第9話
あの日から三日が経った。
相手の気持ちを汲まずに自身の感情をぶつける。俺が心底嫌っていたことをそのままやってしまった。自己嫌悪で気が狂いそうだ。
あれからというもの、俺は必死で方々を探した。けれど蜜柑ちゃんの姿はどこにも見当たらなかった。
あの谷岡組の総本部近くまで行って聞き耳を立ててみたが梨のつぶてだった。ただ蜜柑ちゃんのお父さんの声を遠巻きに聞くことは出来た。お父さんの声色には生気が満ちていて、ビシビシと部下に指示を飛ばしている様子だった。俺は心から安堵して、その場を後にした。
俺デコトラは目的もなくただ走った。走り続けた。一刻も早く蜜柑ちゃん見付けるために。けれど、未だに手がかりすら無い状況だ。
まさか……蜜柑ちゃんが無人のクルマであるとバレて、悪意ある人間に捕らわれたのか?
ラジオを点けてみる。「いま、ミドリムシが話題!?」とCMで盛んに説明していた。特に、何か大事件が起こったという雰囲気は無い。
もしも蜜柑ちゃんが捕まっていたら、日本中のニュースとなっているはずだ。今のところ、表立ってはいないということか……? しかし、うかうかしてはいられない。
俺デコトラはスピードを上げた。
蜜柑ちゃんと会って、今度はきちんと謝らないといけない。大人げなく罵詈雑言をぶつけてしまったんだから。
そうしてたどり着いたのが、ホームセンターの駐車場だった。蜜柑ちゃんの生い立ちを聞いた場所だ。祈るような気持ちで、だだっ広い駐車場を走り回る。
今日は平日で、なおかつ時間も昼の三時であったせいか、そこまで混み合ってはいなかった。
だから、そのクルマはすぐに見つかった。
黒塗りの高級車。トヨタのセンチュリー。こんな庶民的な場所に似つかわしくない、そのクルマ。
間違いなく、蜜柑ちゃんだった。
『俺だ! 聞こえるか、蜜柑ちゃん!』
しかし返事は帰ってこない。そのうえ蜜柑ちゃんの周りには大勢の人間がいて、口々に喋っている。
「こ、これ……。人が乗ってないのに動いたぞ!?」
「まさか、最新鋭の自動運転車とか?」
連中は遠慮なく蜜柑ちゃんの車体をべたべたと触っている。蜜柑ちゃんは逃げることも出来無さそうだった。
俺は前に進み出て、連中を威嚇してやった。クラクションを盛んに鳴らし、毘沙門天の絵図を彩る電飾を激しく明滅させる。
「なんだあのトラック!?」
「デコトラなんてゲームでしか見たことなかった。実在してたんだ」
「見ろよ見ろよ! あれも運転手いないのに動いてるぜ!」
俺の「正体」にいち早く気付いた連中は、狙いを蜜柑ちゃんから俺へと変えた。
「本物の無人トラック!? 桃源郷へ連れてってくれるっていうやつか!」
「アレで死ねば楽園が待ってるぞ!」
「私を早く轢いて! ひと思いにゴリッと轢き殺して!」
目を血走らせた連中は俺の元へ走り寄り、なんと前輪のタイヤの下へと潜り込んでしまった。これはまずいとバックしたが、すかさず後輪側にも人間が入り込んだ。
まずいぞ……。前進しようが後進しようが、このままだといずれは誰かを轢き殺してしまう。
俺は必死でクラクションを鳴らした。電飾も出来得る限り光らせて、威嚇した。
しかし、目の前に理想の転生が待っていると分かっている連中は強い。俺が何をしようが、タイヤの真下に滑り込もうとする阿呆共が増え続けるばかりだ。
だがほとんどの「転生希望者」たちは俺の方を向いている。今ならば蜜柑ちゃんに悪さをするやつはいないだろう。怪我の功名と言うには痛すぎるが、その点だけは安心できた。
人が人を生み、いつの間にか野次馬まで現れていた。彼らはスマホで写真を撮ったり動画を撮影したりしている。
そんな中、一人の男が「どけッ! どけよッ!!」と人垣をかき分けて俺の元へと現れた。
「殺してくれよぉぉぉ!! 俺、死んで生まれ変わりたいんだよぉぉぉぉぉ!!」
悲痛な叫びをあげたのは……俺の大嫌いな、山本だった。それも何故か迷彩模様のシャツを着ていて、余計に腹が立った。
数日前に山本と会ったときも、奴は生ける屍のようだった。だからもしやとは思っていたが……。
山本は他の人間を引っぺがしてタイヤの真下に潜り込んだ。相変わらずの身勝手ぶりじゃないか。本当に自分のことしか考えてねェなコイツはよ! 他の連中ももちろんだが、こいつだけは「理想郷送り」になんてしてやるものか!
しかしどうすればいい? 少しでもクルマを動かせば誰かが轢き殺される。身動き一つ取ることもできやしない。
俺に群がる人間は、あれよあれよと言う間に増えていった。たぶん、ツイッターなどのSNSで拡散されたんだろう。人が人を呼んで大変なことになっている。
「おい、動けよこのトラック!」
誰かが悪態をつきながら俺の車体を叩いた。集団心理が働いたのか、また別の一人がそれに続く。そしてついに窓ガラスまで割られてしまった。
一人の男が中に入り込んで「このクルマ、本当に誰もいねえぞ!」と叫んだ。
そいつは山本だった。どこまでいっても……俺の邪魔になることしかしやがらねえ!
電飾を点けようがクラクションを慣らそうが、もはや意味を為していなかった。ある程度冷静な人間であれば、弁才天や毘沙門天を光らせることで意思疎通が出来るのだが……今の状況でそれは無理だった。
ガラスを叩き壊され、車体はベコベコに凹み、ライトもいくつか破損している。痛みは感じないものの、恐怖が募っていく。
デコトラに転生した俺だが、もしもここで完全に破壊されたら……どうなってしまうんだ? 今度こそ、完全に死ぬことができるのか? それとも、また別のクルマに魂を移し替えさせられるのか?
俺はまだ、蜜柑ちゃんに何も伝えられていないのに……!
こんな情けない俺だが、最低限の礼儀くらいは知っている。一時の感情で激高してしまった非礼を、まだ詫びていないんだ。それさえできれば俺は、どうなったっていい!
その決意が、迫り来る恐怖を振り払った。
再度、クラクションを鳴らしてみる。デコトラは内から外から荒らされっぱなしだが、これだけは健在だった。
「畜生! アクセル踏んでも動かねえぞ! どうなってんだ!」
いつの間にか運転席にまで忍び込んできた山本。幸いにして俺以外はデコトラを動かすことができないようだ。
山本は苛立ったのかハンドルを乱暴に叩き、シフトレバーを上下させる。そのはずみで、ププーと音が鳴った。人間が操作した場合でも、クラクションだけは鳴るのか。
山本の着ている迷彩服と、クルマのクラクション。
閃いた……!
俺はすぐさまクラクションを鳴らした。今までとはまったく違う「鳴らし方」で。
プップー、プープープープップー。
短点「トン」と長点「ツー」で構成される、トンツー。すなわち、モールス符号だ。俺がミリオタだったからこそ覚えていた、音のみで意思表示のできるツールだ。
憎らしい山本が迷彩服を着ていたのは俺への当て擦りに見えたもんだが……今なら、少しだけ感謝してやってもいい。
人で溢れかえったこの駐車場。誰でもいい! 届いてくれ!
『俺は死んだ後トラックそのものに転生させられた』
『ここで俺に轢き殺された奴も同じ運命を辿るだろう』
『運が悪ければ転生どころか地獄の底へとご招待だ』
『だからみんな、安易に死のうと思うな』
『理想の転生なんて嘘っぱちなんだから』
多少、虚実を綯い交ぜにしているが、俺の元に群がった連中を散らすにはこれくらい言わないと駄目だろう。あとは、モールス符号を正しく知っている奴がいればいいんだが……。
俺は、何度も何度もメッセージを伝えた。
「おい……本当かよ。これ、モールス符号じゃねえか」
声をあげたのは、車内に入り込んでいた山本だった。
「このデコトラ、意識があるらしいぞ!」
山本が何故そんなものを知っているんだ? 俺のミリタリー趣味を散々馬鹿にしていたあいつが?
「このデコトラ、理想の転生など嘘っぱちだと言っている!」
辺りはどよめきだした。俺はメッセージを送り続ける。スマホでモールス符号を調べる人間も現れ、俺のメッセージが少しずつ届き始めた。
「本当だ……。このクラクション、きちんと意味があるんだ」
「なに? 無人のトラックに轢かれて死んだら、同じ無人トラックにさせられるってわけ?」
「騙された!」
次第に、俺の周りに居た人々は距離を取り始めた。
その隙を逃さず、俺はクルマを動かした。事情を知った人々は、みな俺を避けていく。
黒塗りの高級車に急接近し、声をかけた。
『蜜柑ちゃん! 聞こえるか! ここを出るぞ!』
返事はなかったものの、蜜柑ちゃんは俺に着いてきてくれた。
俺たち二台は急いで駐車場から脱出した。
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