Big Girls Don't Cry その②

 クロウは目を覚ますと、自分がベッドの上にいることに気づいた。体に流れてくる情報、視覚、聴覚、触覚、それらの感覚で、自分が命をつないだことを知った。それで十分だった。ここが牢獄でも天国でもいい、生きているのならすべては後で考えよう。彼女は二度目の眠りについた。

 薪割り音でクロウは再び目を覚ました。腕や足を動かして自分の体を確認する。

「……やはり生きてるな」

 クロウは服を見る。女ものの下着シュミーズだが、自分のものではなかった。

 体を起こして周囲を見る。どうやら民家のようだ。牢獄ではなくて女物の服のある民家、傷の手当もしてあった。当たりにもほどがある、そんなにも地獄は自分のことが嫌いなのだろうか、クロウは自分の悪運の強さをそう評価したが、それ以上にこの民家の住人に感謝しなければいけないなと思った。

 クロウは次にベッドから起き上がり、自分の五体が満足であるかを確認する。奇跡的に切り傷だけだった。重傷と思しきところはどこもなかった。もしかしたら、一周回って死んで天国にいるんじゃないだろうかとクロウは思った。しかし自分が天国行きなら審査はずいぶんと簡単だ、金を借りる時もこれくらい緩ければいいのに。そんな詮無せんなきことを考えていると、部屋にその家の娘が入ってきた。

「……あ、起きたの?」

 娘の手には洗面器と手拭いがあった。

「……ああ、今しがた。娘さんがここの住人かね」

「そうよ、わたしはウィルマ。あなたは?」

 ウィルマは微笑む。愛らしいが、子供にしては少し自意識の強い笑い方だなとクロウは思った。

「私はクロウだ。礼を言うよ、地獄の境目さかいめをうろついてたから……」

 クロウは言いかけて体のバランスを、転ぶほどではないが崩してしまった。

「まだ寝てないとだめよっ、血まみれだったし、体なんて氷みたいに冷たかったんだから」

「……あ、ああ」

 クロウは尻もちをつくようにしてベッドに座った。

 ウィルマは「さてと」と言ってクロウの隣に座り、その手を取って包帯を取り換えようとする。

「この手当はお前さんが?」

「そうよ」

「どうやら私はつくづく運が良い」

「あのままだったら危なかったわよね」

「それもそうだが、裸を見られたのがお前さんのようなうら・・若き乙女だったというのも、気が利きすぎてる」

「え……と、それは……。」

 気まずそうな娘の雰囲気にクロウは事情を察した。外では薪割りの音がしている。この音は男の力だ。

「……まぁ、別にケチるほどの代物でもないよ」

 包帯を取り換えながらウィルマは訊ねる。

「どうして森の中をあんな格好でひとりりで?」

「妖精の住処すみかを探してたら人づてにここの噂を聞いたんだ。けれど浮ついた気持ちでのこのこ歩いてたら、雨は降るわ足を滑らすわで散々な目に合ってしまったんだよ。しかしまぁ、旅をした甲斐かいがあったね」

 ウィルマは妙な表情をしたが、それが女の冗談だと分かると微笑んで見せた。見せるための微笑ほほえみだった。

「変な嘘をつく人なのね。妖精に会うために、そんな体で無理するなんて」

「病気くらいで妖精をあきらめられない」

 ウィルマは笑いながらベッドから腰を上げ、手拭いをナイトテーブルに置いた洗面器で洗った。

「シスターが言ってたわ、それは病気じゃないって。女性に起こる必要な現象なのよ」

「いいや病気さ、少なくとも私にとっては」

 今度は冗談なのか分からず、ウィルマは困惑した顔をした。

「……食事はいけそう?」

「うれしいね、妖精どころか天使様の住処だったみたいだ」

 ウィルマは肩をすくめて笑うと部屋を出ていき、そして黒パンとミルクを持って戻ってきた。

 ウィルマに「ゆっくりしていってね」と言われたが、食事を終えるとクロウは立ち上がった。危険な旅の長かった彼女には、どんな状況であろうとも油断できないという経験則があった。部屋を出て居間を見渡す。感覚的に、大人の女のいない家庭なのだと思った。だがかつてはいたはずだ、痕跡こんせきはある。自分が着させてもらっている服がそうだった。

 クロウは外に出ると家の裏に回った。そこでは薪割りをしている男がいた。今は切り株に腰かけ、一休みしている最中のようだった。

「……失礼」

 クロウに声をかけられ、男は驚いてふり向いた。

「あ、ああ……君、気が付いたんだね。いやぁ良かった」

 うん良かったと言いつつ男は上着を探す。彼は上半身裸だった。

「し、失礼……。恥ずかしい格好を……。」

 しかし上着はどこに放置したか忘れてしまっていた。

「気にすることはないさ、これでおあいこ・・・・だ」

 クロウはそう言って、シュミーズをつまんで見せた。

「あ、いや……君の着替えは主に娘がやって……ぼくは手伝いを……。」

「気にしちゃいない。それどころか命と引き換えだったんなら、サービスとしては足りないくらいだろう?」

「は、はぁ……。」

 そこは“それどころかお釣りが出る”くらいは言ってほしいなとクロウは思った。

「自己紹介がまだだったね、私はクロウだ。諸国を旅をしながら、お前さんたちみたいな親切な人々の厚意で生き永らえさせてもらってる。物乞いみたいな女だ」

「私はジョージです、ジョージ・ブランズ。娘と二人でここに住んでいます」

「ミスター・ブランズ、開拓民かい?」

「ええ、それ以外にもいろいろ……。」

「なるほど……。」

 クロウは男の体を見る。木を切っているだけではない体の酷使の仕方をしていた。

「……っ」

 クロウの耳がぴんと立った。クロウは男の背後を目を細めてみる。

 そのクロウの様子に気づいたジョージは自分の後ろを見た。遠くから、馬に乗った保安官がこちらにやってきていた。

「あれは……。」

 黒い長髪がベタっとした女だった。肌がとても白く病的に近かった。垂れた目はのんびりしているようにも偏執へんしつ的にも見える。

「お~い、ブランズさ~ん」

 声ものんびりしたような声だった。保安官用の装備、エンブレムつきのベストと皮のパンツ、腰の細剣レイピアと巻かれた荒縄を装備していなかったら保安官に見えない女だった。

「これはこれはアルトリアさん」

 保安官はジョージの前まで来ると「よっと」と言って馬を降りた。長身で、ジョージよりも少し背が高かった。

「見回りにはいい天気ですね」

「そんな呑気な状況でもないのだわ、ここいらで妙なよそ者を見なかった?」

「……何かあったんです?」

「死体だよ、それもひとりやふたりじゃあない。九人もの死体っ」

 ジョージは驚いて目を剥く。

「なんて酷い……。」

「そうでもないわさ」

「……どういう意味です?」

「あいつら、お尋ね者の盗賊団だったのよ。方々で火事や強盗をくり返してたらしくてね。ま、死んで当然の奴らだぁね」

「天罰が下ったってわけですね。……でもいったい何が?」

「先輩連中は、あんな大勢死んでるんだから、きっと仲間割れを起こして殺しあったんだろうって言ってる。ならず者にはよくある話なのだわ、分け前でもめたりね。でも……」

 保安官の目つきが怪しくくもった。

「あたしはこの件に関してはちょいと違うと思ってるよ」

「……何がです?」

「殺ったのはひとり、しかもかなりの手練れと見るね」

「……なぜ?」

「死んだ奴らが持ってた武器、剣とか斧にほとんど血がついてないのよ。大勢でやりあってしかも武器を抜いてるのに片方は無傷なんてこと……ありえるのかしら?」

「……お、おお。……で、ひとりというのは?」

「太刀筋が全部同じだったのよ。ぜ~んぶ正確に、最小の攻撃で仕留めてる」保安官は興奮して身振り手振りを入れ始めた。「急所はもちろんだけど、それ以外は手首や足首の腱、太い血管を切って動けなくしてる。そんな芸当ができるのが、何人もいるって考える方が不自然だわね。かなりの上級の請負人レンジャーか、ダニエルズ王家直属の執行官か……」

「……なるほど……ねぇ」

「ここからはあくまであたしの予想なんだけどね……」保安官はジョージに近づいてささやく。「腕利きってだけでも、あの戦いのすさまじさは説明がつかない。あたし思うんだ……あれは新しい転生者の仕業なんじゃないかって……。」

「転生者? ……まさか?」

「転生者ならありえるのだわ。彼らは法術とも魔法とも違う“祝福の力”をもってるって話だよ。何度死んでも平気だとか、太陽の動きを変えちゃうとか、見つめただけで女の子をとりこにしちゃうとか……。」

「へぇ……。」

「だとしたら、きな臭いわよね……。」保安官のアルトリアはだんだんと自分の世界に入っているようだった。「転生者だもの。また大事が起きる前兆なのかもしれない……それこそ前の戦争みたいな……。前回の転生者もベクテルの王室の奴らが呼び寄せたって話だからね、転生者ある所に陰謀ありだわ」

「怖いね」ジョージは首をふる。「しかしまぁ、ウチの村に関しては大丈夫じゃないかな。こんなに洞察力どうさつりょくのある保安官がいてくれてるんだから」

「まったくよ、あたしが男だったら今ごろ役所で刑部の部長やってるはずだわ」

「肌が黒かったら、王都の近衛隊長だ」と、ジョージは調子を合わせて言う。

 保安官は「この国の損失なのだわ」と嘆く。

「じゃあ何かあったらすぐに教えてね。人じゃなくっても、それこそ季節外れの花が咲いたとかでも良いから」

 そう言って保安官は馬に乗って去って行った。

 保安官が十分に距離を開けると、ジョージは後ろを振り向いた。

「……もう大丈夫ですよ」

 納屋の陰からクロウが出てきた。

「優秀な保安官のようだったね……前半までは」

「どうして隠れたんです? 彼女は……まあ変わってますが、仕事に関しては誠実な女性ですよ」

 クロウはばつが悪そうに頭をかいて言う。

「役人と相性が悪いんだ。私はどうだっていいんだが、向こうが私を無視できないみたいで……。厄介なことに、熱心な役人ほど比例してそうなる。……しかしお前さんこそ、どうして私の話を出さなかった?」

「あ、それはまぁ……彼女が自分の話に夢中だったし、何より……。」

「何より?」

「あなたは悪い人には見えなかった……からですかね……。」

「……根拠は」

「ん、まぁ……」

 ジョージは申し訳なさそうに肩をすくめる。

「直観か、でもまぁ良い目をしてるよ」

 クロウがほほ笑む。ジョージは女の笑顔を悪いものだとは見なかった。

「その、やはりあなたが盗賊団と……。」

「どう思う?」

「……あなたの持ち物に、血のついた剣がありました」言いづらそうにジョージは腰に手をあて目を背けた。「かなり使い込まれている剣でした。それに体にも激しく戦った後のような傷が……だから……」

「まぁ、お察しの通りだ」クロウは金色の瞳でジョージを見すえる。「そのとおり、全員私がやった」

「……やはり、斬りあったのは、相手が悪党だったからですよね?」

「直観だよ、でも良い目をしてるだろう? やっぱりクズどもだった」

「ははは……。」

 ジョージの緊張した表情を見てクロウは言う。

「……とはいえ、私みたいなのが小さな娘のいる家庭に長居するのも良くないだろう。天気もいいことだし、そうそうに発つ準備を始めるよ」

「そんな……あなたが私の家で気を失ったのが、昨日の今日というのに?」

「言ったろう、長居は良くないと」

 クロウは「私の服と荷物はどこだい?」と言って、ジョージの前を通り過ぎようとする。

「……っ?」

 クロウは体のバランスを崩し片膝をついた。

「……足を滑らせてしまった」

 クロウは屈んだ状態でジョージを見上げて苦笑いする。

「……と言っても信用してくれそうにないな」

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