かった。太一さん、今日も遅くてご飯いらないって言われてたから、二人じゃ淋しいなと思っていたの」
美幸は沙羅から手を離して、
「じゃあ、おばさんご飯作っちゃうわね! 上に上がって真央とお話でもしてて?」
と、鼻歌でも歌い出しそうに足取り軽く、くるくると踊るようにキッチンへと移動していった。
沙羅はそれを見送りながら、心臓の奥の方がズキズキと痛むのを感じていた。まるでやんわりと素手で心臓を揉まれている様な、痛みと息苦しさ。
こんなに喜んでいる美幸を裏切っているのかと思うと、そして……最長でも11月22日には別れると思うと。
人よりも重いこの痛みの原因は、彼女が勇者だから。
正々堂々と誰にも恥じないように生きてきた。
だからこそ、人は彼女の周りに集まったし、彼女もまたそうして集まった人たちにいつも誠実に、向き合ってきた。
前世も、今も。
彼女の持つ、勇者の
だが、
どう足掻いても美幸を悲しませることになる、嘘。
唯一、これが嘘にならない方法があるとしたらそれは……。
(本当に、真央と付き合うことだけど……)
ありえない、と鼻で笑ってしまう。
ただ、真央と向き合うことが増えたのは事実で、そして今日初めて、元魔王の肉親に出会った。
その妹の言っていることが正しいと信じるならば……、沙羅は真央ではなく先代の魔王を討たなければならなかったのではないか、という不安が生まれた。
訊かなければ良かったと思った反面、どこかで予想していた考えと反しなかったことに、ほっとしている自分がいた。
沙羅が、真央の過去を本人ではなく妹に聞いたのは、真央が沙羅の中で、どうしても、極悪で非道な魔王の姿と重ならなかったから。
それを真央に聞いたところで、きっと彼は自分自身の事を冷酷だの最凶だのと楽しそうに言うだけで、きっとまた『これだから、魔王は』と思っただけだっただろう。
人間を滅ぼし世界を征服しようとしていたことを真央は否定しなかった。
真央が、魔王だったのは間違いないけれど――。
沙羅は、何の力もなかった子どもの頃に、自分の住んでいた村を滅ぼされて、魔王を倒すために勇者になった。
その倒すべき魔王が、その時の魔王なのか、それとも先代の魔王だったのかなんて、考えもしなかったのだ。
真央と他の人とは、接し方に差をつけていた。
だって、それは魔王だから。
真央が、魔王であったのは変わらない。でも……。
兄は優しかったと、嘘には見えない微笑みで、そう話す妹。
――揺らぐ。
(私が恨んでいた魔王が、真央じゃなかったというのなら、私は……)
冷酷でいろと植えつけられ、そう振る舞っていた真央。
愛されなかったから愛し方を知らなかった真央。
――
(なんで私は、真央と一緒にここに生まれ変わったんだろう――?)
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