42.「正義漢キース・サリンジャー」

「キース・サリンジャー」は、まあ……悪いことしたら奴が来るってのは、俺らにとっちゃ怪談話だ。みんな悪ぃことしてるって自覚はあんだよ。

 ……ならよ、「レヴィ」はなんだ?どういう噂だ?

「罪人」の汚名を引っ被せた挙句笑い話として噂にしたら、やっこさんが殺しに来た。……それは、罰を与えに来たって言わねぇのか?

「キース・サリンジャー」の噂となんも変わりねぇ。俺らは本当にに呼んじまったんだよ。

「悪人を滅ぼす何者か」をな……。




 ***




「……店長が困っています。早くお帰り願えますか」


 その酒場で1人、無愛想な店員が働いていた。アドルフの知り合いの青年らしい、赤毛の若い男。中性的な顔をしていたが、背は高く、表情は凛々しかった。


「……レヴィ、か……。お前と仲がいいなんて皮肉だね」

「あー……親は確かにちょっと差別的っつーか……。でも俺はまともに反抗期送ったんで……逆にどうでも良くなったんす。教科書にも犯罪者扱いで載ってるじゃないですか」


 名前で勘ぐったが、彼らに禍根はないようだった。

 彼は酒癖の悪い客を追い払う担当らしく、損な役回りでも生真面目にこなしているのをたびたび見ていた。……ついでに、見事な蹴りも何度か。年齢は二十歳すぎらしいが、眼光に妙な迫力がある。


「しつこい客は贔屓しませんが、よろしいですか」

「……何でこんなに睨まれてるんだ、僕は」

「……なんか、変なストーカーから逃げてるらしくて」


 まるで僕がストーカー気質とでも言いたいのか、アドルフはボソッと毒づいた。


「まあ……これだけ美形なら有り得るか……」

「アドルフさん、部下なら忠言の一つや二つしたらどうなんですか。……すみませんが、迷惑行為はおやめください」

「…………あれ、怒ってますよ。今日はここらで……」


 なんで邪魔をするのかと、「僕」は茶色の瞳を彼に向けていた。

 舌打ちするその表情は、正義漢どころか悪党そのものだった。


「…………店長は知ってるんだよな」

「いや……流石にこの店ではやめてほしいって……2度目はまあギリいけましたけど、次やったら3度目ですし……」

「…………なら、次で最後にする」


 できる限りを次に始末して、次の店へ行こうと決めた。……ああ、そうだ、目障りな部下が一人いたな。あいつもついでに殺しておこう。あの様子じゃきっと、将来道を違える。

 僕が、僕こそは、この街をどうにかしなければ。


 やがて、その日は来た。


「……!君、まさか、店員の……!」


 躊躇いなく脚を撃ち抜いてから気づいた。

 薄暗い店内で痛みに悶えながら、レヴィはひたすら混乱していた。


 時間を少しずらし、夜遅くに決行したのがそもそものミスだった。

 まさか、店員が残っているわけがないと思ったのに。


「……アドルフ、赤毛の店員……彼は、不良だったのか?」


 …………あの蹴り技を思い出す。


「……あ?悪質なストーカーから逃げてて……真っ当ってわけでも……じゃなくて、何で今そんなこと……。……は……?お前……」


 それなら過去に悪事だって働いたはずだ。

 そもそもストーカーされるような別れ方をしたんだろう。そこのアドルフのように。……なんて、

 考えてはいけないことを考えて、


「こいつに罪を着せたらいい」


 そう、言った。


「犠牲になっても、きっと、問題ない」


 彼に、僕に銃口を向けながら、コルネリス・ディートリッヒは、笑っていた。


 訳が分からない。

 どうして僕がこんな目にあうんだ。

 どうして、僕は仕事をしていただけで、脚を撃たれて殺されかけているんだ?


 この光景を何度見ただろう。

「僕」に殺されかける僕?僕?俺か。そうか。だって、俺は「レヴィ」が感じたことをそのまま返されていて、この痛みも、この混乱も、この恐怖も、全て、

 俺、違う、僕、でもないな。……まずい、目の前が霞んでよく見えない。気をしっかり……




 脚が熱い。焼けるように痛い。霞んだ視界が、ようやく戻っていく。


「犠牲になってもらう。そうしたらきっと、この世界は良くなる」


 ……は?

 何でこんなに人が倒れて何でこんなに風景がおかしくて何でこんなに部屋が荒れて何でこんなに……酷い臭いが……?


 自分の手をみる。液体がべっとりとついている。何が起こった。何が、ああああ脚が痛い太ももなのかなんだこれはあついあついいたいいたい何でこんなことがわからないわからないなにもかもわからない


「……正義のためだ」


 目の前に、警察の人が立っている。そう言えば、目の前にたおれてるのもけいかんで、ああ、冷たい目で、俺を見ている。見て、みている。あの、しせんは、なん、で、なんでなんで、こんな


「……え、君……女の子だったのか。さすがに可哀想だな……。仕事で残ってたんだろうし……。でも、こうなったら」

「……悪く思わねぇ方がおかしいだろ……!」


 ガチャリと、安全装置の外れる音。その瞬間、アドルフに撃ち殺されていたのは、「僕」……悪に落ちた、かつての正義漢だった。




 アドルフは、知っていた。知っていたのに、彼には黙っていた。


 裏から手を回して罪に問われないようにしたんだろう。

 そこから先、卑怯な笑い話にするほどの悪意が存在するとまでは想像できずに。

 彼は、レヴィはおそらく、最初から最後までよくわかっていなかった。

 そのまま、疑われたこと自体は変わらず、フランスの方へ向かったらしい。




 ……ああ、そうだ。笑い話で噂にされたことを、どれだけ憎んだか。

 全てを知り、哀れむだけ哀れんで止めなかった知人にどれだけ失望したか。

 その理不尽を抱いたまま挙句の果てには殺されたのだから、味わうがいい。


 全霊をかけて呪ってやる


 何度も何度も呪ってやろう

 何度も何度も何度も何度も何度呪っても気が済むものか

 全員殺してやる。いいや、殺すだけで足りるものか


 あの辛苦を、あの屈辱を、あの無念を、あの孤独を、あの悔恨を、あの……あの、絶望を……同じく味わえ……!!


 血反吐を吐け、痛みに足掻け、そして喚け!!

 おまえたちも呪うがいい……!愚かで醜く、浅ましい人間の性を、恨め、憎め、忘れるな……ッ!


 赦すものか




 パリンと音を立てて空間が砕けた。

 顔面蒼白のまま、カミーユが腕を掴んでいる。


「…………残留思念だけでここまでって……嘘でしょ…………」


 膝をつきながらまとわりつく黒い霧に抗って、僕の手首を握っている。


「残留……思念……?あれが、かよ……」


 何度も見てきた光景に慣れるどころか冷や汗だらけになりながら、アドルフは自失したようにぼやいた。

 復讐されるべき相手は、僕だ。

 罪を悔いるべきだったのも、僕だ。


 忘れていたかったのも、見ないふりをしたかったのも、昔のままでいたかったのも、僕だ……。


 ……ロバートがやっと動いた。見てはいたけど、彼は逃げ癖がある。……どうせ、直視なんかしていないだろう。


「…………彼は……?この街にいるのは……」


 小刻みに震える声で、ロバートは……僕は、まず、レヴィくんの心配をした。


「……5年前に二十歳は超えてる……僕の弟と同い年だから、正しかったら26……。彼は、辻褄を合わせるために自分の記憶すら偽って……後で、それでもちゃんと思い出す。本来抱くべき憎しみを……思い出してしまう……人を殺せるほどの意志と、一緒に……」


 それって……憎しみだけで、小さい郊外の街とはいえ、憎んだすべてを殺したってこと?

 それほどの憎しみをひとりで……?


 どんな地獄を味わえば、そんなことになるんだよ。


「……ローランドくんとは違って、一時的に記憶を忘れてるだけ。たまにつじつま合わせもあるけど、嘘に過ぎない。……いつかは思い出して、また……あの日を繰り返す……」


 あの日、つまり病院にいて温情で助かったアドルフ以外の警察官を、呪い殺した日?

 そして、それはきっと彼が息絶えた日と同じ。


「……あらゆる負の感情が……どんどん積み重なって、15年前、そうだね……君たちの、執着心、かな。あの願いがローランドくんをこの世に止めてしまったことで……ついに、破綻した」


 この世の理が……だろうか。


「未練だらけの僕や、欲望だらけのロナルド、暴力で生きてきたレオ……あらゆる罪人を引き寄せながら……できあがって……彼の憎悪なんて簡単に受け入れた」


 街に巣食う、怨念たちと共鳴した……ということかもしれない。


「…………僕は、彼を知ってた。だから……」


 黒い霧が、ギリギリとカミーユの胴体を締め上げている。


「……時間を壊して、新しく……場所を、創って……切り離して……」


 ……それは、未練を持ち、まだ見ない誰かに自分の人生を託してきた存在の足掻き。

 ごぽりと血を吐きながら、彼は、笑った。


「痛いのは、むしろ好きなんだ。……初めて、間近で見れてよかった。殺される瞬間が一番滾る……痛みは過程にすぎない……殺されることが、それこそが、僕の……一番の……快楽……」


 どこか、恍惚とした声色で、それでも彼は、優しく笑ってみせた。


 キースは泣いていた。

 どうして、と、僕の口で何度も呟いていた。

 たった2年間で歪んでしまった正義。それを引き金とした、当たり前に持つだろう憎悪。


 あれが断片的なものだと言うなら、

 彼が、本当に抱いてきた苦しみは……?


「……ロー兄さん」


 初めて、ちゃんとした意思で名前を呼んだ気がする。

 目の前に現れる、軍服の青年。服装は少し血に汚れ、曇った表情で、わずかに目を伏せていた。


「ロブ、早く逃げた方がいい。……ロジャー兄さんのことを忘れて、俺のことも忘れたら、きっと……。……ロナルド兄さんなら、それで興味は失くすと思う」


 ……違う。

 もう、忘れてはいけない。

 見なかったことにしてはいけない。


「僕、一応歴史学者だから……過去と向き合うのは仕事のうちだよ」


 そして、未来に続く道を造るのが生業だ。


「……移動しようか。俺といたら、たぶんできる。……カミーユさん、つらいだろうけど……」


 その表情は、僕の知らない顔だった。濁った青い瞳に、鈍い光が差している。


「全然大丈夫!むしろすごい気持ちいいから。この状態でメール作成とヘタレ社畜刑事のお守り任されるあたり、まさに鬼畜の所業すぎてむしろ最高。宛先は?」

「…………。じゃあ、ひとまずレオさんに会えるところで。分からなかったらグリゴリーのところ。ブライアンはロブなら呼べるだろ」


 あからさまにカミーユにドン引きしながら、あくまで冷静に兄さんは言った。


「兄さん、大丈夫?」

「そろそろやばいから、移動だけしか無理だけど……とりあえず、今は安全な場所に行こう」


 服の染みが消えていく。

 兄さんの記憶も、感情も、漂白されていく。

 だから、今のうちに伝えたかった。


「いつもありがとう。……でも、無理しないでね」

「…………うん。で、今無理させてんのはどこのどいつだうすのろバカ。ほら、離れないで」


 流石に、ニコニコ笑ってサラリと毒を吐かれたのはちょっと予想外だった。

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