第2話 狼男は叱られる
時は少し前にさかのぼる。
ゴルディアのブレスを受け止める代わりに消し飛んだ俺は、緑豊かな森の中で目を覚ました。俺は自分の目を疑った。魔力を吸い上げられたこの世界にこんな森がまだ残ってるだなんて信じられなかった。俺は近くに聳えていた一本杉を上り天辺から辺りを見回し、ここがどこかを確認する。するとどうだろう、懐かしい匂いがする理由が判った。
「この山脈の形、あそこに湖があって……そうだ、ここは俺の故郷だ。俺達の森だ! ああ、畜生! 勇者達やりやがった、ゴルディアをぶっ飛ばして世界を救ったんだ!! 人間に焼かれた森も元通りだ……はは、やった! やったぞ!!」
俺は尻尾の先まで歓喜に震えて、その高揚のままに遠吠えをした。周囲の木々から鳥が飛び立つのとすれ違うように、俺は杉から飛び降りる。見上げるような高い場所だが、俺の身体なら屁でもない。着地の勢いのまま、森を駆け出す。向かうのは俺の生まれた場所だ。懐かしい顔が脳裏に浮かぶ。親兄弟、仲間達、俺が生まれ育った集落がある場所にまっすぐ駆け抜ける。
しかし、どれだけ探し回っても俺の生まれた集落は見つけられなかった。集落を追われて十何年も経っているが、毎日仲間と駆け回った森だ、忘れるはずもないし、迷うはずもない。それでも、俺が見つけられたのは蔦が絡まった廃墟が一つだけ。ましてや、ゴルディアに食われた仲間たちの姿があるはずも無かった。
「……まあ、全部が全部うまくいくわけでもないか。森が蘇って、世界が救われた。それだけでも万々歳だよなァ……」
俺は崩れた壁に腰かけてひとり呟く。そして、改めて自分の体を触ってみる。ブレスで消し飛んだ腕も、雷撃で弾けた身体も綺麗なもので、純白の毛並みもそのままだ。座ったまま体内の力を操作すれば、雷の力も十全に扱える。死にかけたなんて嘘みたいな万全な体調だった。勇者の仲間に居たあのエルフは凄腕のヒーラーだったが、それでもあそこまでぼろぼろになった身体をここまで綺麗に治せるとも思えない。そもそも、最終決戦の地となった魔王城からここは、大陸を渡って海を越えた場所だ。寝てる間にここまで運んできたってわけでもないだろう。
「そもそもあいつ等の姿も匂いも、欠片たりとも残ってないしなァ……うん?」
膝に肘をついて溜息を吐いた俺は、ふと口を閉じる。話し声だ。いや、もう少し険悪な声。
「男が数人に……あと、女。子供も何人か……。なんだってこんな所に?人里からは離れてる……もしや!」
俺は慌てて立ち上がり、また駆け出した。もしかすると、と思ったのだ。もしかすると、俺と同じように俺の仲間が生き返っているのかと思ったのだ。……だがまあ、すぐにそうじゃないと判って若干落胆もしたんだが。
木の上から見下ろしたそこには、ガラの悪い人間の男が5人。そいつらが見るからに切れ味が悪そうな剣を揺らして、女子供を囲んでいた。
「シスターさんよお、そろそろ諦めなって。俺達にかなうわけねえだろう?へっへっへ」
「そうだそうだ、悪いようにはしねえからよお?それどころか、イイ事してやろうって言ってるんだぜ俺達はよお」
聞くに堪えない三下台詞を恥ずかしげもなく吐きながら男達は輪を縮めていく。人間のガキはみんな真っ青になって小さくなっている。その前に、同じくらい真っ青な顔の女が男達を睨みつけている。
「神に仕える者になんて恥知らずな! ……ああ、なんと言う事。口減らしに合う位ならばと思って、貴方達の言葉を信じた私が愚かでした……」
よくある話だと思った。魔王が倒されたとしても、荒れていた世界ではすぐに食べ物なんて手に入らないだろう。こういうことは、人間、魔物を問わずに見られる事だ。俺はそんな光景よりも故郷を探す方が優先すべきことだと思い、そのまま通り過ぎようと思っていた。……しかし、続く人間の男の言葉に、俺は脚から力を抜く。
「街に働き口があるなんて言って……あの言葉は、嘘だったんですか!!」
「嘘は言ってないさ、働き口はあるぜ? へへへ……その身体を使えば、教会で有難ーい言葉を吐くよりもずっと楽に金も手に入る。ガキ共にも働き口は見つかる。嘘じゃあねえさ」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、尻尾の毛先まで怖気が立った。聞き覚えがあった、似たような言葉を吐いた愚かな狼男が居なかったか。同じように嘲笑った龍が居なかったか。
「騙される方が悪いのさ! 良いご主人様に買われる事を、神様にでも祈っておくんだなあ!」
「待てッ!!!!」
俺は気づけば叫んでいた。シスターに飛び掛かろうとしていた男達が俺を見上げるよりも先に、俺は木から飛び降りる。シスターの前に着地すれば、男達が驚いたように後ずさる。
「て、手前! 何だその身体!! 魔物か! どこから出てきやがった!!」
「人間の言葉をしゃべるのかこいつは! ひゃあ! こいつを売り飛ばせばしばらく遊んで暮らせるぜえ!」
男達が武器を構えるのを睨みつけながら俺は唸ってしまう。何をしてるんだ俺は。人間なんて放っておけばよかったのに。俺の後ろで女が悲鳴を漏らすのが聞こえる。ガキどもが泣きだす声も耳障りだ。
「わ、ワーウルフ……伝承の魔物!」
「狼男なんて珍しくも無いだろ……?まあ、俺以外は全員食われちまったが……おい、女、ガキどもを黙らせろ」
俺はシスターとガキどもを睨みつける。そのせいでガキどもの泣き声が大きくなる。思わず俺は耳を寝かせる。苛立ちに膨れてた尻尾が垂れ下がる。ガキの泣き声は苦手だ。戦う気がそげていく。俺は何をやってるんだ、とまた溜息をもらす。
「おいワーウルフ! 聞いてんのか!! 言葉が分かるんなら大人しくそいつを渡してどっかへ行っちまいな!!」
「ああ、神よ、私達を見放したもうたのですか……前門の人買い、後門の狼男だなんて……!!」
「うわーん! お母さん! お父さん! こわいよー!!」
「へっへっへ、伝説の魔物だ、高く売れるぜえ」
「ああ、同じ伝説なら勇者様でも再来して下さったら……この乱れた世をまた救って下さったでしょうに……ああ、神よ!」
「シスター! やだー! 売られたくないよお! うえーん!」
「ぃやかましいっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺は思わず大声で怒鳴りつけた。苛立ち任せに出した吠え声で、パタッと辺りが静かになる。腐っても元魔王軍筆頭だ。一声で黙らせる程度は訳はない。やっと静かになった空気に安心して俺は耳を立て、人間の男達をねめつける。
「いいか、とりあえず一つだけ言っておく」
ばりん、と空気が爆ぜる音。その音が段々と増え、俺の腕に雷が纏わっていく。電流が弾ける音が段々と細かくなり、まるで小鳥が騒ぐような音が耳を弄する。辺りが青白く明るくなる。男達の顔色も青くなる。
「騙す奴が悪い。いいか、一分の言い訳も無く、騙される奴よりも騙す奴の方が悪いに決まってる。なあ、最後にそれだけ覚えて逝けや」
バチバチと爆ぜる音が更に細かくなり、耳鳴りに似た音とともに掌に凝縮されていく雷。骨も残さない、躊躇いも無い、俺はその腕を人間に振るおうと……
「いけません!!」
した所で、シスターが俺の後ろから思いっきり体当たりをしてきた。俺の右腕にしがみつき、耳元で喚く。
「殺してはいけません! 何があっても、たとえ騙されても、殺生は神がお許しになりません!!」
「はァ!? 何言ってやがんだこの状況で! 今お前こいつらに売られかけたんだぞ!? てめこら、放せ! 火傷じゃ済まねえぞ!!」
「それでもです! それでもいけません!」
言い返す俺の耳元で叫ぶシスターに鼻白む。その隙にシスターは、武器を取り落として震えている男達にまで声をかける。
「逃げなさい! これに懲りたら、もう人を騙さず生きなさい!」
「お、おお……」
「早く!!」
「ひ、ひえええええっ!!!」
転びそうになりながら必死になって逃げていく男達。この女を振り払って追えば鼻歌交じりに走っても簡単に追いつけるだろう。だが、俺は既にその気は失せていた。俺の腕に両腕でしがみついてぶら下がる女をそのままに、俺は雷を消す。それを見たシスターはほっとしたように息を吐いて、腕を離した。そのままへたり込む。目に見えて震えている。怯えている。そりゃあそうだろうとは思うが、俺は呆れて問いかけた。
「……なんであいつ等を助けた」
「か、神は、殺生を喜びませんッ」
「……お前達を騙したんだぞ、アイツらは」
「そそそ、それでも、彼らを殺せば、あなたは騙すよりもひどい罪を背負う事に、な、なりますッ」
「俺は魔物で、人間なんていくらでも食って来たぞ。今更そんなこと気にするもんかよ。なんなら、お前が俺に食われるか?」
それは嘘だ、同じ様な身体をした生き物なんて好んで食べたいとも思わない。だが、わざとらしく俺は舌なめずりをして見せた。そうすれば子供を置いてでも逃げ出すだろう、そう言うもんだと思っていた。
「ななななな、なおさら、罪を重ねちゃ、いけませんッ! で、ででで、でででで、でも!! も、もしお腹が減っているのならば、私がこの身を、さ、さ、さ、ささささささげます!! だから、この子達は逃がしてあげて下さい!!!」
魚が食べたいな、なんて思いながら俺は頭を掻く。震えながらも、それでも真っ直ぐに俺を見上げてしかりつけるシスターを見て、怒るのも馬鹿らしくなったのだ。ガタガタ震える両腕を広げ、後ろの子供達を守ろうとする姿を見て、俺は息を吐く。
「……要らねえよ、まったく。嘘だ。嘘嘘、食いやしねえよ。群れを守ろうとしてるメスを食うなんて、俺にゃあ出来ねえ」
「な、なら、見逃して下さいますか!!!」
「好きにしろ」
俺がそう言った途端、シスターは祈りの形に手を組んで天を見上げた。
「ああ、神は私達を見捨ててはいなかった!! 感謝いたします、感謝……かん……」
そしてそのまま横に倒れ込む。俺は思わず手を伸ばしそれを受け止めるが、シスターは完璧に気を失っていた。助かったことが分かって気が緩んだのだろう。
「無理はねえか、ただの人間で俺には向かっただけでも凄いもんだって……」
視線があった。ガキ共だ。泣いて真っ赤になった目で俺を見てる。凄い見てる。え、なんでこいつら俺のこと平気なの?
「狼男……」
「狼男だ……」
「お、おう……なんだ、それがどうした」
むしろ、さっきまで怯えてたのがどこへやら、なんか、キラキラしてないかこいつらの目。というか、守ってくれてたシスターが倒れたんだから逃げだしたりするのが当たり前じゃないのか。なんで近づいて、おい、圧が凄い。なんだ、なん
「「「勇者の味方の狼男だー!!!!!!」」」
「……」
ちょっと待て。
「本当に真っ白な狼なんだ!」
「狼男って本当に居るんだわ!おっきいわ!」
「バチバチー!って言ってた!絵本の通りバチバチーって!!」
「おい、おい待て」
「魔王をまた倒してくれるんだ!!」
「勇者と一緒に魔王を倒したんだよね!!」
「待て、なんだそれ」
ガキ共の勢いに負けそうになりながらも、心がざわつくのが分かる。絵本の通りってなんだ?俺は詳しい話を聞こうとして、
「ずーっとずーっと昔に魔王を倒した、伝説の狼男なんでしょ!!おじさん!!」
「聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず俺はおじさんじゃねえ!!」
そこだけは言い返した。
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